2022年8月23日、岐阜県関市大雲寺にて
93歳で関ヶ原の戦いに参戦した戦国武将、
大嶋雲八の供養祭がおこなわれました。
8月23日は雲八さんの命日です。
亡くなった時の年齢は、なんと97歳でした。
戦国時代としては、かなり長寿ですね。
今年で、419回忌になるとのことです。
供養祭は命日に集まって雲八さんを偲び、
雲八さんを語り、冥福を祈るイベントです。
過去2年間の供養祭は、コロナ禍のため
ひっそりと関係者のみで開催しました。
2022年、まだコロナは終息していません。
迷ったあげく(?)、一般に公開されました。
参列される方は、思ったより多かったです。
午前10時、力強い太鼓の音が本堂に
鳴り響き、供養祭がスタートしました。
厳かな雰囲気の中、副住職さん親子による
読経、お焼香、そして雲八さんの生涯が
音楽に合わせて語られました。その後再び
読経、太鼓と続き30分程度で終了しました。
いつものように歴史マニアの方、檀家さん、
ご近所の方々が集まりました。そして今年は、
甲冑作家の三浦先生の姿もありました。
供養祭終了後、参列者の多くの人は、
本堂に飾られている2つの古い甲冑や
雲八さん直筆の書状を撮影していました。
甲冑作家の先生が展示されている2つの
古い甲冑について説明して下さいました。
左側の甲冑は雲八さんの子孫の方が
寄進されたもので、雲八さんの実戦用の
甲冑であった可能性があるそうです。
揚羽蝶の家紋、梅の家紋がありました。
右側の甲冑は大雲寺に伝わるものです。
家紋は「大」の字がいくつかありました。
これも雲八さんの時代のものではないか…?
雲八さんの家臣の甲冑かもしれないです。
雲八さんの家臣が晩年、雲八さんと一緒に
仏門に入ったという話が伝えられています。
その家臣は、京都のお寺で修行を重ね、
この関、大雲寺の開山となったそうです。
これは単なる私の想像ですが…、
関、大雲寺を開山となったお坊さんが
雲八さんの家臣だった時代に着用した
甲冑だったのではないか…?
家臣だった時代の思い出の品として、
自分のお寺に愛用の甲冑を残しておいた…。
そんな物語を想像をしてしまいました。
(これは全く根拠のないものです。)
どちらにしても、お寺に記録がないので、
甲冑の持ち主に関しては不明です。
「もし記録があれば…、文化財に指定され
保存&修理に補助金がもらえたかも…!」
…なんて現実的な話になってしまいました。
歴史マニアメンバーは、2019年11月に、
関市の岐阜県博物館で開催された
雲八さんの特別展の話題で盛り上がりました。
「あの時、本巣市の弥勒寺さん所蔵の
雲八さんの書状が展示されましたよね~。
あれ、どんな内容だったのかしら…。」
「あ~、雲八さんの書状あったね~。
しかし書状の持ち主である弥勒寺の
和尚さんさえも、書状の内容は正確に
わからないと、言ってみえましたよ。」
ところで、今年もコロナ禍で、供養祭での
飲食物の提供は中止するとのことでした。
でも…!予定変更となり、駐車場には、
2台のキッチンカーが登場しました…!
スパイスカレーの店と、いちご農園の
生イチゴ氷のお店のキッチンカーです。
”スパイスブラザーズ”のスパイスカレーと
ビリヤニのセットを本堂でいただきました。
スパイスの効いた辛さを抑えたカレーです。
インドの炊き込みご飯、ビリヤニに、激辛の
お漬物(?)がセットになっていました。
ちょっと珍しくて病みつきになりそうな味です。
デザートはイチゴ農園、やまへい農園の
”紅ほっぺ、けずりいちご氷”です。
カップに入ってすごいボリュームでした。
暑い夏の日には、もってこいのデザートです。
飲食はできないものと思っていましたので
とても嬉しかったです。思いがけず、ここで
B級グルメの逸品(?)に出会えました。
毎年少しずつ盛り上がってきている供養祭、
来年はもっと盛大に、縁日みたいにしたいと
大雲寺副住職さんが語っていました。