りんごの木

Harmonyメンバーのりんごさんの子育日記。笑いあり涙あり。子供とのふれあいにジーンとしてしまいます。

やっと・・・。

2010年10月19日 | 自分について。
さわやかな季節がやってきた。

空が高くなってきましたねー。

空一面に広がる羊雲・・・。
急に、空が手の届かない遠くに思えて
広がっている雲を眺めては空の大きさを改めて確認する。


車の助手席で空を眺めて胸がきゅんとする。

何かとても懐かしい感じ。

それは、本当に小さい頃ぼんやりと
見上げていた空に似ていたり。
遠足で見つけた空のようだったり。
恋をしていたときに眺めていた空に似ていたり。

ああ、これだという限定できるものが
思いつかないのだけど
何故かそのときの感覚がごちゃ混ぜになって
自分に戻ってくる。

今は現実的にしか生きていないけれど、
自分のことだけを考えていた
20そこそこの頃とか、
友達との友情だけがすべてだと
信じているような10代の頃とか。

いろんな時間を駆け抜けて今があるんだなーと
しみじみと色々な出会いや経験に感謝をする。

深まる秋にこれから何をしよう。

冬眠したいくらいお昼寝も好きだし、
でも、ひたすら無心に絵を書くのもしたい。
誰にも会わないでひたすらDVDを見ようか、、、、。

実際は日々やらなきゃいけないことで
埋まっていくのはわかっていても
そう考えるのもなかなか楽しい。

冬になったら、ソファーの上における
ホットカーペットを買って
毛布に包まって冷たい体をじんわりと
あっためようとか、、、、、。
その後でホットミルクを
はちみつたっぷりで飲もうとか。

想像だけでもかなり幸せな気持ち。
多分過去の楽しい記憶がよみがえるんだろう。

案外単純な自分に気がついておかしい。

心乱される日もあるけれど、、、。
そんなときは、その乱れた心を
紙みたいにくしゃくしゃに丸めて、
小さく小さくたたもう。

物事をどう扱うかは自分しだいだ
ということを実践してみようっと。

春がきた。

2010年04月09日 | 自分について。
寒さもあるけど、気がつくと木々は桜色。

ついウキウキして、桜ロールケーキだの、
桜シフォンケーキだのを購入。

シフォンケーキの生クリームには
塩漬けにされた桜がチョンと乗り、
桜の花びらのようなチョコが
うすく削られてかけてある。

食べて見ると、
桜のようなふうんわりとした
優しい味。

先日は川沿いでお花見。
どの人もなんだか楽しそう。

そういう楽しい空気って伝わってくる。
とっても平和で優しい時間がそこに流れている。

お弁当を食べ終わって、川を眺めに散歩。

広島市内のためにぎわっていて、
川に面したカフェには
パラソルの下でランチをする人。
お茶をしている人。

私達も川べりのブロックに腰をかける。

川べりには、おばあさん三人組。
お花見弁当と缶ビールを片手にじか飲み!
その姿はなかなか粋だ。

なんかいいなー。
すごく上品そうでビールなんて
飲まないように見えるんだけど。

思わず心がほっこり。
私も年をとっても是非やりたい!

こんな日本に生まれて幸せだなーと
春になるたび思う。

春はたくさん散歩がしたいな!

ここちよさ

2009年09月16日 | 自分について。

夏休みも終わり、
今年はちょっと早めの秋の気配・・・

子供たちのいない
静かな我が家の中にすーっと通る風や
夕方子供たちを迎えに行くときに
家の外に出たときの風の動き、
ちょっと湿った緑の匂い・・・
そして夜の虫の声とすっと吹き抜ける風。

日本人宇宙飛行士の方が地球に帰ってきたとき
「宇宙には風がないので、
今寒いけれどこの風が気持ちいい。」
というインタビューにはっとしました。

風のここちよさ、淡い空の色、匂い、虫の声、
そしてお風呂に入ったときに体の緩む感じ。

みんな五感で感じること。

体があるからこそ、感じられるこの感覚。
五感で感じることのここちよさ。

私はスピリチュアルな話しが大好きなんですが、
江原啓之さんが
体験するために体を持ち
今ここに生まれてきて生きている、、、
というこを よく言われていて、、、。


その意味が分かるようで
分かっていなかったことに気がつく。

最近私はソフトバレーで捻挫をし、
その1ヶ月前ぐらいにチームの 友達も怪我をした。

その時は本当にかわいそうで、
何か力になってあげたい!と思ったものの
メールをするぐらいのことしかしなかった私。

そして自分が捻挫してみて、
彼女の痛みや、寂しい気持ちや残念な気持ち、
歩けなくなることの苦労、、、、

彼女に比べたら軽傷ながらも色んな気持ちが
自分の中にも湧いてきていることへの気づきがあり。

彼女は今の私の気持ちを本当に理解してくれて、
痛い思いをしながらも寄り添って
くれる人がいるだけでこんなにも違うものなんだ
ということをしみじみと感じる。
(今回は病院にも連れて行ってもらい、心より感謝)

これが体験することの意味だな、、、、。
痛い思いをしたものの、
想像だけでは分からない
感情の動きが同じように自分に
来ることで、本当に「理解する」
ということができたという気がする。

今回は、はたから見たらない方が
いい体験だったけど、
心にいろんな記憶となり
経験として蓄積されたことに気がつく。
これが経験するってことなんだなーとしみじみ。

ちょっぴりだけど人の痛みが理解できた私です。

弱ると人の優しさに触れられ
心温かな一週間でした。
(皆様ありがとう。)

寝違い。

2009年02月03日 | 自分について。
一月中頃、寝違いで首を痛めてしまった私。

寝違いは過去何度か経験済みだったけど、
今度は経験したことのないような痛み。

まず、顔が正面をむけない、痛みで息苦しい程。
これはまるで首の捻挫。
(考えてみたら、大掃除のときのカーテンはずしや、
 他、ずっと上を向くという負荷をここ何週間
 かかけていたところだった)

もう、泣きそうになりながら整形外科へ、
痛み止めを飲んでなんとか動けるようになる。

その日は学校のイベントがあり、案内役をしなければならなかった。
うつむき、髪が顔にかかるも、首をさらっとふることもできず
顔にかかった髪はまるで、
ホラー映画「リング」に出てくる「貞子」のよう。

うつむきながら、笑顔は痛みで引きつり、しかも貞子。
怖かったに違いない(笑)

体を痛めるといろんな「あたりまえ」に気がつかされる。

自転車に乗るときは、顔を思っているより上げないと
前がみえず危険なこと。
(自転車で病院に向かうも、一分後に後悔
 ・・・戻るのも嫌で無理をした
    振り向くこともままならず、
    耳で車の存在を確かめる始末、危険でした)

頭ってこんなに重いんだってこと。

上を向くことが生活でこんなに必要だということ。
(無意識に首ってがんばってくれてたんだなー)

痛みがあると、こんなにも気持ちが塞いでしまうこと。

痛くないことが、こんなにもありがたいんだってこと。

お願いしたら、いろんな人が助けてくれるってこと。
(いつも、無理でも自分でなんとかしていたから)

健康ってありがたい。心からそう思う。

年末あたり、、、
「忙しすぎて、首がまわらないよ~」
と友人と話したところ、現実になってしまい。猛省。

言った事が現実になって怖いって話から、
これからは、「忙しくって、若返っちゃう」とか
「忙しくって、もうかっちゃう」とか言おうねと笑う。

言葉って大切。そして思いも大切。
そして笑いって大切。

年の初めそんなことを思いました。

年末年始、久々にお笑い番組にどっぷりつかり大笑い。
くらだないと思いつつ、笑うってやっぱりいいなー。

年始にはまってしまったのは、
「お笑いレッドカーペット」に出てきた「響」。

女装したセーラー服の後輩と、
憧れの先輩の掛け合い漫才なのだけど 
もう、出てきただけで条件反射のように笑ってしまう。
あの見た目はずるい。

しばらく、色々笑えそう。
好きな芸人が増えてしまいました。

笑い出すと、笑いの沸点が低くなってくのを日々感じる。
笑いもクセになるのかな。

去年後半は渋い顔をしている日も多かったけど、
今年はとりあえず、笑ってみよう。

久しぶりに。

2008年12月04日 | 自分について。
久しぶりに映画いってきました。

友達と行くと
「あれはあーだ」、「これはこーだった」
と余韻を楽しめるものだけど、
私は一人映画が結構好き。

余韻もしばし胸にとどめ楽しむ。

見に行った映画は「レッドクリフ」。

三国志映画化したもの。
歴史物って、、、、といつも思うのだけど
歴史物ってスケールが大きい。

騎馬隊や家臣などの 多さによる
迫力や力強さは胸に迫り、
そして空から迫る大地の美しさは、
透き通る空気までも際立たせている。

普段見ることのない場所からの景色は、
自分の目線を変えろとでもいわれているような。

残念ながら、今回は前編。
全てを見尽くしてはいないので
テーマを語ることが難しいが、
「人間模様と知恵」といったところか。

君主のために心より尽くす家臣。

そのつながりは温かい。
人の心を動かすというのは
難しいことではあるけど
人と人心が繋がった瞬間、それが可能になる。

心を繋ぐ。

私がひっかかったことはそこ。

物事を何かするのに、
心が繋がってない人とする大変さを 経験したばかり。

逆に心が繋がった人と何かをすると、
そこに楽しさすら生まれる。

人を動かすには、正論でなく気持ち。

気持ちが繋がることで、難しかったことが上手くいったり。
そんなときは本当に 相手に対して感謝でいっぱい。

子供と向き合うときもそう。
相手に寄り添える気持ち。

そんなとき、ふと「相田みつを」書、佐々木正美著の
「育てたように子は育つ」 の本を、
本棚に移し変えなくてはいけないことがあって、
パラパラと見てたら、
「待つ」って詩が目に留まる。

「子供に限らず、草花など育てるのが
     上手な人は、待つのが上手。」
ということが書いてあった。
ここにはとても深いことが書いてある。

私は待っているだろうか?
結果を出すことが大事と思ってないだろうか?

子育ては結果じゃなく、実は過程に
「味わい」と「幸せ」という価値があるんだろうな。

結果は目に見えるものだけど、
目に見えない今、無駄とも思えるただの時間も
しっかり寄り添い味わえたら幸せだな。

それは子育てに限らず、自分にとっても。

小さな楽しさをたくさん見つけたいものです。

自己紹介します!

2008年10月17日 | 自分について。
はじめまして。まずは、自己紹介。

「りんご」です。

小学生1年生と4年生の兄弟を持つ母親です。
男の子のおかしさ、楽しさ、そしておろかさ
を日々目の当たりに、
嵐のように日々過ごしております。

小学生対象の読み聞かせなどのボランティア
などでも活動してます。

これからちょっとした子育ての話や、絵本の話、
ちょっとした日々の思いをお話していきたいです。
どうか、よろしくお願いします!

この「りんご」はどこから来たかというと、、、。

シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」
という大好きな絵本から。

大きな木は、男の子のために、
じーっと立ち自分の全てを与えて、与えて、、。
いつでも「木はそれでうれしかった」と。

そして最後に、本当にそうなのかな?
というようなちょっとした投げかけもあり。

この本のテーマは無償の愛。


友人に自分の子、他人の子、そして私や
他の友人に、とても優しい人がいて、、、。

まさに、あの「おおきな木」に出てくる
りんごの木のようだなーと思っていました。

彼女が引越しで去っていったときに、
「おおきな木」の本をプレゼントしました。

その後彼女からもらった手紙に、
「思い出した時には、会いに来て。
 そして元気になって帰っていけるような
 りんごの木になりたい。」
と書いてあり・・・・。

もう既に、彼女は私の中ではりんごの木
だったんだのだけど。
私もりんごの木になりたいなー
と思ったことからきました。


親子関係は無条件に愛してしまう、無償の愛。

でも・・・子供が言うことを聞かなかったり、
思うようにならなかったとき、
それでも大好き!という思いが揺れる
親の気持ちの難しさ。

りんごの木は、だまって男の子の
成長を見守っていて。
私は、息子達にどれだけの
小言を言っているのだろう。

小さいときは手取り足取りだったけど、
兄(小4)はそろそろ遠くから眺めて、
必要なときにはそっと寄り添うという
なりんごの木にならないと。

今ちょうど人生で大切な伝えるべきこと
を聞いてくれる最後の年齢・・・
つのつく年齢(九つ)を迎えてます。

後、何と何を伝えなきゃいけないかな
・・・と思案中。

今後ともよろしくです!