来る10/24 札幌カウンターアクションにて 札幌ロカビリーの草分け的イベントTEDDY BOY NITE。
俺の先輩方がやってるイベントだ。
15周年という節目の今年、幕を閉じるTEDDY BOY NITEにSIDE ONEが一日だけ再結成して出演する。
SIDE ONEは俺が20才から10年やったバンド。vo.gr アキラ ba ユウジ dr ワタル のトリオバンド。
札幌時代の俺たちはストレイキャッツに憧れ、へたくそな演奏だったけどハートだけは誰にも負けないぐらい熱かった。
毎日レコード探して、服探して、ビデオ見まくって動きまねして、ギターコピーして、3人で朝まで毎日のようにセッションし
たり当時ワタルが働いてた JACK MORRISというロカビリーショップにたむろしてた。
俺の住んでたアパート(木造)でアンプから大音量出してSLAPバキバキでスネアも思いっきり叩いてやるもんだから
かなり近所 迷惑だった。近所のヤンキーに怒鳴られてもめたり、近所の女の子から
毎日聞こえてくる音楽が素敵です。って手紙もらったりした。 今 考えたらアホなくらい若いっす。
毎日リーゼントして目張りいれてロカビリーパンツにラバーソールはいて。
先輩の斉藤君の家に行くといろんな見た事ないものがあったり音源があったりビデオがあったり
それはそれは超一級のロカビリー勉強会ですよ。
そしてSPIKEとも札幌時代からよくLIVEを一緒にやってた。ツヨチャンは本当に同じ年でこんな才能をもった奴はいないよって
思ってたからイマの活躍は本当に俺もうれしい。
ユウちゃんはBUDDY HLLYマニアで家にいってたくさんBUDDY HOLLYもののレコードをみせてもらったりした。
そういうことがあったから東京でてからもなめられなかった。
そして俺の基本的な音楽感もそんなところに影響されてる。
情報が本当に少なかったから少ない情報を最大限に見て聞いてまねて、あと自分達の想像力でおぎなった。
本当に貪欲だったし
本当に情熱があった。
そういう多感な時期にそんな仲間がいた事を本当によかったなと思う今日このごろだ。
そして俺たちはそんな札幌という街から東京にでた。
仲間達から見送られて。本当にギター一本もって俺は東京に出た。
斉藤君に言われた一言、アキラ、不良だぞ。不良。
そう言えば東京での先輩THE 5TEAR DROPSのサンソンさんに一度聞いた事がある。
『サンソンさん、不良ってなんなんすかね?』
『それはいつまでも子供のこころをもってるって事なんじゃねーか。』
イマでもその二つの言葉は忘れてません。
1991年上京。
そしてSIDE ONEが1993年のミロスガレージの5周年イベントに出た時に
CUTIEに載った写真
この時のDJは大貫憲章さん、藤原ヒロシさん、マサミさん、ドク.ホリディさん、コブラさん、マナブさん、
シミズさん、ECDさん、ショウジくん、2GOさん、ムラジュンさん、タゴさん、カトウちゃん、アメミヤさん、
ロディオ、more,more,
そんなところに混ぜてもらえて本当によかった。
そしてまた新しい仲間達に俺たちは出会った。
つづく
俺の先輩方がやってるイベントだ。
15周年という節目の今年、幕を閉じるTEDDY BOY NITEにSIDE ONEが一日だけ再結成して出演する。
SIDE ONEは俺が20才から10年やったバンド。vo.gr アキラ ba ユウジ dr ワタル のトリオバンド。
札幌時代の俺たちはストレイキャッツに憧れ、へたくそな演奏だったけどハートだけは誰にも負けないぐらい熱かった。
毎日レコード探して、服探して、ビデオ見まくって動きまねして、ギターコピーして、3人で朝まで毎日のようにセッションし
たり当時ワタルが働いてた JACK MORRISというロカビリーショップにたむろしてた。
俺の住んでたアパート(木造)でアンプから大音量出してSLAPバキバキでスネアも思いっきり叩いてやるもんだから
かなり近所 迷惑だった。近所のヤンキーに怒鳴られてもめたり、近所の女の子から
毎日聞こえてくる音楽が素敵です。って手紙もらったりした。 今 考えたらアホなくらい若いっす。
毎日リーゼントして目張りいれてロカビリーパンツにラバーソールはいて。
先輩の斉藤君の家に行くといろんな見た事ないものがあったり音源があったりビデオがあったり
それはそれは超一級のロカビリー勉強会ですよ。
そしてSPIKEとも札幌時代からよくLIVEを一緒にやってた。ツヨチャンは本当に同じ年でこんな才能をもった奴はいないよって
思ってたからイマの活躍は本当に俺もうれしい。
ユウちゃんはBUDDY HLLYマニアで家にいってたくさんBUDDY HOLLYもののレコードをみせてもらったりした。
そういうことがあったから東京でてからもなめられなかった。
そして俺の基本的な音楽感もそんなところに影響されてる。
情報が本当に少なかったから少ない情報を最大限に見て聞いてまねて、あと自分達の想像力でおぎなった。
本当に貪欲だったし
本当に情熱があった。
そういう多感な時期にそんな仲間がいた事を本当によかったなと思う今日このごろだ。
そして俺たちはそんな札幌という街から東京にでた。
仲間達から見送られて。本当にギター一本もって俺は東京に出た。
斉藤君に言われた一言、アキラ、不良だぞ。不良。
そう言えば東京での先輩THE 5TEAR DROPSのサンソンさんに一度聞いた事がある。
『サンソンさん、不良ってなんなんすかね?』
『それはいつまでも子供のこころをもってるって事なんじゃねーか。』
イマでもその二つの言葉は忘れてません。
1991年上京。
そしてSIDE ONEが1993年のミロスガレージの5周年イベントに出た時に
CUTIEに載った写真
この時のDJは大貫憲章さん、藤原ヒロシさん、マサミさん、ドク.ホリディさん、コブラさん、マナブさん、
シミズさん、ECDさん、ショウジくん、2GOさん、ムラジュンさん、タゴさん、カトウちゃん、アメミヤさん、
ロディオ、more,more,
そんなところに混ぜてもらえて本当によかった。
そしてまた新しい仲間達に俺たちは出会った。
つづく