皆さん、ごきげんよう。
久しぶりに、「創造せよっ!」から訴訟に関連する部分より。
●特許出願後一年半たったある日
この頃、実家から引っ越して私は一人で富士山の麓、河口湖のマンションで生活していたのだが、ある日、M電子部品という会社から電話があった。
今までまったくつきあいの無かった会社からの連絡だったので、「おかしいな、Mなんて銀行には借金は無かったはずだがなぁ」とボォッと電話を受けたのであるが、
話を聞いてみると、どうやら特許の件で電話してきたらしいということがわかった。
しかも、すでにこの特許をどこかの会社とがっぷり四つで一緒に展開しているのかどうかと、息せき切って尋ねてきたので、いやまだどこの会社ともやってはおりませんと返答すると、ぜひお会いしたいということで、できるだけ早いタイミングで打ち合わせをすることになった。
打ち合わせは、父の新宿の会社の事務所ですることになった。
どうやら特許出願した書類が一年半たって公開公報に載せられて、外部の人間でも閲覧できるようになったため、それを見て慌てて連絡してきたらしい。
数日後、打ち合わせのために新宿に出向いていった。
M電子部品からは、特許専門の知財担当の方と電子部品関係の企画担当の方の2名が来社された。
わざわざ、M社の総本山の住所位置にある会社、大阪から、こちらの東京新宿の小さな事務所に来ていただいて、おせんべいの菓子包みのお土産まで持って来ていただいて非常に恐縮であった。
まずは、こられて話が始まると同時に、どういうご希望なのでしょうかと尋ねると、私の出願した6本の特許を抱きかかえるようにして、「これが欲しいんです。」と、のたまわった。
このとき、私は天下のM社のグループ企業の担当の方が先方よりわざわざ話を聞きに来てくれただけでも、実際のところ天にも昇りたい気持ちであった。
入力装置の話で、未来の携帯電話として、ネックレスのような形をしていて、言葉で入力するような物も発表されているが、その弱点として、人前で私信を大声で読み上げる者はいないという話をし、
また現在のスイッチやジョグダイアルキーなどの指先入力検知技術から、音声入力技術という入力方式の間には海や山のような大きなへだたりがあり、まだまだそこには永遠の長い距離があって、われわれ入力装置の発明・開発者には、そこがまた未知の領域であり、宝の山でもあると言う話をすると、まったくそのとおりだと、大いに雷同して興奮して話は続いた。
そして、企画担当の方がいまにもなんとか権利を押さえて確保するという意気込みになったので、知財担当の方が、まぁまぁそうあわてなさんなと、とりあえず前向きに協力してがんばってみましょう。まず、この特許の内容でこの入力装置が売り物になるか営業をかけてみますと言われて帰っていった。
M電子部品の来社は、私自身も自分の置かれていた状況が余りにも厳しい状況であったので、私にとっては非常に喜ばしい事だった。
天下のM社が先方からやってきてくれたのだから。
このことを母が叔母に話すと、よかったねぇと叔母が泣き出したと言うことであった。
一族としては、それほどに大きな事件であったのである。
それから1年ほど待ったであろうか、しびれを切らせて電話をして状況を聞いてみると、部品メーカーとしてがんばって営業して、あらゆる装置メーカー、特に携帯電話メーカーに営業をかけてみたのだけれども、そのすべてのメーカーで、断られたと言うことで営業は失敗したとの事であった。
その理由を聞いてみると、明確なクリック感のあるプッシュボタンや、指先での転がし感のあるジョグダイアルの樹脂で出来たリング等と違って、この様なヌルリとした操作感の入力装置は、小型携帯端末にとって不向きであってエンドユーザーには受け入れられないと言うことを言われて、まったく受け付けてもらえなかった。とのことであった。
今日現在においても、このような小型携帯端末の製造メーカー等の当業者の思い込みは解消されておらず、各メーカーの企画部門や設計部門では、なかなか接触操作型入力装置は受け入れてもらえないようである。
別の観点から見ると、実は、このことは接触操作型入力装置を発明する上で、極端に大きな阻害要因となっていることは明白であった。
その当時の当業者であれば、このようなヌルリとした操作感の入力装置は、エンドユーザーに受け入れられないのは当たり前であると思い込んでいるから、絶対に思いつかないのである。
要するに、接触と言った瞬間に設計部門も企画部門も拒否反応が出るということだったのだ。
ともかく、営業的に失敗してしまったので、これ以上話は進みませんという返事だった
久しぶりに、「創造せよっ!」から訴訟に関連する部分より。
●特許出願後一年半たったある日
この頃、実家から引っ越して私は一人で富士山の麓、河口湖のマンションで生活していたのだが、ある日、M電子部品という会社から電話があった。
今までまったくつきあいの無かった会社からの連絡だったので、「おかしいな、Mなんて銀行には借金は無かったはずだがなぁ」とボォッと電話を受けたのであるが、
話を聞いてみると、どうやら特許の件で電話してきたらしいということがわかった。
しかも、すでにこの特許をどこかの会社とがっぷり四つで一緒に展開しているのかどうかと、息せき切って尋ねてきたので、いやまだどこの会社ともやってはおりませんと返答すると、ぜひお会いしたいということで、できるだけ早いタイミングで打ち合わせをすることになった。
打ち合わせは、父の新宿の会社の事務所ですることになった。
どうやら特許出願した書類が一年半たって公開公報に載せられて、外部の人間でも閲覧できるようになったため、それを見て慌てて連絡してきたらしい。
数日後、打ち合わせのために新宿に出向いていった。
M電子部品からは、特許専門の知財担当の方と電子部品関係の企画担当の方の2名が来社された。
わざわざ、M社の総本山の住所位置にある会社、大阪から、こちらの東京新宿の小さな事務所に来ていただいて、おせんべいの菓子包みのお土産まで持って来ていただいて非常に恐縮であった。
まずは、こられて話が始まると同時に、どういうご希望なのでしょうかと尋ねると、私の出願した6本の特許を抱きかかえるようにして、「これが欲しいんです。」と、のたまわった。
このとき、私は天下のM社のグループ企業の担当の方が先方よりわざわざ話を聞きに来てくれただけでも、実際のところ天にも昇りたい気持ちであった。
入力装置の話で、未来の携帯電話として、ネックレスのような形をしていて、言葉で入力するような物も発表されているが、その弱点として、人前で私信を大声で読み上げる者はいないという話をし、
また現在のスイッチやジョグダイアルキーなどの指先入力検知技術から、音声入力技術という入力方式の間には海や山のような大きなへだたりがあり、まだまだそこには永遠の長い距離があって、われわれ入力装置の発明・開発者には、そこがまた未知の領域であり、宝の山でもあると言う話をすると、まったくそのとおりだと、大いに雷同して興奮して話は続いた。
そして、企画担当の方がいまにもなんとか権利を押さえて確保するという意気込みになったので、知財担当の方が、まぁまぁそうあわてなさんなと、とりあえず前向きに協力してがんばってみましょう。まず、この特許の内容でこの入力装置が売り物になるか営業をかけてみますと言われて帰っていった。
M電子部品の来社は、私自身も自分の置かれていた状況が余りにも厳しい状況であったので、私にとっては非常に喜ばしい事だった。
天下のM社が先方からやってきてくれたのだから。
このことを母が叔母に話すと、よかったねぇと叔母が泣き出したと言うことであった。
一族としては、それほどに大きな事件であったのである。
それから1年ほど待ったであろうか、しびれを切らせて電話をして状況を聞いてみると、部品メーカーとしてがんばって営業して、あらゆる装置メーカー、特に携帯電話メーカーに営業をかけてみたのだけれども、そのすべてのメーカーで、断られたと言うことで営業は失敗したとの事であった。
その理由を聞いてみると、明確なクリック感のあるプッシュボタンや、指先での転がし感のあるジョグダイアルの樹脂で出来たリング等と違って、この様なヌルリとした操作感の入力装置は、小型携帯端末にとって不向きであってエンドユーザーには受け入れられないと言うことを言われて、まったく受け付けてもらえなかった。とのことであった。
今日現在においても、このような小型携帯端末の製造メーカー等の当業者の思い込みは解消されておらず、各メーカーの企画部門や設計部門では、なかなか接触操作型入力装置は受け入れてもらえないようである。
別の観点から見ると、実は、このことは接触操作型入力装置を発明する上で、極端に大きな阻害要因となっていることは明白であった。
その当時の当業者であれば、このようなヌルリとした操作感の入力装置は、エンドユーザーに受け入れられないのは当たり前であると思い込んでいるから、絶対に思いつかないのである。
要するに、接触と言った瞬間に設計部門も企画部門も拒否反応が出るということだったのだ。
ともかく、営業的に失敗してしまったので、これ以上話は進みませんという返事だった