朝、9時に出発
翌日の夕方、5時に帰宅
わずか32時間の旅
仙台は近い
10年後に飲むウイスキーを仕込む旅
10年後、何をしているのだろうか
私も猫様達も生きているのだろうか
<ニッカウヰスキー仙台工場.宮城峡蒸留所>
俵万智さんのエッセイ
「百人一酒」の中に書かれていた
マイウイスキーづくりに憧れる
自分のつくったウイスキーが10年後に届く
素敵ですよね~
今年の春、念願叶い
北海道、余市工場でのマイウイスキーづくりが実現する
とても良い企画だったので、続けて仙台工場にも応募!
運よく当たる
行ってきました
仕込んできました
<原酒58度、美味しそ~う>
*F・T様、ありがとうございました
<余市でご一緒した新聞記者の方が書いた記事>
ニッカウヰスキー北海道工場(後志管内余市町)で
今年も『マイウイスキーづくり』が始まった。
一般の人が、一泊二日で製造工程を体験する企画だ。
自分たちがつくったウイスキーは貯蔵庫で熟成し、
10年後に1本のボトルに詰められて届く。
1987年が最初で、酒販店経営者が対象だった。
98年から公募形式になり2006年まで3、140人が参加した。
町内のホテルの宿泊と朝食、
工場内のレストランでの夕食と昼食付で、参加料2万円。
競争率は時に10倍を越すという。
半ばあきらめながら応募したところ、当選の通知が来た。
一日目。
講義と、簡単な自己紹介で始まった。参加者は18人。
東京、新潟、京都、福岡など各地から集まった。
友人同士、親子、夫婦、男、女。
作業服を着て蒸留作業の体験に入った。
ピートをくべ、麦汁の味を試し、石炭を火に入れ、釜の掃除をした。
創業者である竹鶴政孝・リタ夫人のエピソードを聞きながら、
夕食の会話は弾んだ。
『79歳の父と、10年後に一緒に飲みたい』と言った女性は、
親の長寿を願って参加したのだろう。
2日目。
樽作りを体験。新しい樽に一人ずつサインをした。
無色透明の蒸留液が注がれた、これが年月を経て琥珀色の酒となる。
重い樽にしっかりと栓をして、皆で慎重に転がして運んだ。
そして薄暗い貯蔵庫の中で何度もなぜた。
『いい酒になれよ』の思いを込めながら。
ウイスキーづくりの2日間は
『これまで』と『これから』を考える時間でもあった。
(2007年5月23日 北海道新聞)
5月、余市に参加した時、私の仕事はドン底
10年後は生きていないと、濃い酒をあおる
今回の仙台では、75歳の男性が奥様と参加されていました
その勇気に感服、そして乾杯!!
まだまだ若い自分が絶望してどうする
10年後、成功した自分の姿を想像しながら
樽にサインを入れる
三太郎の右目の上、うっすらと血がにじんでる~
帰宅後、気がつく
マーキングも数ヶ所有り
やっぱ留守をすると、喧嘩する
ガックリ
夜のベットは数匹が陣取る
おかげで温かく、熟睡
実は仙台の夜、座敷わらしに
押さえ込みをくらい、
ほとんど眠ることができませんでした
怖かった~
詳細はまた明日
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私はジュルのしっぽさんのブログを見て、この活動を知り署名をいたしました
動物虐待が阻止できる、この署名運動。リンクの輪を広げませんか?
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仙台は近い
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10年後、何をしているのだろうか
私も猫様達も生きているのだろうか
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俵万智さんのエッセイ
「百人一酒」の中に書かれていた
マイウイスキーづくりに憧れる
自分のつくったウイスキーが10年後に届く
素敵ですよね~
今年の春、念願叶い
北海道、余市工場でのマイウイスキーづくりが実現する
とても良い企画だったので、続けて仙台工場にも応募!
運よく当たる
行ってきました
仕込んできました
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*F・T様、ありがとうございました
<余市でご一緒した新聞記者の方が書いた記事>
ニッカウヰスキー北海道工場(後志管内余市町)で
今年も『マイウイスキーづくり』が始まった。
一般の人が、一泊二日で製造工程を体験する企画だ。
自分たちがつくったウイスキーは貯蔵庫で熟成し、
10年後に1本のボトルに詰められて届く。
1987年が最初で、酒販店経営者が対象だった。
98年から公募形式になり2006年まで3、140人が参加した。
町内のホテルの宿泊と朝食、
工場内のレストランでの夕食と昼食付で、参加料2万円。
競争率は時に10倍を越すという。
半ばあきらめながら応募したところ、当選の通知が来た。
一日目。
講義と、簡単な自己紹介で始まった。参加者は18人。
東京、新潟、京都、福岡など各地から集まった。
友人同士、親子、夫婦、男、女。
作業服を着て蒸留作業の体験に入った。
ピートをくべ、麦汁の味を試し、石炭を火に入れ、釜の掃除をした。
創業者である竹鶴政孝・リタ夫人のエピソードを聞きながら、
夕食の会話は弾んだ。
『79歳の父と、10年後に一緒に飲みたい』と言った女性は、
親の長寿を願って参加したのだろう。
2日目。
樽作りを体験。新しい樽に一人ずつサインをした。
無色透明の蒸留液が注がれた、これが年月を経て琥珀色の酒となる。
重い樽にしっかりと栓をして、皆で慎重に転がして運んだ。
そして薄暗い貯蔵庫の中で何度もなぜた。
『いい酒になれよ』の思いを込めながら。
ウイスキーづくりの2日間は
『これまで』と『これから』を考える時間でもあった。
(2007年5月23日 北海道新聞)
5月、余市に参加した時、私の仕事はドン底
10年後は生きていないと、濃い酒をあおる
今回の仙台では、75歳の男性が奥様と参加されていました
その勇気に感服、そして乾杯!!
まだまだ若い自分が絶望してどうする
10年後、成功した自分の姿を想像しながら
樽にサインを入れる
三太郎の右目の上、うっすらと血がにじんでる~
帰宅後、気がつく
マーキングも数ヶ所有り
やっぱ留守をすると、喧嘩する
ガックリ
夜のベットは数匹が陣取る
おかげで温かく、熟睡
実は仙台の夜、座敷わらしに
押さえ込みをくらい、
ほとんど眠ることができませんでした
怖かった~
詳細はまた明日
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私はジュルのしっぽさんのブログを見て、この活動を知り署名をいたしました
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