先日、首相官邸と経済産業省に国民の意見としてメールをしました。
首相官邸のご意見メールに国民の声として、自由に発言したほうがいいと思います。
先ほど、週1回のヨガに行ったら、初めてお会いした方から「浜岡原発の停止について署名をしてくれませんか?」と頼まれました。その場に居た人々はほとんどが主婦でしたので、喜んで署名をしました。
その時、私は署名は知事に提出するものとして、それなりに効果があると思いますけど、署名のほかにも政府にメールした方がいいですよ。とお話したところ・・・そんな私たちが直接、政府に物を言う事ができるの
という、驚きの反応が返ってきました。
私達は税金を払っていて、国民の義務を全うしている納税者ですから、選挙権も持っているのですから、言いたいことを言って、政治に反映してもらわなくては・・・と思うのです。政治家のための日本ではありません。国民のための政府なのではないのでしょうか?政治家は雲の上の人々ではありませんし、私たち有権者が投票したから肩書きが政治家なわけです。
にわか政治家の人々より官僚たちの方が専門的には何倍も詳しく、賢いと思います。政府と官僚に国を動かしてもらうためにも、生の声を伝えたほうがいいし、意味をなさないものとは思っていません。霞ヶ関に詰めているだけでは、様々な人の状況、意見は伝わらないし、実感がないのは当然です。浜岡原発の稼動に反対する署名をした人々が、直接政府に物を言ったら・・・それなりに反応が多いんだな・・・と感じられるからです。
署名は県知事に渡されるのであれば、メールというツールを使って、内閣にも意見をするのはいい事だと思うのです。
日本国民の一人として、いまや命が脅かされている、あらゆる生態系の存続が脅かされているということです。原発という現代の国民の生活を便利に豊かにしてくれるが、他の電力よりコストが低いといわれている原発が引き起こしたこの問題
3月11日からもう3週間ですが、いまだに解決できない問題は深刻きわまります。
3月30日に下記の短文メールですが、首相官邸発で返信がありました。機械的に返信されたわけではないと感じています。なぜかというと、意見メールを送ってから数日たってから返信があったからです。担当者は誰であれ、目は通してくれていると思います。または、機械的にアルバイトが返信しているとしたら・・・最悪ですが・・・。
ご意見等を受領し、拝見しました。
首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当
たとえ、これが機械的な物だと思っても、無駄ではないと思うのです。
首相官邸のご意見メールに国民の声として、自由に発言したほうがいいと思います。
先ほど、週1回のヨガに行ったら、初めてお会いした方から「浜岡原発の停止について署名をしてくれませんか?」と頼まれました。その場に居た人々はほとんどが主婦でしたので、喜んで署名をしました。
その時、私は署名は知事に提出するものとして、それなりに効果があると思いますけど、署名のほかにも政府にメールした方がいいですよ。とお話したところ・・・そんな私たちが直接、政府に物を言う事ができるの

私達は税金を払っていて、国民の義務を全うしている納税者ですから、選挙権も持っているのですから、言いたいことを言って、政治に反映してもらわなくては・・・と思うのです。政治家のための日本ではありません。国民のための政府なのではないのでしょうか?政治家は雲の上の人々ではありませんし、私たち有権者が投票したから肩書きが政治家なわけです。
にわか政治家の人々より官僚たちの方が専門的には何倍も詳しく、賢いと思います。政府と官僚に国を動かしてもらうためにも、生の声を伝えたほうがいいし、意味をなさないものとは思っていません。霞ヶ関に詰めているだけでは、様々な人の状況、意見は伝わらないし、実感がないのは当然です。浜岡原発の稼動に反対する署名をした人々が、直接政府に物を言ったら・・・それなりに反応が多いんだな・・・と感じられるからです。
署名は県知事に渡されるのであれば、メールというツールを使って、内閣にも意見をするのはいい事だと思うのです。
日本国民の一人として、いまや命が脅かされている、あらゆる生態系の存続が脅かされているということです。原発という現代の国民の生活を便利に豊かにしてくれるが、他の電力よりコストが低いといわれている原発が引き起こしたこの問題

3月30日に下記の短文メールですが、首相官邸発で返信がありました。機械的に返信されたわけではないと感じています。なぜかというと、意見メールを送ってから数日たってから返信があったからです。担当者は誰であれ、目は通してくれていると思います。または、機械的にアルバイトが返信しているとしたら・・・最悪ですが・・・。
ご意見等を受領し、拝見しました。
首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当
たとえ、これが機械的な物だと思っても、無駄ではないと思うのです。