8月22日に、私たちが12年間、必死に守り続けてきた、プーちゃんこと、マイネルディンプル号が最後の呼吸を止めました。
これまでも、何度も「安楽死?」という局面を乗り越え、その都度、不死鳥のように立ち上がったプーちゃんでしたが、ついにメラノーマが最後の一撃を与えてしまいました。
7月9日、発作を起こし、おかしな状況が続いておりましたが、なんとか薬で押さえ込んでいたように見えました。
しかしメラノーマは確実に進行しており、21日の夕方、立てなくなり、翌日11時半に、最後のボロを出した直後に死亡しました。
黒いメラノーマの液体と血液が混ざっており、私のこれまでの経験から、大腸破裂したのではないかと思っています。
皮肉にも22日は、車の新旧入れ替え、納車のため、自分はディーラーに出向く必要が、あり、また、21日の夕方の時点では、日程変更の連絡はできず、22日の朝一番で車を入れ替え、自宅に向かう途中で訃報を受けました。
動かなくなったプーさんと対面。鬣と尻尾の毛を衣髪として切り取り、まだ暖かいプーさんの首を撫で、これまでのガッツとファイトを讃え、長きに渡りスピくんの「家庭教師」の労を労いました。
活字にすれば、とてもシンプルですが、治療、対処に明け暮れた12年でしたので、まだ受け入れられないというところです。
僕ちんは〜
11歳で死ぬところを手術してもらって助かり〜
18歳でヒグマの餌にされるところを拾われて助かり〜
以来、12年間、幸せだったよ〜〜〜〜!
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マイネルディンプル、スプレモ会は存続いたしますが、ディンプルの支援のために入会された方で退会を希望される方、また、口数の変更を希望される方は、引退馬ネットまでお知らせください。
会則をご確認ください
今後、プーちゃんを語る会を設ける予定です。また、これから企画を進めてメモリアルグッズの制作をいたします。概ね、年末までにと考えですので、メモリアルグッズを受け取ってから退会されても構いません。
引き続き、スピくんを支えながらプーちゃんの思い出を語り合おうという方には、スピプークラブをこれからもご支援いただければ幸いです。
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プーちゃん、旅立ちの経緯
8月20日までは普段通り、放牧に出て、普通に過ごしていました。
8月21日は、プーちゃんの体調が悪いとの判断で、放牧に出なかったため、スピは一人で放牧に出ました。しかし1時間ほどすると、相棒が出てこないことを不審がり、帰る、帰ると大暴れしたそうです。
この時は、体調は悪いものの、プーちゃんは部屋の中で、起きていて、ご飯もしっかり食べていました。
ところが夕方、ついに寝込んでしまいました。
深夜までの間にお腹にロープを回して、3回ほど起こすチャレンジをしましたが、足に全く力が入らず、苦しい状況であることがわかったため、このまま体位変換しながら様子を見ることになりました。
スタッフさん達は、「おかんが来るまで頑張って!」という思いだったと思います。
夜、スピプークラブの役員で緊急に打ち合わせをしたところ、広報担当者が「午前中だけなら行ける!」と言ってくれました。
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22日の朝、広報のKさんが深夜移動、朝の小海線で牧場入りを果たし、朝から、ナデナデ、いい子いい子と声をかけ、スタッフ総出で体位変換をしつつ励まし続けてくれました。
この時、自分は16年乗った愛車をディーラーに運び、ディーラーで新しい車に乗り換える真っ最中でした。ディーラーを出たのが11時少し前。途中、渋滞で低速走行になった際、メッセンジャーで役員全員に繋ぐと、全員が、「頑張れー、プーちゃん、頑張れー」と声をかけていました。
慣れない車の運転中でもあり、状況がわからないまま切り、自宅まで半分ほどの道のりに来て、ひどい渋滞となったため、再びメッセンジャーで全員に繋ぐと代表が応答し、「先ほど息を引き取りました」と。
不死身のプーちゃんが死ぬわけない、何?何だって?と何度も聞き返しました。
自宅に着いたのは13時少し前。そこから食料品を車に積み込み、キティを乗せて、途中、ガソリンを満タンにし、スーパーでお花を買って牧場に向かいました。牧場に到着したのは1620頃。急遽、別の会員さんが駆けつけてくださっていました。
キティさんにも、プーちゃんをしっかり見せました。「静内で毎日、窓の外で見てたあのお馬ちゃんだよ」と。
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8月23日は悲しい、プーちゃんの搬出でした。
スピくんを放牧に連れ出す際、搬出される直前のプーちゃんと対面させたところ、
馬房を覗き込み、目を大きく見開きました。
プーちゃんには馬着をかけられていて姿形が見えな買ったせいか不審がり、
大きくフレーメンをして匂いを嗅ぎ、
相棒だ!と確信したのか、馬房の中に突入しようとしました。
だめ、と引き留め、何度か叱り、「もうプーちゃんはいないんだよ!」と言い聞かせ、放牧に出ました。
最初はいつものようにすぐに青草を食べ始めましたが、すぐにいつもプーちゃんがいた仕切りの中に突入。プーちゃんが踏み固めた地面をクンクンと匂いを嗅ぎながら、探しているようでもありました。
放牧から戻ると、馬房は清められており、祭壇ができていました。
通り過ぎざま、「え?」と立ち止まり、中を覗き込みましたが、それ以上のことはせず、大人しく自分の部屋に入りました。
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そして今朝、スピくんはいつものように放牧地に向かう時
いつもプーちゃんを待つ場所で立ち止まり、
来ることのない相棒を待っていたそうです。
「プーちゃん来ないよ。行こう!」とスタッフさんに声をかけられると、トボトボと歩き出したとのこと。
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ご報告は以上となります。
プーちゃんは、メラノーマに苦しめられ、最後もメラノーマに命を取られた形になりますが、思い出してください。プーちゃんが、乗馬引退後、12年余りの余生を得られたのは、彼がメラノーマを患っていたからです。
もしも彼が鹿毛、黒鹿毛、栗毛などであれば、さっさと肉屋に売られていたのです。
重症のメラノーマに限らず、高齢で芦毛であれば、七割は体内にメラノーマを持っているため、肉屋は引き取りません。
引き取り手がないから、当時の経営者は、「お金をかけずにプーちゃんを廃棄する方法」として、原野に放ち、ヒグマの餌にすることを選びました。
一頭一万円を払うとトラックが迎えにきて、十勝の山奥に生きたまま放つのですが、環境が過酷で長く生きることはできません。冬が来る頃にはどんなに頑張って生きていたとしてもヒグマに捉えられます。するとヒグマは大きな餌にありつくため、人里に降りてこないのだとか。
プーちゃんは、2012年3月31日に廃馬決定がされたものの、引き取りやのトラックいっぱいに馬が集まるのを待つため、4月になってもまだ乗馬施設にいたのでした。
そこからハッピーホースインのストーリーは始まりました。
ですから、メラノーマのやつが憎いけど、そのメラノーマがあったから命を拾った、奇跡の馬なのです。
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これから12年間の「プーがいた日々」の思い出をまとめて行こうと思います。
そこには、スピ、愛犬ネッ子、迷い猫キテイ、ヘルプさん、そしてプーちゃんを助けるために集まった人たちとの交流があります。
プーちゃんのことを忘れられないように、記録に残して行こうと思います。
追伸:22日、プーちゃんが死亡した夜から下腹に違和感を覚え、23日、搬出後、すぐに病院に行きましたが、再び、石が暴れていることが判明。前回は、愛犬が亡くなった直後の牧場訪問の初日に、激痛に見舞われました。これも愛犬やプーちゃんが、「おかん、健康に気をつけて」と合図してくれたのかもしれません。
プーちゃんを支えてくれた薄井さん、スピ君、そして多くの会員に感謝します。薄井さんに迎えられてからのプーちゃんの
馬生は正に雲外蒼天でした。
薄井さん、プーちゃんがいなくなって、精神的に落ち込み体にそれが影響してくると思います。ちゃんと食事をとって適当に運動をして下さい。
今まで何度も危機に面したのに、しっかり立ち直ってくれたので、今回も、もう一回、立ち上がって欲しい、と思ったのですが、状況が愛犬とよく似ていて、厩舎カメラを見て、もうだめだ、あとは自分が到着するまで生きていてくれ、と祈っていました。
自分は間に合いませんでしたが、会ができた当初から支援してくれていた広報担当が朝、牧場に入ってくれて、みんなの声を聞きながら旅立ったとのことです。
長い間、支えていただき、ありがとうございました。
スピくんは、願わくば病気ネタがないことを祈ってます。
2013年、困り果てていた時に、「何かできるならやってみて欲しい」との言葉を頂いて、サポート会を作る決心がつきました。以来、長い間、ありがとうございました。
どんな雲の上も晴れている。
プーちゃんの馬生は、まさに雲外蒼天でした。今頃、天国で、12年間の想い出を自慢話にしているのではないでしょうか。