ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北

「外島保養院移転予定地」だった
大阪府(旧)泉北郡の地元からの発信

10月5日(土)長島愛生園を訪ねました

2013年10月10日 03時43分15秒 | 日記
今日は近藤さんの3回忌にあたる命日でした。

体調を崩しているYさんのお見舞いも兼ねて、三宅ミ、三宅ヨ、岡本、門林、山本で愛生園を訪問してきました。病棟に入院しているYさんは少し疲れているようでしたが、話し始めると少しずつ元気になり、ベットで横になりながらも「お母さんのことを書こうと思っています」ということを話してくれました。
その後、不自由者棟に転居した金泰九さんを訪問すると、、、最初は留守でしたが、カラオケに行っていたようで、お部屋におじゃましてお話をさせていただきました。目も耳も不自由になったとなげいていましたが、“口”と頭の回転はまだまだ大丈夫のようで、「“90歳に乾杯!”という本を口述筆記でもがんばって執筆してください」と励ましていました。

東京の友人Aさんから送っていただいた花を持って納骨堂で手を合わせました。Yさんのいる病棟には、大阪から持って行ったお花を飾りました。
愛生園ではいつもは見たことのない蟹がたくさん現れたり、帰りには鹿まで現れました。これは姿を変えて近藤さんが私たちに会いにきてくれたのだと私は思うことにしました。(少し強引ですが、、、)

愛生園や光明園には職員削減に反対する立看板がありました。裁判に勝ってもまだ闘いつづけなければならない状況があるということを忘れてはならないし、そのことに対して私たちのできることは何なのかを考えなければならないと思います。
そうでなければ、裁判前の状況と何ら変わらないことになるのではないでしょうか、、、。(ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北代表)

長島愛生園


邑久光明園