いつもご覧頂きありがとうござます。
茨城県古河市のある方から、「亀田鵬斎」の掛け軸があるから見て欲しいとご依頼をいただきました。
亀田鵬斎
亀田鵬斎(1752-1826)は上野国(群馬県)で生まれたとされています。幼名は弥吉。名は長興、字は穉竜、鵬斎・善身堂と号しました。書は三井親和、儒学は井上金峨に師事し、折衷学者として有名です。23歳の時から家塾を開き、子弟の教育にあたり、34歳の時に駿河台に移して育英堂と称しました。門弟はかなりの数いたようです。しかし、朱子学再興を計った「寛政異学の禁」によって閉塾を余儀なくされ、放浪の隠士となります。懐素の書を学び草書を得意とします。(と言われることが多いですが、懐素と通底するのは雰囲気だけで、筆法や章法は独自です) 一時、良寛とも親交がありました。
本会の亀田有鵬先生もその末裔ということもあり、何かとご縁が深く、このようなご依頼があるのはまさに墨縁とも言えます。
本物であっても、贋作であっても、持ち主の方にとっては大切な作品です。慎重に扱います。
掛け軸は素手で扱います。
①爪を切ります。
②手を洗います。
③マスクをかけます。
ここまでは、基本中の基本。ここからは慎重に扱います。
掛け軸を開いて一文字目の「松」という文字が見えた瞬間、確信しました。これは真筆です!
墨や線の雰囲気が尋常ではありません。
ここからは、書かれてある内容の読解と精査、落款のスタイルの確認など、裏付けの作業を行います。
桐箱の中に香木が撒かれていること、発装だけがひどくい傷んでいることから、とても大切にされてきたことがわかります。
いいものを扱うと、気持ちが引き締まります。
書道に携わって良かった!と思う瞬間です。
茨城県古河市のある方から、「亀田鵬斎」の掛け軸があるから見て欲しいとご依頼をいただきました。
亀田鵬斎
亀田鵬斎(1752-1826)は上野国(群馬県)で生まれたとされています。幼名は弥吉。名は長興、字は穉竜、鵬斎・善身堂と号しました。書は三井親和、儒学は井上金峨に師事し、折衷学者として有名です。23歳の時から家塾を開き、子弟の教育にあたり、34歳の時に駿河台に移して育英堂と称しました。門弟はかなりの数いたようです。しかし、朱子学再興を計った「寛政異学の禁」によって閉塾を余儀なくされ、放浪の隠士となります。懐素の書を学び草書を得意とします。(と言われることが多いですが、懐素と通底するのは雰囲気だけで、筆法や章法は独自です) 一時、良寛とも親交がありました。
本会の亀田有鵬先生もその末裔ということもあり、何かとご縁が深く、このようなご依頼があるのはまさに墨縁とも言えます。
本物であっても、贋作であっても、持ち主の方にとっては大切な作品です。慎重に扱います。
掛け軸は素手で扱います。
①爪を切ります。
②手を洗います。
③マスクをかけます。
ここまでは、基本中の基本。ここからは慎重に扱います。
掛け軸を開いて一文字目の「松」という文字が見えた瞬間、確信しました。これは真筆です!
墨や線の雰囲気が尋常ではありません。
ここからは、書かれてある内容の読解と精査、落款のスタイルの確認など、裏付けの作業を行います。
桐箱の中に香木が撒かれていること、発装だけがひどくい傷んでいることから、とても大切にされてきたことがわかります。
いいものを扱うと、気持ちが引き締まります。
書道に携わって良かった!と思う瞬間です。