私は男性である。いま現在も男性であり、これから先も心身ともに男性として、区別されたり従ったりしていくことだろう。根っからの男性であるが、女性になりたいと思ったことは、ないでもない。37歳となったいまでこそ、周囲からその声を聞くことはなくなったが、男性としておそらく尋常ではないほど「かわいい」と言われる回数がなぜか多いので、加えて野郎からも言われる始末で、もし女性であったなら相当かわいかったのではなかろうか。ただし、謙遜ではなく額面どおり、容姿はべつとして。プリティーではなくファニーという意味でのかわいいなのだろうと、身をもって知っている。よくも悪くも、私は2つの性のうちの男性だ。私を女性だと思い込んでいた貴兄がいらしたら、ごめんなさい。
私は左利きである。左利きではあるが、幼少のころはまわりに左利きが誰もいなかったので、はずかしくなって小学校入学前日に自主的に右利きへ矯正をした。酒を呑むようになり、恥も外聞もなくなってからは、その時々で楽なほうの手を使うようになった。ペンや刃物はなぜか先天的に右手オンリーだが、ほかのことはだいたい左手が楽だ。というように、厳密には両利きであるが、どっちかといえば10人に1人の割合でいるらしい左利きである。私をゴリッゴリの右利きと思い込んでいた球団スカウトがいらしたら、ごめんなさい。ちなみに、怪我や病気でもないのに右利きから左利きに矯正して「おれ、左利きなんだよね」とか言っちゃってるやつは、やっぱ服役だなぁ~。「ファッション左利きの刑」で。ウン。はずかしいから右利きになり、はずかしさの概念がないから左利きになるのだ。
2011年の4月6日、私はバースデイ休暇の大半を病院内ですごした。会社の健康診断で、X線の再検査を食らったのだ。
思えば、誕生日なのにそれしか予定がないさみしさもひとしおだが、齢32にして健康診断で引っかかるのだから、事の重大さを受け入れざるを得ない。
が、軽い気持ちだった。齢32にもなって誕生日に浮かれていたわけではないが、健康診断の再検査を受ける好奇心がどこかにあったのは事実。若い時分から年寄りじみた素地があり、早く大人になりたいと思ってもいたのだから、体の不調もその一環として、CTスキャン初体験は逆においしいと感じていたのではないだろうか。
その日のうちには検査結果は出なかったが、ただ、肺の血管が腫れていると知らされた。2週間後、診断が下された。
サルコイドーシス、とのことだった。
まったく馴染みのないその病名は、発症も治療方法も不明の、10万人に1人がかかる難病といわれているものだった。とはいえ、だ。現代医学でもよくわかっていない極めてまれなこの病気、運よく肺に発症したということもあり、自覚症状も何もないばかりか、ほっといても支障がなく、だいたいが自然治癒されるというから、まったく人騒がせなものだった。前もって3つの可能性があると同世代とおぼしき医師から伝えられており、そのうちの2つが字面からしてやばさが物語っている悪性リンパ腫と結核なのだから、これにはホッと(患っている)胸をなで下ろしたものだ。
となると、である。
2人に1人の男性であり、10人に1人の左利きであり、10万人に1人のサルコイドーシスということは、だ。
つまり、200万人に1人の人間であるのだ、私は。
「4つの血液型のうちのA型であるというのもつけ加えれば?」といった面倒な試算は柳に風で、195万都市の札幌市をさがしても、札幌在住の私がいない怪現象だ。もしかしたら、本当に私は札幌にいないのではないか。あと5万人もの赤ちゃんが生まれなければ私は表出しないのではないか。こうなったら、赤ちゃん5万人とこんにちはだ。よーし、がんばるぞ~!(平成28年10月1日現在)
サルコイドーシスを患ったその3年後の2014年6月17日。それまで何事もなく日々を暮らしていた独居の私は、実家の親に頼んで病院へ連れて行ってもらうことになる。そして、翌日の6月18日である。
私の右の胸に、心臓ペースメーカーが埋め込まれた。
サルコイドーシスが心臓に転移し、電気信号を送る機能を停止させたらしい。治っていないばかりか、ほっといても支障がないというのは、肺だけでのことだったのか。
術前術後のことは、ご想像におまかせするのは容易なことではないろうし、心臓を患った全員がそうとは限らぬいろいろなことが起こったけども、本稿では割愛する。ほかに書く機会があるのかはわからないが、私にとっては、一生ついてまわることになるだろう。ただ、周囲への感謝の念は忘れてはならない。
200万人に1人の私は、ステロイドを服用し、ペースメーカーの打ち出すビートに乗って生きている。