今日も平戸で庭ぐらし

登録文化財大曲家住宅
武家屋敷の庭 ギャラリー エル・ハルディン

今日も平戸で庭ぐらし 明日からは11月

2011年10月31日 | 日記
10月はいろいろあるけんね、忙しかとよ平戸は。

と、愛知県から平戸に通っていた頃よく聞いた言葉。
やはり住んでみてよく判りましたです。
おくんちを筆頭に本当にいろいろあるとよ。

「愚図の大忙し」おばさんは、楽しみながらも本当に「ばたくりまわる(ばたばたする)」10月でした。

それに加えて、またまたイノシシの大運動会!
今回は、もう!めげました。
苔という苔をひっくり返してしまいまして・・・

我が家の庭は、苔が売り、ですから。
苔の中の雑草をピンセットで取る努力の積み重ねですの。
その苔を何とまァ。一晩でひっくり返すなど、許されん!
と、腹が立つどころか、がっくり来てしまい、むなしさで意気消沈。
涙、出ましたもの。

やはり市役所に通報せねば。と電話。
農林課の若い人と猟師さんが見に来てくれました。

猟師さんいわく。
イノシシは利口だから厄介だもんね。
山の中に罠を仕掛けて周りに「美味しかもん(物)」置いとったら、気配を察していなくなるかもしれん。
「美味しかもん」作ってみるけん。

???
「美味しかもん」ってどんなもの?

マテバ椎とかドングリを蒸してつぶして焼酎とお酒で練って団子にするの。

美味しそッ!
って大笑いをして、それまでの意気消沈が少~し解消。




今日も平戸で庭ぐらし 10月の蚊

2011年10月19日 | 日記
10月にもなって、
というより、10月の下旬に差しかかろうというのに、
草取りおばさんを狙ってくる蚊がおる。

あちらも来年まで子孫を残さねばならず、必死の態。

でも、さすがに盛夏の頃とは違って、元気不足。
この元気不足の蚊について、昨日「季刊・そら 2011秋号」を読んでいて面白いことが。

「蚊の名残」「残る蚊」「後れ(おくれ)蚊」「あぶれ蚊」「哀れ蚊」そして「別れ蚊」・・・。
どれも力なく漂っている季節はずれの蚊のことです。
蠅(ハエ)でさえ、「残る蠅」「後れ蠅」などという言葉があるほど。
すっかり弱々しくなった嫌われ者たちにも、昔の人は、やさしいまなざしを注いでいたようですね。(季節の言葉より)

「別れ蚊」。
風情のある呼び名ですけど、
刺したら、今の時期でも痒いのです。
血、結構吸ったのね、みたいな・・・

皆様のお住まいのあたりには、まだ蚊はいるのでしょうか?

そういえば、都会では特にビルの中のように気温が保たれているところでは、
1年中いるそうですね。

平戸では、蚊取り線香もそろそろ終わりにしたいと思っていますが・・・






今日も平戸で庭ぐらし 変わらぬこと

2011年10月19日 | 日記
もう日付が変わってしまって、昨日のことですが。

久しぶりに山口県長府へ。
長府毛利邸周辺の町並み。
何度行ってもまた訪ねたいと思う長府ファンですの。

何故ファンになったか、と言うと
変わらないから、というのが理由です。
町並み保存のルールを作って、それを守ることの価値を知っている人たちの町並みは美しいなァ。
と、行くたびに感心。

それに加えて、見せ方が洗練されているのも心地よさ、かも。

下関から、車で10分くらいのところです。
もし、下関へおいでの機会がありましたら、ちょっと足を延ばしてみて下さいませ。

帰ってきたら、冷え込んできましたね。
こうやって秋は深まっていくようで。
皆さま、風邪ひかないように・・・


今日も平戸で庭ぐらし 秋丁子

2011年10月17日 | 日記
8月23日の大雨の後、いくつかの植物が枯れてしまいました。
枯れた、というより溶けてしまった、というような感じでした。
大雨が降った後に、日照りが続きましたから、
水分のバランスがうまくいかなかったのかしら、と。
もう少しこまめに見ていればよかったのですが・・・

その中で、秋丁子が咲き始めました。
正確には、関の秋丁子かも。
独特の青い小さな花ですが、
この時期、青い花は少ないので、ささやかに咲いていても目が吸い寄せられるよう。
(写真をお見せしたのですが、アップロードできません。原因不明。)

このところ、あまり遠出をしていなかったので、
明日は、久しぶりに山口県長府に行ってきます。
長府毛利邸の10月の「野の花のおもてなし」を見て、英気を養いたいと思っています。

(弟はおりますので、何かご用の方はどうぞ)

今日も平戸で庭ぐらし 門司港・三宜楼

2011年10月14日 | 日記
北九州市門司港地区にある旧料亭・三宜楼。

御存じの方も多いかもしれません。
門司港駅周辺は、今レトロな洋館の街として多くの観光客を集めていますが、
そこを少し外れたところに、豪壮な日本建築の三宜楼を見出すことが出来ます。

三宜楼は明治後期に開業。
昭和の初めに改築。
昭和30年代には廃業したと言われていますが、
廃業をしてからずいぶんと時が経つにもかかわらず、
今でも、かつて「北九州一の偉観」と評された姿を見ることが出来ます。
最盛期に、この建物全館に灯りがともされていた姿はどんなだったでしょうね。

とはいえ、この大きな古い建物をどうしたらいい?

幸いにも、地元に保存会が出来、2000万円の寄付を集めて買い取り、1昨年市に寄付。
市は、建物を補修し、再来年末には公開されることになる、と新聞が報じています。

ご覧になったことが無い方、
ぜひ、1度ご覧ください。
建物の大きさはもちろんのこと、
この大きいものを、よくぞ残す方向へかじ取りが出来たこと、と。

そして、三宜楼保存会の言葉。
「(修理が完成したら)観光客を集めることも必要だが、地域の精神的な支柱になってほしい。」

本当に街を愛している人の言葉ですね。