ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

入試問題投稿事件について思うこと

2011年03月08日 | 沈思黙考

いやはや、久しぶりの投稿であります。
きょうは、国立大学の入試問題を、Q&Aサイトに投稿して解答(回答)を得ていたという事件に関して触れたいと思います。

入試問題投稿事件は、私も関心を持ってみています。
私としては、今後裁判所や政府、教育界、情報処理業界などをふくめた世論、社会全体が、どのように対応・変化するかを注視したいと思っています(正直、あまり期待はしていませんが...)。

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勤務先の同僚の女性が、「あまりに(警察やマスコミなどの)対応が厳しすぎる。彼の人生は狂わされてしまったのではないか。そこまでやる必要があるのだろうか」といった話をしていました。
私としては、「あぁ、やはり子を持つ母だなぁ」と感じたというのが、正直なところです。

「逮捕」については、確かに言葉は強烈ですが、有罪と決定したわけでも、刑罰が決まったわけでもありません。情状酌量や執行猶予があるかもしれないし、理論的には無罪もありえるわけです。
この点については、「逮捕された」=「犯人である」=「社会から永久追放だ」という図式がすぐ出来上がってしまう、日本のいわゆる「ムラ(村)社会」的思考が大きく影響している気がします(裁判というステップがあまり意識に無く、銭形平次が引っ張ったらそれで話は解決というテレビ的発想)。

もちろんマスメディアの責任も重大ですが、与えられた情報を鵜呑みすることしか教えられていない、日本人の民度の低さにも問題があると思います(パソコンのいじり方などより、このことのほうが、情報リテラシーを語る上では重要だと思います)。

したがって、彼が完全無罪になったとしても(なるとは思えませんが)、日本社会は彼を特別視することに変わりは無いような気がします。そしてそうでありながら、いつしか次のセンセーショナルなマスコミの新しいネタの前に、忘れ去られていくのかもしれません。

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「なにも逮捕なんてしなくても」というようなことも、先の女性は言っていたように記憶しています。
しかし、彼を逮捕したことそのものは妥当だと思います。国立大学の入試に関する不正行為は、つまり国家に対する反抗だと考えるからです。そこまで本人がコトの重大さを認識していたかどうかはともかく、社会的な関心度も高く、とにかく通信事業者等も含めて証拠を固め、本人の身柄を確保して、事実関係を明らかにすることは、法治国家ならどうしても必要な手続きです。

なによりの問題は、公的な試験において不正な行為ができる技術を、すでに一般人が獲得しはじめているということです。そして、社会がそれに追いついていない、という事実です。
しかし本質的な議論よりも、どうやってカンニングしたのか、といった実行行為そのものや、彼を取り巻く個人的環境について、あれやこれやと話題としてもてあそぶかのようなことが、毎度繰り返されているのが日本社会、というようにも感じます。

「花ぶら」で何度か触れていますが、戦後加速度的に発展してきた日本社会において、様々なことがムカシの思想で語られたり、考えられたりしていることによる歪みが出ている気がします。
すべてをパッと解決できる魔法のような策はまずないような気がしますが、少なくとも、急速に変化している社会にあって、柔軟な思考や議論を妨げるような動きには、よく気を付けていく必要があるなぁ、と思っているところであります。

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