宇多田ヒカルさんが6年間にわたる「人間活動」を経て、2016年4月に復帰してから早2年。
復帰後の曲、今まで以上に魅力的ですよね。
特徴的な美声は変わらず(少しやわらかくなった気も)、
命のあたたかみ、切なさを感じる歌詞に心を動かされます。
今回はアルバム「初恋」に収録されている、シングル「初恋」の歌詞について考察したいと思います!
◆歌詞
うたまっぷの歌詞はこちら
https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-180613-170
◆概要
この曲はタイトル通り「初恋」を歌った曲なのですが、
一般的に想定されている the 初恋 ではなく、
「初めて心を強く動かされた恋」⇒初恋、と解釈するのがよさそうです。
歌詞を見てみます。
「人間なら誰しも
当たり前に恋をするものだと
ずっと思っていた だけど
もしもあなたに出会わずにいたら
誰かにいつかこんな気持ちに
させられたとは思えない」
「もしもあなたに出会わずにいたら
私はただ生きていたかもしれない
生まれてきた意味も知らずに」
ちょっと古い表現だと、「初恋は甘酸っぱいレモンの味」なんて言いますが、
それにしてはあまりに重すぎます!!
「あなたに恋する気持ちは、皆がするような一般的な生半可な恋とは言えないよ」
「あなたへの恋によって、生まれきた意味を知ったよ」
と明言しています。
そう考えると、初めて経験する本物の恋、と解釈するのがよいかと思いました。
初恋ながらにして、これ以上の恋は二度とない、というような気迫さえ感じられますね。
◆問題:初恋が、始まったのか?終わったのか?
この曲は、初恋のどのタイミングを歌ったものなのでしょうか?
実はこれ、下記の記事における対談で宇多田ヒカルさんご自身が語っています。
宇多田「たとえば「初恋」という曲も、恋の始まりとも終わりともとれるように書いています。
初恋というのは、それを自覚した瞬間から、それ以前の自分の終わりでもあるので。」
引用源:
http://realsound.jp/2018/06/post-211910.html
つまり、聞き手にゆだねられてるのですね。
ということで、個人的な解釈を書きたいと思います。
この曲は、「1番で初恋が始まった瞬間を、2番で初恋が終わりゆく瞬間を」描いているのではないでしょうか?
◇1番は初恋の始まり、の根拠①:
「うるさいほどに高鳴る胸が 柄にもなく竦む足が今
静かに頬を伝う涙が 私に知らせる これが初恋と」
⇒ 「知らせる」という表現が、初恋の訪れを表しているように思います。
今まで初恋を経験していなかった主人公の足が初めて竦んでいて、
自分自身戸惑ったときから、初恋は始まった、という感じではないでしょうか。
◇1番は初恋の始まり、の根拠②:
「人間なら誰しも 当たり前に恋をするものだと ずっと思っていた だけど」
⇒初恋以前の気持ちと、現在の気持ちを比較しているように思えます。
よって、初恋が始まったことで、昔の想定を覆されたことを示しているように思います。
◇2番は初恋の終わり、の根拠①:
「言葉一つで傷つくようなヤワな私を捧げたいいっま
二度と訪れない季節が 終わりを告げようとしていた 不器用に」
⇒「二度と訪れない季節」というのは、初恋の相手と過ごす同じ季節は二度と訪れない、という意味だと思います。
言葉一つで傷つくようなヤワな私、からは私にはまだ思いが残っていることがわかります。
「不器用に」という表現から、もしかすると相手にもまだ気持ちが残っているのに、
お互いに初恋ゆえの不器用が災いし、終わらざるを得ない理由があるのでは、と推測します。
◇2番は初恋の終わり、の根拠②
「小さなことで喜び合えば 小さなことで傷つきもした」
⇒完全に過去を振り返るフェーズに入っていますよね。
終わりゆく恋の思い出1つ1つをかみしめる言葉なのでしょう。
◇2番は初恋の終わり、の根拠③
「こらえても溢れる涙が 私に知らせる これが初恋と」
1番では頬を伝っていた涙が、今では「こらえても溢れ」ています。
今回の知らせは、「これが初恋だったんだ」という、終わりの知らせのように思います。
歌詞と、宇多田ヒカルさんの透明感のある声が完全にマッチしていて、
曲を聴いていると、人生を変えるような恋を経験したかのような錯覚に陥ってしまいます。
素晴らしい曲って、同じ経験をしたことがなくても、共感ができてしまいます。
それは、聞き手をその世界感に導く力が強い曲だからこそ、と思います。
復帰後の曲、今まで以上に魅力的ですよね。
特徴的な美声は変わらず(少しやわらかくなった気も)、
命のあたたかみ、切なさを感じる歌詞に心を動かされます。
今回はアルバム「初恋」に収録されている、シングル「初恋」の歌詞について考察したいと思います!
◆歌詞
うたまっぷの歌詞はこちら
https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-180613-170
◆概要
この曲はタイトル通り「初恋」を歌った曲なのですが、
一般的に想定されている the 初恋 ではなく、
「初めて心を強く動かされた恋」⇒初恋、と解釈するのがよさそうです。
歌詞を見てみます。
「人間なら誰しも
当たり前に恋をするものだと
ずっと思っていた だけど
もしもあなたに出会わずにいたら
誰かにいつかこんな気持ちに
させられたとは思えない」
「もしもあなたに出会わずにいたら
私はただ生きていたかもしれない
生まれてきた意味も知らずに」
ちょっと古い表現だと、「初恋は甘酸っぱいレモンの味」なんて言いますが、
それにしてはあまりに重すぎます!!
「あなたに恋する気持ちは、皆がするような一般的な生半可な恋とは言えないよ」
「あなたへの恋によって、生まれきた意味を知ったよ」
と明言しています。
そう考えると、初めて経験する本物の恋、と解釈するのがよいかと思いました。
初恋ながらにして、これ以上の恋は二度とない、というような気迫さえ感じられますね。
◆問題:初恋が、始まったのか?終わったのか?
この曲は、初恋のどのタイミングを歌ったものなのでしょうか?
実はこれ、下記の記事における対談で宇多田ヒカルさんご自身が語っています。
宇多田「たとえば「初恋」という曲も、恋の始まりとも終わりともとれるように書いています。
初恋というのは、それを自覚した瞬間から、それ以前の自分の終わりでもあるので。」
引用源:
http://realsound.jp/2018/06/post-211910.html
つまり、聞き手にゆだねられてるのですね。
ということで、個人的な解釈を書きたいと思います。
この曲は、「1番で初恋が始まった瞬間を、2番で初恋が終わりゆく瞬間を」描いているのではないでしょうか?
◇1番は初恋の始まり、の根拠①:
「うるさいほどに高鳴る胸が 柄にもなく竦む足が今
静かに頬を伝う涙が 私に知らせる これが初恋と」
⇒ 「知らせる」という表現が、初恋の訪れを表しているように思います。
今まで初恋を経験していなかった主人公の足が初めて竦んでいて、
自分自身戸惑ったときから、初恋は始まった、という感じではないでしょうか。
◇1番は初恋の始まり、の根拠②:
「人間なら誰しも 当たり前に恋をするものだと ずっと思っていた だけど」
⇒初恋以前の気持ちと、現在の気持ちを比較しているように思えます。
よって、初恋が始まったことで、昔の想定を覆されたことを示しているように思います。
◇2番は初恋の終わり、の根拠①:
「言葉一つで傷つくようなヤワな私を捧げたいいっま
二度と訪れない季節が 終わりを告げようとしていた 不器用に」
⇒「二度と訪れない季節」というのは、初恋の相手と過ごす同じ季節は二度と訪れない、という意味だと思います。
言葉一つで傷つくようなヤワな私、からは私にはまだ思いが残っていることがわかります。
「不器用に」という表現から、もしかすると相手にもまだ気持ちが残っているのに、
お互いに初恋ゆえの不器用が災いし、終わらざるを得ない理由があるのでは、と推測します。
◇2番は初恋の終わり、の根拠②
「小さなことで喜び合えば 小さなことで傷つきもした」
⇒完全に過去を振り返るフェーズに入っていますよね。
終わりゆく恋の思い出1つ1つをかみしめる言葉なのでしょう。
◇2番は初恋の終わり、の根拠③
「こらえても溢れる涙が 私に知らせる これが初恋と」
1番では頬を伝っていた涙が、今では「こらえても溢れ」ています。
今回の知らせは、「これが初恋だったんだ」という、終わりの知らせのように思います。
歌詞と、宇多田ヒカルさんの透明感のある声が完全にマッチしていて、
曲を聴いていると、人生を変えるような恋を経験したかのような錯覚に陥ってしまいます。
素晴らしい曲って、同じ経験をしたことがなくても、共感ができてしまいます。
それは、聞き手をその世界感に導く力が強い曲だからこそ、と思います。
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