平成27年5月23日(土)
名鉄主催 2015年春 東海の自然歩け歩け大会
「文化の架橋 濃尾大橋を渡って一宮市と羽島市を知る③」の続きです。
三岸節子記念美術館を後にして、次の目的地へ向かいます。
1.4キロほど歩いて、次の目的地「一宮市尾西歴史民族資料館」へやってきました。
その前では、らっきーカードの配布がありました。
旧林家住宅
中に入って見学できるようなので、入ってみます。
欄間、障子、電灯とかいろいろ今風とはちょっと違う雰囲気。
庭も広い。
廊下。
狭いけど。
佛心
これで水が流れていると気持ち良さげです。
庭の一角に竹薮がありました。
お隣の一宮市尾西歴史民族資料館へ行ってみます。
ヤマニ
館内の様子。
いろいろな資料が展示されていました。
起土人形
起土人形は江戸時代末の天保年間(1830-1844)に冨田村(旧尾西市冨田)の中島佐右衛門らが名古屋の人形氏のもとで習得した技術を持ち帰り、
作り始めたのが始まりとされています。
以後、5代にわたって人形師として続き、この付近の地名が美濃路起宿から起町と呼ばれてきたことから、全国の愛好家の中では「起土人形」の名で知られています。
朝鮮通信使の記録
400年経っても水車が作れなかった朝鮮人の話を思い出してしまうw
船橋
江戸時代のおもな名所・観光地
旅行用心集、往来手形など。
大日本神社仏閣参詣所
伊勢神宮と高野山が大関になっています。
伊勢神宮への地図かな?
旅衣
あれは水筒と弁当箱かな?
2階の方へやってきました。
右の方は、昭和初期の報恩講における食卓
左は工場における女工さんたちの食事。
起土人形がいっぱい展示されていました。
宝珠のような形をしていますね。
いろいろな種類がありますね。
高砂面
太閣
あ!
写真がありました。
工場で働く女工さん達。
機織機かな?
なんだか野麦峠を思い出します。
濃尾地震のことが展示されていました。
大変な被害があったようですね。
教科書でも濃尾地震。
濃尾地震の号外
日本はいつの時代も地震が起きているのですね。
今も、これからも気をつけなきゃです。
長くなりそうなので、続きはまたです。