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キリストの 再臨

2019-03-10 20:12:22 | 日記

列王記下 2章13節 

見よ 火の戦車が火の馬にひかれて

現れ 二人の間(エリヤと弟子のエリシャ)を

分けた エリヤは嵐の中を天に

登って行った

エリヤはこのように 天に昇って行った

 

そしてエリヤの再臨はどうなっただろう

マタイ 11章 14節

あなた方が認めようとすれば

分かることだが 彼(洗礼ヨハネ)は 現れるはずの

エリヤである

 

エリヤは 洗礼ヨハネとして 現れた

エリヤの 再臨は こうしてなされた

 

したがって イエスの再臨も

別の 名前で なされるのである

原理は その方こそ 文鮮明であると明かす

 

これを キリスト教徒が 解らないといけない

簡単なことである

 

再臨主は 赤ん坊で イエスと 別の

名前で 来られる

空中に来られるのではない

洗礼ヨハネは 赤ん坊で来たではないか

だから 再臨主は 赤ん坊で来られる

 

(ちなみに 空中再臨は

テサロニケ第一4章15節から17節)

すると私たち生き残った者(パウロ)が

空中で主に出会う とあります


河内 おとこ節

2019-03-10 19:56:34 | 日記

河内というのは 大阪南部の地方である

言葉も すざましい

そこで 生まれた 河内音頭と言うのがある

夏になると 河内家菊水丸が よく歌う

私も 20代の 頃から よく歌っていた

えんやこらせー どっこいせー

という 掛け声

 

そこから 生まれた 中村美津子の

河内おとこ節 威勢がいい

根に 暗いものがない

日本では 珍しい 曲である

 

言葉は 乱暴であるが 底抜けに明るい

私は この歌が 大好きである

 


東 亜樹 という 小学生 演歌歌手

2019-03-10 15:22:34 | 日記

私は 話が好きである

道端でも 誰かれなく 話しかける

おとこのしゃべりである

その次に 歌が好きである

歌は 第一に 讃美歌が好きである

第二に 艶歌が好きである

昔 演歌は地獄の 歌と聞いたことがあって

良くないと 思っていた

しかし お父様が 好きだというのを

きいて よく聞くようになった

 

雨降る永東橋という 韓国の演歌がある

これを お父様は よく聞かれたそうである

今 日本に大変な 小学生演歌歌手がいる

歌を 聞いて びっくりした

 

東 亜樹という 女の子

この子は 将来 日本を 代表する歌手に

なると思う

素晴らしいです

一度 聞いてみてください

 


お母様の ための 訓読 祈祷会

2019-03-10 15:15:19 | 日記

今日は 教会で お母様のための

訓読 祈祷会をしている

康お母様の 自叙伝 天使のラッパを

皆で 読むようです

私は 告知は 公的にするが

個々 誘うことは しない

 

ですので 今回 自主的に してくださって

あり難く 素晴らしく 思っている

この祈祷会 は 恵み多いものになっている

皆が そういう

くださるものが することの 何倍もある

神様の 御恵みでしょう

 

 

 


なにがあっても 平気です

2019-03-10 07:47:29 | 日記

私は 今 病院に 勤務している

病院は 24時間営業 なので

受付も 24時間 

我々は 警備なので 夜間受付と

一緒に 仕事をする

話に 花が咲くときもある

暇な時である

その話

この 病院の 誰と誰が

矢切の渡し だとかいう

どうも 一つではない

あっち こっち

恋愛問題である

ここが 特殊なのかは 解らない

男女の 塀が低いのが 解る

どうも これが 普通である

受付に 親切な 優しい女性がいる

声が 優しい 素晴らしい人である

シックなら すぐ 解る 伝道したい人

クリスチャンかな と思い

ストレートに 聞くのも おかしいので

お酒は 飲まれますか

当然 飲まないです というと 思ったが

大好きです 特に ワインが好きですと言われた

美しい 女性であるから 私は ショックであった

彼女は あれこれ 楽しそうに お酒の

話を された

私の 伝道意欲は そがれた

考えれば これが 当たり前の ひとで

私が 変わっているのだ

 

これから 恋愛も自由 お酒も自由

そんな 世界を 伝道していくのだ

大変 だと 思う

永田教授の デバイン.プリンシプルへの招待の

お言葉の 苦心が 解る

この 人々を招待しているのだと 思う

 

自分勝手な 世界である サンクチュアリにもおられるが

レベルが 違う 彼らは 徹底している

時に私は 頭を かかえる 

しかし 私は 正道を 生きたい

与えて 忘れる

お父様 が行かれた道を 付いていきたい

果ては どうなるか 解らない

みぐるみ はがれて 素っ裸に

なるのかも 知れない

それでも 神様の愛があるから

大丈夫です それで

平気な 私があります