火の柱3 080-4232-1596

電話 080-4232-1596 メール tanimoto0724@gmail.com

私の出会った 南平 文氏

2019-01-29 17:23:27 | 日記

私は以前 一部上場の有名な会社の

グループに 勤めていた

その時は まだ 連合に所属していたころである

当時 盛んに自叙伝を 配っていた

教会では 私は CIGと一緒に 自叙伝を

配って歩いていた

ある日 意を決して 会社の人に

統一教会員であることを 告げた

今でも 思い出す

ハトが豆鉄砲を食らったように

その人の目が 点になった

あの 桜田淳子の あれか

そうです あれです

この間 ものの数十秒である

あっけないといえば あっけない

それで 噂は すぐに広がる

しかし これと言って 迫害は

なかった

むしろ 堂々と言ったので

却って 何もなかったのかもしれない

そこの会社の ナンバー2に 所長という

役職があり その方が お名前を

文 と言われた

聞くと まさしくお父様と同じ 血統

の 文氏であった

南平 文氏 である

 

この人には 自叙伝を必ず渡さねばならない

そう 決意して 差し出したが

御父様を知っていて 

余りに 過激であるからと

自叙伝は 受け取られなかった

 

こののち 蕩減というか

大変な苦労をこの会社でしたが

統一教会と表向き

迫害されたことはない

 

しかし 内的に自分的に

大変 苦労した

会社でした


赤穂浪士

2019-01-29 08:25:33 | 日記

私は 兵庫県に住んでいる

この地に 赤穂というところがある

赤穂浪士が 出たところである

海が大変きれいな ところである

赤穂浪士は 日本では 大変な人気である

わずか 47人で 主君の仇

吉良上野介の屋敷に 打ちいった

時の世論は 赤穂浪士に助命を願った

太平の世 に 武士の魂も 形ばかりに

なっていた時に 堂々と 武士道の

ど真ん中を 行ったのである

幕府もその対処に 逡巡している

結果 切腹という 沙汰を下した

それで いよいよ 世間は 同情した

彼らの名は 日本の後世まで

残ったのである

今 救国運動の担当者が この地の人

であるのも 運命かもしれない

とまく 忠義の人々であった

礼節があり 見事というしかない

 

連合にこの武士道を貫く

人は 居は しまいか  

アボニムに 忠誠の武士は いまいか

韓国に忠誠の 武士は いまいか

神様に忠誠の 武士は いまいか