コンロッド函館@大黒通り

北海道の二輪クラブ「コンロッド函館」の弁天連絡所から・・ガレージライフ・・(旧車やカブ系)バイクの話題・・地域の紹介・・

函館大好き

2013年08月12日 | 函館


函館の風景には電車が、にあいます。



馬車鉄道時代
1894年(明治27年)1月 亀函馬車鉄道株式会社設立[2]。
1897年(明治30年)12月12日 亀函馬車鉄道が弁天町(後の函館どつく前) - 東川町(後の東雲町)間の馬車鉄道を開業。
1898年(明治31年)
1月9日 十字街 - 鶴岡町(後の函館駅前) - 東川町間を開業。
8月19日 函館鉄道(函館 - 湯川間未開業)と合併し函館馬車鉄道に改称。
9月29日 鶴岡町 - 海岸町間が開業。
10月21日 海岸町 - 亀田間が開業。
12月12日 東川町 - 湯川 間が開業。
1903年(明治36年)7月8日(1904年(明治37年)4月29日とも)海岸町 - 亀田間が廃止。
函館水電・帝国電力(電力会社運営)時代
1911年(明治44年)10月1日 函館水電が函館馬車鉄道を買収。
1913年(大正2年)
6月29日 東雲町(後の労働会館前) - 湯川間が電化(北海道初の路面電車)および、新川車庫完成。
10月31日 弁天町 - 十字街 - 東雲町間が電化。
1914年(大正3年)
5月1日 宝来町 - 谷地頭間が開業。
10月31日 十字街 - 函館駅前 - 海岸町、函館駅前 - 松風町間が電化、全線で電気運転開始。
1915年(大正4年)9月1日 大門前 - 湯の川間において貨物電車の運転を開始。
1921年(大正10年)大型ボギー電車50形の運行開始。
1925年(大正14年)10月1日 海岸町 - 亀田(後のガス会社前)間が開業[3]。
1926年(大正15年)1月20日 新川車庫火災により電車31両が焼失。
1932年(昭和7年)10月14日 貨物電車廃止。
1934年(昭和9年)
3月21日 函館大火により、電車48両および新川車庫等の運行に必要な諸施設が焼失。
3月28日 一部路線の運行が再開され、同月31日までに全線復旧し運行を再開。
8月1日 帝国電力に改称。
12月27日 大火で焼失した新川車庫の代替施設として、駒場車庫完成[4]。
1936年(昭和11年)
2月15日 柏木車庫完成。
この年 300形導入。
1940年(昭和15年)8月6日 大日本電力に合併。
1943年(昭和18年)
2月3日 道南電気軌道に譲渡。
函館市営時代
1943年(昭和18年)
11月1日 函館市に譲渡、函館市役所交通局が発足。
12月22日 函館市交通部に改称。
1945年(昭和20年)7月9日 鮫川(後の湯の川温泉) - 湯川 間が廃止。
1948年(昭和23年)500形導入。
1950年(昭和25年)9月14日 宮前線・亀田(後のガス会社前) - 宮前町間 (0.6 km)開業[5]。
1951年(昭和26年)7月1日 宮前線・宮前町 - 五稜郭公園前 (1.2 km)延伸開業(全通)[5]。
1952年(昭和27年)10月1日 公営企業としての函館市交通局が発足。
1954年(昭和29年)
5月 600形導入。
11月21日 本線・亀田 - 鉄道工場前 (1.3 km)延伸開業[5]。
1955年(昭和30年)11月27日 本線・鉄道工場前 - 五稜郭駅前 (0.4 km)延伸開業(全通)[5]。
1957年(昭和32年)3月 700形導入。
1959年(昭和34年)
9月2日 湯の川線・湯の川温泉 - 湯の川間 (0.5 km)延伸開業(全通)[5]。
この年 710形導入。
1962年(昭和37年) 800形導入。
1966年(昭和41年)5月25日 梁川車庫完成(旧・函館西武、現・パボッツ所在地)
1968年(昭和43年)6月1日 3系統(駒場車庫前 - 函館どつく前)でワンマン運転開始。
1970年(昭和45年) 中古車1000形(東京都電7000形)導入。
1972年(昭和47年)8月31日 市交通事業対策委員会、当時の市長に「軌道事業、湯の川 - 函館どつく間以外は廃止案」提出。労働組合や市民による強い反対で廃案になる。
1973年(昭和48年)10月1日 梁川車庫閉鎖(車両数75両→58両)
1974年(昭和49年)
1月9日 地方公営交通事業の健全化の促進に関する法律の交通事業財政再建団体に指定される。
4月19日 柏木町庁舎・車庫(柏木町電停南側。現・函館まるかつ水産柏木店及びホリデイスポーツクラブ敷地)を閉鎖。深堀町のバス車庫構内(競馬場前電停北側。現・函館競馬場北駐車場)に移転。
1978年(昭和53年)
11月1日 本線の一部(ガス会社前 - 五稜郭駅前間)廃止 (-1.6 km) [5]。
12月8日 深堀町バス車庫敷地売却に伴い、深堀庁舎から管理部および運輸部を函館市末広町分庁舎(十字街電停近く、元・丸井今井函館店、現・函館市地域交流まちづくりセンター)の4階へ移転。1階には定期券類の販売所も設けられていた。
1988年(昭和63年)3月31日 再建が終了し交通事業財政再建団体の指定が解除される。
1990年(平成2年) 車体更新車8000形導入。
1991年(平成3年)函館市交通事業健全化計画策定。
1992年(平成4年)4月1日 東雲線(宝来町 - 松風町間)廃止 (-1.6 km) [5]。
1993年(平成5年)
4月1日 本線の一部(函館駅前 - ガス会社前間)・宮前線(ガス会社前 - 五稜郭公園前間)廃止 (-3.6 km) [3]。
4月23日 2000形、3000形導入。
1994年(平成6年)4月1日 バスロケーションシステム運用開始[6]。
1999年(平成11年)1月2日 谷地頭駅事故。
2002年(平成14年)
4月22日 部分低床車体更新車8100形導入。
9月8日 十字街駅脱線事故。
10月7日 末広町分庁舎閉鎖に伴い、同庁舎に入居していた管理部および運輸部が駒場車庫構内に新築された管理庁舎へ移転。
2003年(平成15年)4月1日 函館バスへ市営バス路線6系統を移管し、バス事業廃止。
2007年(平成19年)3月20日 超低床車9600形導入。
2011年(平成23年)4月1日 函館市水道局と統合し函館市企業局交通部となる。
Wikipediaより。

古い街並みに、似合う電車、ボンネットバスそして、バイク。
函館には、そういう、風景を見る事ができます。
函館大好き。
遊びにいらっしゃい。

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