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駒澤大学「情報言語学研究室」

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こんにやく【蒟蒻】

2023-04-10 23:35:19 | ことばの溜池(古語)

こんにやく【蒟蒻】

『和名類聚抄』巻十九「古迩夜久」

『本草和名』巻下「古尓也久」

三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕「蒟蒻(クジヤク)」

観智院本『類聚名義抄』「蒟蒻」「蒟頭」コニヤク。

  棭齋は、訂本から箋注へとその『和名抄』本文研究を継続していくなかで、「クジヤク」二音の表記を「䀠弱」〔十卷本〕、下總本・天文本「枸弱」から「栩弱」〔廿巻本〕へと変改していく。此の変改した理由については何も記述されていない。
  此の「蒟蒻」なるインドネシア原産地下茎の珠根類がどのように渡来したかについては全く語られていないのだが、『本草和名』そして、『和名類聚抄』に此の語が所載されていて、真名体漢字表記で「古尓也久」「古迩夜久」として平安時代以前に日本語化していて、馴染みのある植物となって、今日にあっても健康食品として重宝されるに至っていることについて注目せねばなるまい。

 


『聖徳太子傳』の「くに【國】」字

2023-04-04 03:21:54 | ことばの溜池(古語)

『聖徳太子傳』の「くに【國】」字

 現在では、「國」と「国」の字は、旧字と常用漢字とに識別され、旧字の「國」は、書記文字として書くことは少なく、寺社などの旧跡、扁額、古書などの文字として訓むことで用いられる。これに対し、「国」字は、常用漢字として広く読み書きに活用されてきている。
 此の両文字が本書『聖德太子傳』には併用されていて、その対比は「國」〔四三六例〕、「国」
  〔三九九例〕とあって、「國」字が稍上回っている。
  ○此三人の臣下(しんか)をの/\(しよ)のまつりごとを天奏(てんそう)し給ひけれは、崇峻(しゆしゆん)天皇(てんわう)おほきに御感あつて、詔(ミことのり)してのたまハく、それ上代をたづねてきこしめせば、人皇(にんわう)十代崇神(しゆじん)天皇の御宇(ぎよう)に天下に舩車(ふねくるま)をつくりはしめ、衣裳(いしやう)(くつ)(かんふり)等をつくり出し、諸國に社(やしろ)を作り、大小の諸神をあかめたてまつり給ひき。〔卷第四〕
  ※実際、「国」の字体は崩し書きとし、「國」は「囗」構えを明確にした「武」字で記載する。本文翻刻文字化の際に、此の両用漢字表記をかな漢字表記体で版本に刷られていることを見逃してはなるまい。
  他に、
  ○まことに人皇(にんわう)卅九代天智天皇の御宇(きよう)大和國(やまとのくに)より近江國(あふミのクニ)へ遷都(せんと)あつて、一十ケ年を經て又大和国高市郡(たかちのこほり)𦊆本(をかもと)の宮へ都をうつし給へり。〔卷第十〕
     大和(やまとのくに)
          ⇔
     大和
  ○これによつて、今日本国中の諸寺(しよし)・諸山(さん)に堂塔(たうたう)供養(くやう)、大なる佛事(ふつじ)・法會(ほうゑ)にはみな舞楽・管絃(くわんけん)をとりをこなふ事、聖德太子四十一歳(さい)より、我朝(わかてう)日本國にはしめてをこなハれけり。
  全て「國」字で統一記載の一文例も見えている。
  ○天竺のより五万余里の海上をさつて、五のあり。これを震旦(だん)(こく)・百濟(はくさいこく)・任那(にんなこく)・衡刕(かうしうこく)・蒙古(もうこ)となつく。〔卷第四〕
  
  【國】字総数四三六例
  1国称:「異国」と「異國」5例。
  2国名:「大和国」と「大和國」31例
  3国名:「近江国」と「近江國」8例
  4国名:「日本国」と「日本國」36例
  5国名:「百濟国」と「百濟國」28例
  6国名:「新羅国」と「新羅國」13例
  7国名:「河内国」と「河内國」4例
  8国称:「諸国」と「諸國」10例
  9人倫:「国王」と「國王」14例
  10指示:「この国」と「この國」7例 
  11官職:「国司」と「國司」9例(付訓一例「くにのつかさ」) 
  12国称:「小国」と「小國」9例
  13畳字:「国々」と「國々」5例


『聖徳太子傳』における「愛」字

2023-04-01 20:01:17 | ことばの溜池(古語)

   三、単漢字「愛」字について
  総数三二例。句「愛別離苦(あいべつりく)」八例。「忍愛(にんあい)餘習(よしう)」一例。「癡愛(ちあい)妄心(もうしん)」一例。「恩愛(おんあい)」一〇例。「寵愛(てうあい)」二例。「愛育(あいいく)」一例。「愛敬(あいけう)」一例。「愛執(あいしう)」一例。「最愛(さいあい)」一例。「愛(あい)し」二例。「愛宕郡」三例。偈「勤行大精進捨所愛之身(ごんぎやうタイしやうしんしやしよあいししん)」一例。
  偈は、『妙法蓮華経』薬王菩薩本事品二十三
    ○大王今当知我経行彼処即時得一切現諸身三昧勤行大精進捨所愛之身 説是偈已。而白父言。日月浄明徳仏。今故現在。我先供養仏已。得解一切衆生。 語言陀羅尼。
を引用していて、
    ○又その落句(らくく)ハ七卷(シチのまき)藥王品(やくわうほん)の中(なか)に藥王の苦行(くきやう)をとく所に、勤行(ごんぎやう)大精進(しやうしん)捨所(しやしよ)愛(あい)之(し)身(しん)と云偈(け)の下に二句の文(もん)落(おち)たり。供養(くやう)於(お)世尊(せそん)爲(い)求(ぐ)無上(むしやう)惠(ゑ)と云二句也。〔卷第六〕
    とある。
  孤例に仏語「愛河」の用例を見る。
    ○されハ釈迦(しやか)弥陀(ミた)の二尊の御いつくしミなかりせば、われら衆生いかゞたやすく生死(しやうじ)の愛河(あいか)をこえ、又ねはん常楽(じやうらく)を證(しやう)せん。〔卷第三38ウ〕
  地名「愛宕郡」の付訓は「をたぎのこほり」二例、「おたぎのこほり」一例が見えている。
    ○その杣(そま)山の所をは山城国(しろのくに)愛宕郡(をたぎのこほり)折田郷(おりたのさと)土車里(つちくるまのさと)とも云(いふ)。〔卷第四〕
    ○凢(をよそ)前代(せんだい)より末代(まつだい)に至(いた)る迄(まて)、都(ミやこ)を七ケ(か)国うつし、四十七ケ度(ど)に山城の國愛宕郡(をたぎのこほり)に都(ミやこ)を遷(うつり)し、王法(わうぼう)も佛法(ぶつほう)も此所に執(とり)行(をこなふ)へしと云々。〔卷第七〕
    ○23 六角堂(かくたう) 同國愛宕郡(おたぎのこほり)〔補〕
と三例を見る。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
あい-が【愛河】〔名〕仏語。人は愛欲におぼれやすいことから、それを河にたとえていったもの。*万葉集〔八C後〕五・七九四右詩「愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来猒離此穢土 本願託生彼浄刹〈山上憶良〉」*本朝文粋〔一〇六〇(康平三)頃〕一三・朱雀院平賊後被修法会願文〈大江朝綱〉「又願。燕肝越胆。輪廻之郷無期。欲海愛河。流転之輩不定」*地蔵菩薩霊験記〔一六C後〕一二・一「目もくれ心も迷ひつつ、行方さらにをほへず共に愛河(アイガ)に沈みける」*読本・南総里見八犬伝〔一八一四(文化一一)~四二〕九・一一〇回「苦海・愛河(アイカ)の世は定めなく、弘誓(ぐぜい)の船出遠ければ」*八十華厳経-三六「愛河漂転無返期、欲求辺際得」【発音】アイガ〈標ア〉[ア]
おたぎ【愛宕】〔一〕山城国(京都府)の郡名。洛北から洛東にわたる地域で、北は山城の国境、東は東山連峰に至り、西は鷹ケ峰、雲ケ畑、南は泉涌寺(せんにゅうじ)に及んだ。平安奠都(てんと)以前には、平安京の左京の大半をも含んでいたようである。おたぎのこおり。おたぎぐん。*二十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕五「山城国 〈略〉愛宕〈於多岐〉」〔二〕上代、中古、律令制下における愛宕郡内の郷名。位置については二説あり、明らかでない。いずれにしても、平安京の葬送地の一つであった。おたぎのさと。*正倉院文書‐山背国愛宕郡計帳(寧楽遺文)〔七二六(神亀三)〕「奴稲敷 年廿八〈略〉従愛宕郷山背忌寸凡海戸米附」*延喜式〔九二七(延長五)〕二一・諸陵寮「愛宕墓」〔三〕山城国乙訓(おとくに)郡の別名か。*高山寺本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕六「山城郷〈略〉乙訓(オタキ)郡」【発音】〈標ア〉[オ]〈京ア〉[オ][0]【辞書】和名・色葉・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言【表記】【愛宕】和名・色葉・文明・伊京・明応・天正・黒本・易林・書言


『聖徳太子傳』における「種」字―データベース化の実践―

2023-04-01 02:05:43 | ことばの溜池(古語)

 『聖徳太子傳』における「種」字
                                                                          萩原義雄識

 はじめに
 イタリア、ローマ法王立サレジオ大學に、マリオ・マレガ師の所蔵した日本語文献資料がマレガ文庫に収められている。此の文庫に所蔵する文献資料の悉皆調査を二〇〇三(平成一五)年四月から二〇〇四(平成一六)年三月の一年間の研究調査によって得たことは云うまでもない。

 この資料の情報をいち早く、教えていただいたこととその機会に恵まれたことに改めて感謝する。
 このなかで、MM0113に所蔵する『聖徳太子傳』〔版本十冊〕を用いて、二〇〇三(平成一五)年に、本文の翻刻を行っておいた。

 そして、此の本文資料を一文データテキスト化し、そのデータ資料を元に語解を行うことが出来るようにしておいたが、なかなかその内容を活用するまでに至らなかった。
  漸く、今日そのゆとりを得て、その出来映えを多くの方に利用してもらえるよう努めていきたいと模索することをはじめておくことにした。
 いま、その検索した作業データの一端を茲にお示しすることにする。

 二、単漢字「種」について
 「種」字の用例總数は纔か三三例に過ぎない。
 そのなかで「種」字の特徴の一つに、⑴数詞として「―種」という表現があり、ここでも数量名詞としての「種」が見えている。
 次に、最も多い⑵畳字「シユジュ【種々】」の語表現が見えている。
 そうしたなか、⑶二字熟語「種因」といった複合語として用いていることを茲で明らかにしておく。
  ⑴数詞①「一種」一例。②「一千余種」二例。③「五種」三例。

     ④「三種」三例。⑤「六種」一例。⑥「十九種」一例。

     ⑦「十万種」一例。⑧「十六種」二例。⑨「八十種好」一例。
    [計一五例]
    ⑵畳字「種々」一七例。
  畳字「種々」は、『日国』第二版が示すように、【一】〔名〕(形動)(1)(2)と」【二】〔副〕との二種になり、このうち「種々」が最も多く一四例、「種々」一例、「種々なり」一例、「種々」一例となっている。
    ⑶二字熟語①「種因」一例。
    ○大福分の種因(しゆいん)も彼栴檀(せんたん)の舛(ます)乃因縁(いんゑん)なり。

 〔第六冊・通番一七九七〕
 この最後の⑶「しゆいん【種因】」の語は、『日国』第二版の見出し語としては未載録の語となっている。

《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
しゅ‐じゅ【種種】(古く「しゅしゅ」とも)【一】〔名〕(形動)(1)種類の多いこと。また、そのさま。さまざま。いろいろ。*万葉集〔八C後〕八・一五九四・左注「終日供養大唐高麗等種々音楽爾乃唱此歌詞」*保元物語〔一二二〇(承久二)頃か〕上・法皇熊野御参詣「権現すでにおりさせ給けるにや、種々の神変を現じて後」*名語記〔一二七五(建治元)〕五「種々を、くさぐさといへり」*滑稽本・風来六部集〔一七八〇(安永九)〕放屁論「種々(シュジュ)に案じさまざまに撒わけ」*読本・椿説弓張月〔一八〇七(文化四)~一一〕続・四〇回「二頭(にひき)の木獅子(つくりしし)を狂して、種々(シュジュ)の曲をなす事甚牘(きょう)あり」*小学読本〔一八七三(明治六)〕〈榊原芳野〉一「硯は墨を觧く器にして、形種々に作る。深き処を海といひ浅き処を岡といふ」*落語・王子の幇間〔一八八九(明治二二)〕〈三代目三遊亭円遊〉「此野郎、予(おれ)が家に居ないと思って種々(シュジュ)な言(こと)を云やアがったなア」(2)髪の短く衰えたさま。*寛斎先生遺稿〔一八二一(文政四)〕四・歳杪縦筆「振起頽風為、吾髪種々君莫笑」【二】〔副〕さまざまに。いろいろに。*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕一四「智恵を以ていつわり種々うかがい計略する者をも手のわに入たと云心か」*藤樹文集〔一六四八頃〕五・吾「世間種々顛倒迷乱、皆自此一誤発出」*珮川詩鈔〔一八五三(嘉永六)〕四・山路秋夕「秋山一路経過夕、種種花開種種鳴」【発音】〈標ア〉[シュ]〈京ア〉[シュ]【辞書】日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【種種】ヘボン・言海【種々】書言

 


「はるか」と「ほのかなり」【迢々】

2023-03-27 11:05:53 | ことばの溜池(古語)

2019/09/03~2023/03/25更新
 「はるか」と「ほのかなり」【迢々】
                                                                          萩原義雄識

  観智院本『類聚名義抄』〔辶部・佛上三二オ4〕
   
    〓〔*〕迢  音苕(テウ)[平]  トヲシ[上上○]   ー々  トホノカナリ
             ハルカナリ コユ
 ここで注目しておきたいのが重點漢字「ー〻」で、訓みを「―ト、ホノカナリ」とするのだが、まずは「テウテウとほのかなり」と訓むか、「はるかとほのかなり」と訓むのか、音訓に迷うところである。「テウテウ」で良し。

  昌住『新撰字鏡』には、此の語例は未載録となっている。ただし、次の語例は得られている。
    迢𦴚𬨴〔艹+迨〕三形作。徒往反。遠也、鳥遠望懸絶也。〔卷九辶部五五六頁4〕
    𨔴〻 徒彫反。亭皃也、遠也、𨔴幸也。〔卷十二重點部七五〇頁3〕

とあって、「𨔴〻」と「迢迢」とは同字と見て良かろう。
 この「迢迢」の語例としては、漢籍『文選』、日本漢詩文には『経国集』〔八二七(天長四)年〕に次のように見えている。

 漢籍資料『文選』第廿九、古詩十九首に、
    迢迢(テウテウ)タル牽牛星(ケンギウセイ)、皎皎タル河漢女。〔牽牛、已見上文。《毛詩》曰:維天有漢、監亦有光。跂彼織女、終日七襄。雖則七襄、不成報章。毛萇曰:河漢,天河也。〕
   
とここでも「迢迢」は下位語の重點「皎皎」と対語になっている。

  さらに、日本漢詩文資料『経国集』にも、
    181 七言 一首
    一朝辭寵長沙陌 萬里愁聞行路難 漢地悠悠隨去盡 燕山迢迢猶未殫
    青虫鬢影風吹破 黃月顏粧雪點殘 出塞笛聲腸闇絕 銷紅羅袖淚無乾
    高巖猿叫重壇苦 遙嶺鴻飛隴水寒 料識腰圍損昔日 何勞每向鏡中看
    〔卷一四・奉試賦得王昭君﹝六韻為限﹞〈小野末嗣〉〕
    196 雜言 奉和清涼殿畫壁山水歌 一首
    丹與青     壁上裁成山水形 壟從危峰將蔽日 崢嶸險澗鴈孕遙
    三江淼淼尋間近 五岳迢迢大裏生 雜花冬不殫   積雪夏猶殘
    靈禽百貌從心曲 異木千名起筆端 飛流落前看鵠桂 重淵迴處識蛟盤
    蔭松恰似八公仙 蹲石俄疑四皓賢 覓飲連猨常接臂 加飡擔客長息肩
    漁人鼓抴滄浪裏 田父牽犂綠巖趾 繞棟輕雲未曾去 窺窻狎鳥經年止
    遊山自足幽閑趣 屬目元饒智仁理 丹青工 有妙功 能令春興發神爰
    〔卷一四・奉和清凉殿画壁山水歌〈菅原清公〉〕

 ここでは、「重點字」としての「迢迢」の語は、「悠悠」「淼淼」の語と対句表現にして用いられている。
  平安時代末を代表する古辞書、三巻本『色葉字類抄』も見ておくに、天部重點字「テウテウ【迢迢】」の語は未収載とする。
    
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
ほのーか【仄─・側─】〔形動〕(「か」は接尾語)(1)わずかにそれとわかるさま。分明でないさま。(イ)物の形、音などが、わずかに見えたり、聞こえたりするさま。*万葉集〔八C後〕七・一一五二「梶の音そ髣髴(ほのかに)すなるあまをとめ沖つ藻刈りに舟出すらしも〈作者未詳〉」*日本霊異記〔八一〇(弘仁元)~八二四(天長元)〕上・序「聊(いささか)側(ホノカニ)聞くことを注(しる)し〈興福寺本訓釈 側 保乃加爾〉」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕明石「ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり」*浮世草子・好色一代男〔一六八二(天和二)〕一・七「朝鮮さやの二の物を、ほのかに、のべ紙に、数歯枝をみせ懸」(ロ)光、色などが、はっきりしない程度で、わずかに見えるさま。ほんのり。うっすら。*多武峰少将物語〔一〇C中〕「ようさりつかた、月のほのかなるに、立寄り給へり」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕葵「ほのかなる墨つきにて、思ひなし、心にくし」(ハ)心、意識がぼんやりしているさま。かすかに認識するさま。*大智度論平安初期点〔八五〇(嘉祥三)頃か〕一六「酔悶し怳惚(ホノカニ)して所別无き故に」*冥報記長治二年点〔一一〇五(長治二)〕中「数日を経て、怳惚(別訓 ホノカナルナリ)として睡れるがことし」*今鏡〔一一七〇(嘉応二)〕一・黄金の御法「作らせ給へること、ほのかに覚へ侍」(2)程度が、はっきりしないくらいにわずかなさま。いささか。ちょっと。しばし。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕夕顔「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかごとを何にかけまし」*あさぢが露〔一三C後〕「みすのうちよりもほのかにかきあはせなどし給つつ」【補注】奥に大きなもの、確かなものがあって、その一部分がわずかに認知されるときや、次第に大きく、確実になっていくものが、そのはじめの、まだ十分でない過程において認知されたときなどに用いられることばと考えられる。【語源説】(1)「オホノカニ」の略〔大言海〕。(2)「ヒノコリアエケ(火残肖気)」の義。また、「ホニホヒヤカ(火匂肖気)」の義〔日本語原学=林甕臣〕。(3)「ホノカ(火香)」の義〔和訓栞・紫門和語類集〕。(4)「ホノホ(炎)」を活用したもの〔俚言集覧〕。(5)「オホロカ(不明所)」の義〔言元梯〕。(6)「ホノボノトカスカ」の義。また「ホ」は火の義〔和句解〕。(7)「ホノカ(風聞)」の義〔紫門和語類集〕。(8)「ホノオカ」の義。「ホ」は上に顕われる義。ノは延伸る義。「オ」は外に発る義〔国語本義〕。(9)「ホノカ(火影)」の義〔和語私臆鈔〕。【発音】〈標ア〉[ホ]〈ア史〉平安・鎌倉・江戸○●○〈京ア〉(ノ)【辞書】字鏡・色葉・名義・和玉・文明・天正・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【風】色葉・名義・和玉・文明・天正・易林・書言【側】色葉・名義・和玉・文明・易林・言海【髣髴】色葉・文明・易林・書言・ヘボン【俙・微】色葉・名義・和玉【仄】文明・書言・言海【仏】字鏡・名義【彷彿】色葉・言海【髣・髴・閑・曖・燄・緬】名義・和玉【影響】字鏡【像・怳・曙・𨱰・肉・屍・勿・娉】色葉【似】書言
はるーか【遙ー・悠ー】(「か」は接尾語)【一】〔形動〕〔一〕空間的に遠く隔たっているさま。*新撰字鏡〔八九八(昌泰元)~九〇一(延喜元)頃〕「悠 波留加爾」*伊勢物語〔一〇C前〕一〇二「京にもあらず、はるかなる山里に住みけり」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕若紫「はるかに霞みわたりて」*太平記〔一四C後〕二・長崎新左衛門尉意見事「如何せんと求る処に、遙(ハルカ)の澳(おき)に乗うかべたる大船」*水戸本丙日本紀私記〔一六七八(延宝六)〕神武「遼〓之地〈止於久波流加奈流久爾(とおくハルカナルくに)〉」*小学読本〔一八七四(明治七)〕〈榊原・那珂・稲垣〉五「唐にて百姓の桑を採り蚕を養ひて製りたるを商人共の買取りて遙なる海上を経て吾邦に渡し」*茶話〔一九一五(大正四)~三〇〕〈薄田泣菫〉胃の腑「江戸の邸で遙(ハルカ)にその噂を聞き伝へた」〔二〕時間的に遠く隔たっているさま。また、時間的に長いさま。*蜻蛉日記〔九七四(天延二)頃〕下・天祿三年「おもひそめ物をこそおもへ今日よりはあふひはるかになりやしぬらん」*枕草子〔一〇C終〕一〇七・ゆくすゑはるかなるもの「ゆくすゑはるかなるもの、〈略〉産れたる児の、おとなになる程」*栄花物語〔一〇二八(長元元)~九二頃〕月の宴「船岡の松の緑も色濃く、行末はるかにめでたかりしことぞや」*大慈恩寺三蔵法師伝承徳三年点〔一〇九九(康和元)〕八「雲車一たび駕して、万古に悠(ハルカナル)哉(かな)」*梵舜本沙石集〔一二八三(弘安六)〕九・一三「『又かく御許し候も、可然事にこそ』とて、遙に御物語ありけり」*太平記〔一四C後〕二・長崎新左衛門尉意見事「遙(ハルカ)に御湯も召され候はぬに、御行水候へ」〔三〕心理的にいちじるしく隔たっているさま。差違のはなはだしいさま。(1)近づきがたく隔たっているさま。奥行のあるさま。深遠。*大唐三蔵玄奘法師表啓平安初期点〔八五〇(嘉祥三)頃〕「况や仏教の幽(ハルカニ)微(くは)しきをば、豈に能く仰ぎ測らむや」*大慈恩寺三蔵法師伝永久四年点〔一一一六(永久四)〕三「緬(ハルカニ)惟(おも)へば、業障一に何ぞ深く重き」(2)縁遠いさま。また、あえて遠ざけるさま。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕蛍「いとはるかにもてなし給ふうれはしさを、いみじく恨み聞え給ふ」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕総角「まして、こよなくはるかに、一くだり書き出でたまふ御返事だに、つつましくおぼえしを」(3)心が進まず、自分に関係のないものと思うさま。*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕桐壺「大床子の御膳(もの)などは、いとはるかに思し召したれば」*源氏物語〔一〇〇一(長保三)~一四頃〕宿木「そそのかし聞え給へど、いと、はるかにのみ思したれば」(4)程度がはなはだしいさま。*今昔物語集〔一一二〇(保安元)頃か〕四・二「此の飯(いひ)の味ひ遙に変じて悪(あしき)也」*愚管抄〔一二二〇(承久二)〕六・土御門「今の左大将、おとなには遙かにまさりて」*吾輩は猫である〔一九〇五(明治三八)~〇六〕〈夏目漱石〉一「其眼は人間の珍重する琥珀といふものよりも遙かに美しく輝いて居た」*怒りの花束〔一九四八(昭和二三)〕〈中野好夫〉「一つの矛盾、懐疑として一般的に反省されるようになったのは、遙かに最近であったと思ってよろしい」*他人の顔〔一九六四(昭和三九)〕〈安部公房〉白いノート「この誘いの効果は、予想をはるかに超えて現れたのである」【二】〔副〕(1)空間的に遠いさまを表わす語。ずっと遠くに。*虎明本狂言・鼻取相撲〔室町末~近世初〕「罷出たる者は、はるか遠国の者でござる」*滑稽本・浮世風呂〔一八〇九(文化六)~一三〕三・下「はるか見ゆるが津の島灘よ」*趣味の遺伝〔一九〇六(明治三九)〕〈夏目漱石〉一「人後に落ちた。而も普通の落ち方ではない。遙(ハル)かこなたの人後だから心細い」(2)時間的に遠いさま、また、時間的に長いさまを表わす語。長い間ずっと。*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕一六「はるかさきにあらうことを今云い記することを懸記と云ぞ」*破戒〔一九〇六(明治三九)〕〈島崎藤村〉八・二「多時(ハルカ)待って居なすったが」(3)程度がはなはだしいさまを表わす語。ずっと。*評判記・野郎虫〔一六六〇(万治三)〕上原庄太夫「舞おもはしからず、〈略〉偃師が周王のいかりをおこせしには、はるかおとれる成べし」*談義本・風流志道軒伝〔一七六三(宝暦一三)〕四「不二といへる名山あり。其大さ五岳にもはるかまさり」*思出の記〔一九〇〇(明治三三)~〇一〕〈徳富蘆花〉五・八「琵琶の水が遙(ハルカ)底にほの白ふ見へるのみである」*春泥〔一九二八(昭和三)〕〈久保田万太郎〉三羽烏・八「身分だの給金だのは、〈略〉吾妻や小倉たちのはるか上にあった」【方言】【一】〔形動〕久しぶり。《はるか》群馬県吾妻郡219《おはるか〔御─〕》長野県諏訪「おはるかでござります」054《はあるかぶり》長野県「はーるかぶりで晴れたから」475493【二】〔副〕長い間。《はるか》長野県上田475北安曇郡476愛知県北設楽郡063《はあるか》長野県484「はーるか遊んでいた」488《はありが》長野県西筑摩郡038【語源説】(1)「ハルカ(開処)」の義〔大言海〕。(2)「ハナルカタ(離方)」の義〔名言通〕。(3)「ヘルカ(隔所)」の義〔言元梯〕。(4)「ハ(端)」の義から派生した語〔国語の語根とその分類=大島正健〕。【発音】〈なまり〉ハーリカ・ハーリガ〔NHK(長野)〕〈標ア〉[ハ]〈ア史〉平安来○●○〈京ア〉(ル)【辞書】字鏡・色葉・名義・下学・和玉・文明・饅頭・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【遙】色葉・名義・和玉・文明・饅頭・易林・書言・ヘボン・言海【遼・杳】色葉・名義・和玉・文明・易林・書言【悠】字鏡・名義・和玉・文明・書言【緬】色葉・名義・和玉・文明・書言【賖・迢】色葉・名義・和玉・易林・書言【懸】色葉・名義・下学・和玉【眇】色葉・名義・和玉・書言【遐・邈・矌・闊・幽・玄・壅】色葉・名義・和玉【逈】色葉・名義・文明【曠・藐】名義・和玉・書言【逖・冥・綿・夐】色葉・名義【穰】色葉・和玉【迥・遰・懇・侵・浩・旻】名義・和玉【遠・遽・穬・訬・迸・捎・昭・迫・希・貇・虚・迩・眇々・淼々】色葉【蹟・踈・崢・嶸・陣・支・酌・迴・逕・逎・昊・也・天・淼・㵿・滔・濶・誚・踰・阻・隆・純・綧・風・懿・𢤥・遰】名義【墾・億・咿・逴・逓・去・茫・渺・漠・昉・㫐・懃・逍・泂】和玉【同訓異字】はるか【遙・悠・杳・迥・迢・渺・夐・緬・遼・邈】【遙】(ヨウ)さまよう。ぶらぶらする。「逍遙」 遠い。ひさしい。「遙遠」「遙遙」《古はるか・とほし・やうやく》【悠】(ユウ)うれえる。「悠鬱」「悠想」 遠い。ひさしい。かぎりない。「悠遠」「悠久」 ゆったりしたさま。ゆとりのあるさま。「悠然」「悠容」《古はるか・とほし・おほきなり・ひろめく・かすかなり・かなし・うれし・おぼゆ・おもふらむ》【杳】(ヨウ)くらい。おくふかい。くらくてはっきりしない。「杳冥」「杳杳」 遠い。遠くてはっきり見えない。「杳然」「杳渺」《古はるか・とほし・ひろし・ふかし・くらし・くろし・ほのか》【迥】(ケイ)遠くへだたるさま。「迥遠」「迥然」《古はるか・とほし・めぐる・いたる・ところかへる・むなし・なし・あらは・をかし》【迢】(チョウ)遠い。高い。「迢逓」「迢嶢」《古はるか・とほし・とどこほる・こゆ》【渺】(ビョウ)広々として果てしないさま。遠くてかすかなさま。「渺渺」「渺茫」《古はるか》【夐】(ケイ)遠く見わたす。遠くへだたるさま。「夐遠」「夐絶」《古はるかに・とほし》【緬】(メン)ほそい糸。遠くへだたるさま。「緬思」「緬然」《古はるか・はつかに・ほのか・あふ・ほそいと》【遼】(リョウ)距離的・時間的にへだたっている。遠い。「遼遠」「遼隔」《古はるか・とほし・しのぐ》【邈】(バク)遠くへだたるさま。遠くてかすかなさま。「邈乎」「邈志」《古はるか・とほし・さく・かくる・しのぶ・ことならむ》
ちょうーちょう[テウテウ]【迢迢】〔形動タリ〕(1)はるかに遠いさま。遠くへだたるさま。迢逓。*経国集〔八二七(天長四)〕一三・奉和太上天皇青山歌〈良岑安世〉「塵滓之郷去迢々些」*本朝麗藻〔一〇一〇(寛弘七)か〕下・白河山家眺望詩〈藤原公任〉「郊外卜居塵事稀、迢々春望思依々」*太平記〔一四C後〕四・備後三郎高徳事「雲山迢々(テウテウ)として月東南の天に出れば」*古詩十九首‐其一〇「迢迢牽牛星、皎皎河漢女」(2)他よりも抜きんでて高いさま。転じて、すぐれているさま。*経国集〔八二七(天長四)〕一四・奉和清凉殿画壁山水歌〈菅原清公〉「三江淼々尋間近、五岳迢々大裏生」*随筆・山中人饒舌〔一八一三(文化一〇)〕下「其言超々画竹三昧矣」*陶潜ー擬古詩「迢迢百尺楼、分明望四荒
ちょう-ちょう[テウテウ]【迢迢】〔形動タリ〕(1)はるかに遠いさま。遠くへだたるさま。迢逓。*経国集〔八二七(天長四)〕一三・奉和太上天皇青山歌〈良岑安世〉「塵滓之郷去迢迢些」*本朝麗藻〔一〇一〇(寛弘七)か〕下・白河山家眺望詩〈藤原公任〉「郊外卜居塵事稀、迢迢春望思依々」*太平記〔一四C後〕四・備後三郎高徳事「雲山迢々(テウテウ)として月東南の天に出れば」*古詩十九首-其一〇「迢迢牽牛星、皎皎河漢女」(2)他よりも抜きんでて高いさま。転じて、すぐれているさま。*経国集〔八二七(天長四)〕一四・奉和清凉殿画壁山水歌〈菅原清公〉「三江淼々尋間近、五岳迢々大裏生」*随筆・山中人饒舌〔一八一三(文化一〇)〕下「其言超々画竹三昧矣」*陶潜-擬古詩「迢迢百尺楼、分明望四荒

『白氏長慶集』の「迢迢」一四例
1江陵去道路迢迢一月程未必能治江上瘴且圖遙
2有枝何不棲迢迢不緩復不急樓上舟中聲闇入夢
3行難續相去迢迢二十年南侍御以石相贈助成水
4少小辭鄉曲迢迢四十載復向滎陽宿去時十一二
5秉燭遊況此迢迢夜明月滿西樓復有樽中酒置在
6各在一山隅迢迢幾十里清鏡碧屏風惜哉信爲羙
7宅北倚髙岡迢迢數千尺上有青青竹竹間多白石
8我有忘形友迢迢李與元或飛青雲上或落江湖閒
9登城東古臺迢迢東郊上有土青崔嵬不知何代物
10嗤嗤童稚戲迢迢歳夜長堂上書帳前長幼合成行
11勝醒時天地迢迢自長乆白兎赤烏相趂走身後堆
12江州我方去迢迢行未歇道路日乖隔音信日㫁絶
13此意未能忘迢迢青槐街相去八九坊秋來未相見
14期登香爐峯迢迢香爐峯心存耳目想終年牽物役

『六臣註文選』の「迢迢」一二例
1歡友蘭時往迢迢匿音徽虞淵引絶景四節逝若飛
2高樓一何峻迢迢峻而安綺䆫出塵冥飛陛躡雲端
3此貧與賤擬迢迢牽牛星昭昭清漢暉粲粲光天步
4但感别經時迢迢牽牛星皎皎河漢女纖纖擢素手
5 (五臣作迢迢犯綜曰亭亭迢迢髙貌干也濟曰
6    (迢迢綜五臣本作濟曰干觸也言髙觸
7風波豈還時迢迢萬里㠶茫茫終何之游當羅浮行
8何適知向曰迢迢逺也茫茫廣大貌言江水廣大不
9乎何適向曰迢迢逺也茫茫)  
10阻其歡情也迢迢逺皃皎皎明皃親此以夫喻君婦
11銑曰峻高也迢迢逺貌綺䆫結綺為䆫網也飛陛閣
12犯綜曰亭亭迢迢髙貌干也濟曰干觸也言髙觸雲

『藝文類聚』の「迢迢」一〇例
1裊裊仙榭尚迢迢一同西靡柏徒思芳樹蕭梁王筠
2飾𦕈修榦之迢迢凌髙墉而莖植𤣥鳥偏其増翥晞
3藹聳雲館之迢迢周歩檐以升降對玉堂之泬寥爾
4髙臺一何峻迢迢峻而安綺牕出塵冥飛階躡雲端
5也詩古詩曰迢迢牽牛星皎皎河漢女纎纎濯素手
6阿嬌樓閣起迢迢石頭足年少大道跨河橋絲桐無
7逹狀亭亭以迢迢神明崛其特起井幹疉而百增上
8太山一何髙迢迢造天庭峻極周已逺曽雲鬱㝠㝠
9漫漫三千里迢迢逺行客馳情戀朱顔寸陰過盈尺
10行曰大明上迢迢陽城射凌霄光照窓中婦絶世同

『禅林類聚』の「迢迢」一〇例
1木成云千里迢迢信不通歸來何事太怱怱白雲鎻
2去去西天路迢迢十萬餘佛印元頌云德山自得任
3話分携古路迢迢去莫追却笑波心遺劒者區區空
4關山重疊路迢迢嶺頭功德圓成久一點紅爐雪未
5手西天下萬迢迢投子青云苔殿重重紫氣深星分
6切忌從他覔迢迢與我疎我今獨自往處處得逢渠
7切忌隨他覔迢迢與我踈頭云若恁麼自救也未徹
8遠離西竺路迢迢親向支那弄海潮若要清風生閫

『太平御覧』の「迢迢」四例
1曰珥明璫之迢迢㸃雙的以發姿花釋名曰花勝草
2兮夫為奴歳迢迢兮難極寃痛悲兮心惻嗚呼哀兮
3曰仰兹山兮迢迢層石構兮峩峩朝日麗兮陽岩落
4未央古詩曰迢迢牽牛星皎皎河漢女纎纎擢素手

因みに、三巻本色葉字類抄』〔前田本天部重點門、下卷「テウテウ」の標記語

  • 朝々テウ/\  平濁テン/\  

 去濁去濁テウ/\  タヲヤカナリ

 上濁上濁テウ/\   泥々

名義抄』所載の「迢々」の語例が『字類抄』系の古辞書群に未載録とすることは、『字類抄』が雅やかさを代表とする此の詩語を敢えてこの辞書に収集せずに、詩語集覧を目的としていなく、詩作の手助けになるように活用するといった編纂意図には重点をおかなかったことを示しているのではなかろうか。

 では、此の『字類抄』重點字の五語は、如何なる内容を以て所載されているのかを次に稽査しておくことも必要となってくる。そのため、収録語の意義性を明確に解き明かしていくことが次なる肝要のこととなる。