昨日の朝日新聞、論壇時評に「シューカツ」が取り上げられていた
作家・高橋源一郎氏が書いている 『なんだか おかしいですよね』
とても興味深く読んだ、朝井リョウ「何者」にもふれられていたから
先日書いたように 私は最初、何者って「自分はいったい何者なんだろう」って、就活生が自問自答することだと思ってた
でも、本を読んで「(他者とは違う)何者かになりたい」って切望する現代の若者の心の叫びのようなものを感じたの
ところが、高橋氏は
―― シューカツの中で彼らは「仮面」をかぶることを強制される。会社(社会)にとって有益な何かをできる、積極的にしようとしている「何者」か、という仮面だ ――
―― 今日も、リクルートスーツに身を包んだ若者たちが、会社(社会)の求める「何者」に憑依して、会社訪問に出かけている――
と、このように 説明している
面白いなぁ・・・
同じ小説を読んでも、感想は人それぞれ! 受け取り方もいろいろなんだもん
そんな訳で、世の中のみなさんが どんな感想をお持ちなのかググッてみたのですよ
**「何者」というホラー小説を読んだ。・・・ 読んでしまったとしか言いようのない この読後感
心の中のもやもやを吐き出してしまわないと怖くて夜眠れないんじゃないだろうか
** 読み始めて最初にびっくりしたのは 「私たちの日常のリアルって、こうやって物語になるんだ」
ということだった
** 今、現代っ子が一番他人に言われたくない言葉ナンバー1が 「痛い」なのではないでしょうか
「痛い」とはつまりセルフイメージ (自分の思う理想の自分) と、外的評価のずれのことです
特に就活生というのは自分の理想とする高いセルフイメージが、就活という壁によって
縮小・断念していくという痛ましい経験を通過していかなくてはいけません
** 正直、これを読んで twitter もうやめようかと、ちょっと悩みました
あらためて、自分がとても痛い存在であることを 再確認させられた気がして
** 就活小説という上っ面を通して描かれるのはSNSによって繋がったりちぎれたりする人間関係の
脆さと、したたかさと、エグさ
ネット上に自分の近況や考えを垂れ流すことへの
耳が痛すぎる指摘 <<<これなんて、今こうしてブログ書いてる私にも当てはまります
** 20代は「何者か」になることで必死であり、それでいい
しかし30代 40代ともなると「何でもないもの」として、どう生きるかというもっと難しい問いが待っている
** 読み終えると分かるが、本書が描くのは就活そのものではない
就活への不安や焦り、就活の現実が丹念に描かれるのは確かだが、それはあくまでも
本書が最も鮮やかに描ききったものを 際立たせる為の状況にすぎない
では、本書が描いているものとは いったい何か?
それは、このソーシャルメディアの時代における観察することと、観察されることの二面性だ
いろんな読み方に、刺激を受けたり 共感したり
昔は、読書しても 父母や妹、夫、子ども・・・ 同じ本を読んだ友人としか感想を述べ合うなんてことできなかったけれど
今は、インターネットで いろんな人の感想を読めちゃうんだものね
ありがたいです
作家・高橋源一郎氏が書いている 『なんだか おかしいですよね』
とても興味深く読んだ、朝井リョウ「何者」にもふれられていたから
先日書いたように 私は最初、何者って「自分はいったい何者なんだろう」って、就活生が自問自答することだと思ってた
でも、本を読んで「(他者とは違う)何者かになりたい」って切望する現代の若者の心の叫びのようなものを感じたの
ところが、高橋氏は
―― シューカツの中で彼らは「仮面」をかぶることを強制される。会社(社会)にとって有益な何かをできる、積極的にしようとしている「何者」か、という仮面だ ――
―― 今日も、リクルートスーツに身を包んだ若者たちが、会社(社会)の求める「何者」に憑依して、会社訪問に出かけている――
と、このように 説明している
面白いなぁ・・・
同じ小説を読んでも、感想は人それぞれ! 受け取り方もいろいろなんだもん
そんな訳で、世の中のみなさんが どんな感想をお持ちなのかググッてみたのですよ
**「何者」というホラー小説を読んだ。・・・ 読んでしまったとしか言いようのない この読後感
心の中のもやもやを吐き出してしまわないと怖くて夜眠れないんじゃないだろうか
** 読み始めて最初にびっくりしたのは 「私たちの日常のリアルって、こうやって物語になるんだ」
ということだった
** 今、現代っ子が一番他人に言われたくない言葉ナンバー1が 「痛い」なのではないでしょうか
「痛い」とはつまりセルフイメージ (自分の思う理想の自分) と、外的評価のずれのことです
特に就活生というのは自分の理想とする高いセルフイメージが、就活という壁によって
縮小・断念していくという痛ましい経験を通過していかなくてはいけません
** 正直、これを読んで twitter もうやめようかと、ちょっと悩みました
あらためて、自分がとても痛い存在であることを 再確認させられた気がして
** 就活小説という上っ面を通して描かれるのはSNSによって繋がったりちぎれたりする人間関係の
脆さと、したたかさと、エグさ
ネット上に自分の近況や考えを垂れ流すことへの
耳が痛すぎる指摘 <<<これなんて、今こうしてブログ書いてる私にも当てはまります
** 20代は「何者か」になることで必死であり、それでいい
しかし30代 40代ともなると「何でもないもの」として、どう生きるかというもっと難しい問いが待っている
** 読み終えると分かるが、本書が描くのは就活そのものではない
就活への不安や焦り、就活の現実が丹念に描かれるのは確かだが、それはあくまでも
本書が最も鮮やかに描ききったものを 際立たせる為の状況にすぎない
では、本書が描いているものとは いったい何か?
それは、このソーシャルメディアの時代における観察することと、観察されることの二面性だ
いろんな読み方に、刺激を受けたり 共感したり
昔は、読書しても 父母や妹、夫、子ども・・・ 同じ本を読んだ友人としか感想を述べ合うなんてことできなかったけれど
今は、インターネットで いろんな人の感想を読めちゃうんだものね
ありがたいです