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ヘーゲル・マルクスからはじめる

経済学と哲学の学習

理念(ヘーゲル用語辞典より)

2010-03-30 08:22:35 | 日記

P140~142

<過程としての理念>

 理念は哲学史には、プラトンの《イデア(idea)》に由来する。かれのイデアは、感性的事物を超えて永遠に実在する事物の原型、現実の彼岸の超感性的な真実在を意味した。

 カントにおいても、理念は、経験的認識を体系的に統一する構成的な原理となるだけであって、経験的認識の対象とはならないものであった。かれは、このようなイデー(純粋理性理念)として、霊魂・世界・神を取り上げた。

 それにたいして、ヘーゲルの場合には、理念は、現実そのもののうちにあるのであって、現実の彼岸にあるのではない。理念には、《理想(Ideal)》の意味合いもあるが、ヘーゲルの理念としての理想は、現実の彼岸丹ある到達しえないような理想ではない。

 かれは、彼岸としての理想を否定するが、だからといって、所与の現実をそのまま肯定するものではない。ときに、ヘーゲルは現実肯定主義者として描かれることがあるが、それは、ヘーゲルの真意を捉えた解釈とはいいがたい。

彼は、理念を生動的な概念とそれに合致した実在性との統一とみなし、このような理念こそ現実的なものであると主張したのである。

ヘーゲルにおいては、概念に合致しないような実在性は、遅かれ早かれ消失してしまう偽りの現実性にすぎず、真に現実的なものではなかった。

 同時に、ヘーゲルは、生動的な概念の実在性との合致を前提されたものとしてではなく、ひとつの過程として捉えている。

理念が過程である以上、理想も、彼岸としてのみ理想なのではなく、理念の過程において実現されていくものといわねばならない。


<論理的理念の展開>

 過程としての理念は、①無時間性における論理的理念の発展(展開)としても、②時間における理念の発展としても述べられる。

 無時間性において論理的理念が展開されるのは、論理学のエレメントにおいてである。そこでは、論理的なものが、低次なものから高次なものへ、抽象的なものから具体的なものへ展開され、最後に、論理的なものそれ自身が理念(論理的理念)であることが明らかにされる。

 「論理学」の最終章「理念」においては、理念は、概念と実在性との、主観的なものと客観的なものとの統一であるといわれ、「生命」-「認識の理念」-「絶対的理念」として展開されている。

生命は、即自的理念として、概念と実在性との、主観的なものと客観的なものとの統一である。その場合に、ヘーゲルは、有機的生命だけではなく、存在するものの総体を生命あるものとみて、存在するものの生命を理念として捉えたのであった。

それにたいして、認識の理念は対自的理念として、主観的理念と客観的理念との分裂を克服する過程であり、そこでは、存在するものの生命(即自的理念)をいかに認識するかが考察される。

最後の即かつ対自的理念として生命と認識の理念との絶対的統一であるといわれ、存在の展開と認識とが完全に一致するものとみなされる。

 《絶対理念(absolute Idee)》にいたって、「論理学」で展開された論理的なものの本性が論理的理念であるということ、いいかえれば、論理的理念は、論理的なものが展開されてきたその体系全体であるということが明らかにされる。

論理的理念は、みずからの展開をとおして、自己を基礎づけるのである。このような前進的=後退的な歩みにおける方法が、分析と総合とが統一された絶対的方法であるといわれるが、その方法が考察されているのが、「絶対理念」の章なのである。



引用文献
ヘーゲル用語辞典
未来社 1991年