1970年代初頭
シマノが「コンポーネント」の事業展開をはじめた。
シマノ製複数パーツを組み合わせてユニット化
シマノはこれを「コンポーネント」と称して供給。
これまで複数パーツメーカーと個別に取引が通常だったのが 複数から取り寄せる必要がなくなり
シマノ一社との取引のみですむことに自転車メーカーは利便性を感じる。
その結果、他のパーツメーカーへの需要が少なくなる事態となる。
他のパーツメーカーはこれに対抗するため、各社パーツに「共通のペットネーム(統一愛称)」として「SUNTOUR」マークを使い、これをコンポーネント相当と位置づけたのだった・・・・・その時代を紹介して行きます。
シマノが「コンポーネント」の事業展開をはじめた。
シマノ製複数パーツを組み合わせてユニット化
シマノはこれを「コンポーネント」と称して供給。
これまで複数パーツメーカーと個別に取引が通常だったのが 複数から取り寄せる必要がなくなり
シマノ一社との取引のみですむことに自転車メーカーは利便性を感じる。
その結果、他のパーツメーカーへの需要が少なくなる事態となる。
他のパーツメーカーはこれに対抗するため、各社パーツに「共通のペットネーム(統一愛称)」として「SUNTOUR」マークを使い、これをコンポーネント相当と位置づけたのだった・・・・・その時代を紹介して行きます。
今からちょうど40年前ですね
私め、当時中目黒に住んでまして、ちょうど10日ほど前です、出張で上京したんですが、珍しく空き時間が取れたんで、中目黒まで行ったんですよ。
目黒銀座や通っていた小学校、住んでいた家など見てまわりましたが、記憶と一致する懐かしい風景は少なく、相当変わってました。
これが40年の時間の流れなんでしょうね・・・
そんな歴史が有るのですか?
79換装・・・早そうです。
40年の流れ ほんとに凄いですね
自転車部品メーカー 淘汰が 1970から約25年間以上あり 現在のシマノ社が 世界No1 になるまでに その他の企業も生き残りでサバイバル 最終 シマノSVカンパ になるまでの 経過は 実に愉しいです。
かいつまんで みます。
たぶん生まれる前の 出来事です。
ただどうして シマノがNo1になれたのか? カンパはどうして生き残れたのか? 見てゆくと今の時代に通じるものが有ります。
自転車の歴史から ヒントもらい 今に行かしたいなと。
自転車も
2008年に 日本では ブーム
2009年は 落ち着きを取り戻す 下降の安定期2010年が 次の時代に生き残りサバイバル時期
そんなこと 考えてます。
参考になれば いいな。