
日本のジャンプ競技の絶頂期と言っていい、あの1998年長野冬季オリンピックの時点で、8年後の五輪に岡部孝信選手が日本のエースとして臨むとは、誰が想像できたでしょう。
長野五輪といえば、あの原田雅彦選手の涙が日本中の感動を呼んだジャンプ団体だ。
リレハンメルでの「まさかの銀」から4年越しのドラマは、誰がこんなシナリオを書けるだろうってくらいに波乱に満ちたもので、クライマックスでの感動もすごかった。最後のジャンプ後、不安そうに掲示板を見つめていた船木選手が歓喜のガッツポーズをとり、走り寄ったチームメートたちが折り重なる。そして、コーチ陣が日の丸をなびかせながら斜面を滑り降りてきたあのシーンは今後もきっと忘れることがないだろう。
僕は胸のすくスポーツシーンならビデオで何十回でも繰り返し見てしまうタイプなのだが、この長野五輪ジャンプ団体で一番多く見たのは・・・ おそらく岡部孝信選手の2回目の飛躍じゃないかと思う。
独特の低い飛び出しから、まるでグライダーのようにK点のはるか向こうへと飛んでいった勇姿。原田、船木の両エースが1回目に失敗し思いがけず下位に沈む中、まさに起死回生の、日本チームを救った大ジャンプ。
「高くてびっくりした。みんなも飛んできてくれると思う」とインタビューに答える朴とつとした雰囲気にも好感を持ったし、原田選手の大ジャンプの直後も、自分のことのようにガッツポーズして喜んでいる姿が見ていて嬉しかった。
思えば、リレハンメルの団体戦も生中継で見ていたのだが、あの雲ひとつないノルウェーの青空を背景に、岡部選手や西方選手が描くアーチにほれぼれしたものだ。
僕にとってジャンプ競技の醍醐味は、長距離ジャンパーがK点を超えていくあの瞬間。深い前傾のまま落ちそうで落ちずにK点をフワっと越えていくようなジャンプ・・・ たまらなく好きだ。
ノーマルヒルよりは断然ラージヒルのほうが魅力的だと思うし、あまり見る機会はないが、フライングヒルでの、永遠に飛び続けていきそうなフライトも心底感動を覚える。選手は大変だろうけど・・・。
今でも一番印象に残っているのは、欧州のフライング大会で船木和喜選手が優勝したときのジャンプだ。
いつ、どこで行われたW杯だったのか、まったく思い出せないのが悔しいが、下界に広がる欧州の町並みにゆっくりと溶け込んでいくかのような「世界一美しい飛型」。
その船木選手、長野五輪では主役の一人だったが、あの最後の団体戦では今ひとつ精彩を欠いていたように思う。「4年前の原田さんの気持ちが分かった」との言葉どおり、最終ジャンパーとしてのプレッシャーの大きさは想像に難くないが、とにかく調子自体があの時点で下降気味だったと思われるジャンプなのだ。
五輪後のW杯の成績が伸びずに、チャンスが大きかったW杯総合優勝のタイトルをぺテルカ選手(スロベニア)にさらわれたのも、五輪の終盤で微妙にずれてしまった歯車が最後まで影響したと思えてならない。
ところで、日本人にとってはドラマチックで感動的なジャンプ団体の優勝だったが、世界のスキーファンにはどのように映っていたのだろうか?
例えば、男子スピードスケートのダン・ジャンセン選手(米国)が、悲運の連続の末にアルベールビルで念願の金メダルをつかんだとき、世界のファンが祝福の拍手を送ったと思うのだが、あの「別世界に飛んでいった」原田雅彦選手の大ジャンプに対しても、同様に世界中からの祝福があったと信じたいのだ。

夜の表彰式で満面の笑みを浮かべる日の丸飛行隊(表現古い?)の面々。セレモニーが終わって、観衆の真っ只中へと伸びた花道に次々と繰り出していく選手たち。そして、日本選手だけでなく、ドイツやオーストリアの選手たち、そして会場を埋め尽くした観客が一体となった「バンザイ!」が始まった。
僕は当時、このシーンを生放送で見ていて涙をこらえきれなかったように記憶している。
何が嬉しいって、W杯などで世界をいっしょに転戦している他国の選手たち、ドイツのトーマ選手やオーストリアのヘルバルト選手らが、原田選手をはじめ日本の選手たちと抱擁を繰り返し、そしていっしょに「バンザイ」してくれているのだ!
ライバルである一方で、お互いの苦楽を身近で感じ合って来たであろうアスリート同士の至福のひととき。原田選手が日本人じゃなかったとしても、きっと胸が熱くなったに違いない、スポーツの魅力が凝縮された名シーンだ。