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幻の野球団-消えない夢-

2006年07月07日 | baseball-2006
7月2日から5回にわたって朝日新聞(西部版)に掲載された連載記事が筆者の目に留まりました。
タイトルの「幻の野球団」とは、1970年代~80年代に存在した社会人野球のチーム「あけぼの通商」のことです。
筆者が知っている「あけぼの通商」といえば、現ホークスの守備コーチの島田誠やノーヒットノーランを達成したことがある柴田保光がプロ入り前にいたチームということしか分かりませんでした。
それに社名からしてなんの会社だか分からなかったのです。
この連載記事では「あけぼの通商」野球部がどのような足跡をたどったのか、そしてそこでプレーしていた選手、かかわった人々を追っている内容でした。
webでこの記事があればいいのですが、残念ながらありませんでした。
連載記事をそのまま書いても著作権が(ry なんで、難しいところです。

さて、「あけぼの通商」野球部の足跡を箇条書きで紹介します。
・1975年に設立
・本社は福岡県志免町。
・本業の主な業務は味噌や醤油の行商
・副業でバッティングセンターをやっていた(福岡空港の近くにあった)
・社員は全員野球選手
・選手は高校卒業後にプロ入りを目指すために来た
・名前の「あけぼの」は社長の実家が経営していた映画館「あけぼの座」から命名
・1976年秋、社長の息子が監督を務める社会人野球チームが廃部、チームごと引き取る
・1977年1月に日本野球連盟加入
・プロ選手が7人生んでいるが、チームは弱く1回戦コールド負けの常連
・公式戦初勝利は新日鉄八幡を破る大金星
・1985年に解散
・解散の理由は、選手の中にプロから声がかからないことの不満から去っていったから、ほとんど自然消滅に近かった

では、どのような環境・生活だったのかを箇条書きで紹介します。
・自前の練習場はなく、軟式用の狭い町営グラウンドで練習
・午前中はチーム練習、午後は行商に出る
・当時の大卒サラリーマンの初任給の平均は10万円だったころ、週1回手渡される給料は7千円
・それでは生活できないのでアルバイトしていた選手もいた
・普通の2階建ての民家を改造した寮があり、部屋は6畳間に2段ベットが2組づつある。
・狭いので部屋は汗のにおいが立ち込め湿っぽく、いびきと歯ぎしりが廊下まで聞こえた
・常時20人ほどいたが、数日で姿を消した選手も多い
・なので約9年間の活動中に何人いたかは不明

この記事を読んで思い出したのは、最近増えているクラブチームや四国アイランドリークの事でした。
劣悪な環境でも、プロを目指すためにがんばっている姿というのは、あけぼの通商の頃と変わっていないのだと思いました。

あけぼの通商が解散して20年。
在籍した選手からプロ入りしたのが7人。また、指導者として甲子園出場を果たした人もいます。
選手から指導者へ、今も「あけぼの通商」が脈々と生きているのだとこの連載記事で感じました。


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