ネットアルペン

山の仲間

ヨーロッパアルプス散歩

2010-11-25 00:15:47 | ブログ

1   6月末に九州の同級生からモンブランへ行かないかと誘われて、一度はいかなねばと思っていたから直ぐ返事をして、アルパインツアー社福岡に申し込みをした。このパッケージツアーより3日早く出て登ろうという算段だ。友人は大学時代の山岳部員で葡萄を作っている。あと3週間もないので少しはトレーニングと思い、13、4キロの錘を背負って1時間近くを歩いた程度のものだが、一応しておいた。幸い道具はこの春、南米へ行った時のもので間に合った。あとは不足があれば本場なのだから登山用品で買えばよいと思い、関西空港から友人夫妻と3人でジュネーブへ向った。 

 ジュネーブでは彼らと懇意のアルパインツアー社のガイドと合流してシャモニーまで行った。夜中でよく分らないと思ったらもうシャモニーであった。町はもう眠りに就いており、雨上がりのせいか静かであった。早々にホテルに入てビールを一口飲む。彼等は3度目ですっかり慣れ親しんでいる様子であったが、私は初めてで、少し興奮気味だった。翌朝、ホテルのテラスからエギュ-ドュミディに登るケーブルカーが見えた。綺麗な町並みである。朝食をすませ、ケーブルの乗り場へ向う。あちこちから登山スタイルや散歩スタイルで年配者が集まってくる。ケーブルカーは30人ほどが乗り、高度をぐんぐん上げて行く。10分ほどで終点に着く。付会霧で手がかじかむ程寒い。足慣らしと思って一応身支度はしてきたが、天候が悪く見物だけにした。その折、日本人で我々と同年輩と思われる登山者に会った。4度モンブラン登頂に挑戦しているが天候に恵まれなく、失敗してるそうであった。夕方、シャモニーのガイド組合の事務所に行くと、雨に濡れた多くのガイドがお客に会うために集まっていた。私たちもピエールという初老のガイドに落合うことが出来た。なかなかの顔らしく会うガイド達はみんな挨拶をしていた。明日の朝ケーブルの駅に6時30分に集合する約束で分れた。 

 翌朝は良く晴れていた。気持ちよくケーブルに乗って、終点から今度は登山電車に乗って二・デーグルに着く。ここから愈々モンブランの登山開始。電車から降りた登山者は100人ほどで結構盛況であった。身支度を整え、早々に登り始める。早いピッチで少々戸惑う。何とか霧の中、先導者について行きながら登山者の行列が出来る。10分ほど経つと列がばらばらと崩れ始める。3,000m近いがとくに呼吸に苦しさはなかった。道に雪が見え始めて程なく雪渓の端に着くと間もなくテートルース小屋だ。このころより私も同行者から遅れ気味になった。小屋に着いてからはゆっくり昼食を食べながらこの先の登りをあれこれ思案した。外は雪混じりになり、ガスも濃くなってきた。小屋からはアイゼン、ハーネスを着けて登り始める。やはり遅れ気味になり、30分ほど登ると雪原が切れてクロワールに近ずく。ガイドが「このままのペースでは二人とも登れない。お前が降りるか、二人とも降りるか」と聞いてきた。小屋に近ずいた頃から薄々ガイドの気持は伝わって来ていたので発案者の友人がまずは目的達成と考え、すぐに降りると返事した。そうしたらガイドが「小屋まで一人で降りれるか」と聞くから「それは大丈夫」と返事をする。すると直ぐ小屋に電話をして「カネコが降りて今晩一人で泊るから頼む」と連絡してくれた。そこでザイルを外して登りと下りに別れた。周りはガスで視界はあまり無い。他の登山者にも降り始めて居る人が見えた。

 20分ほどで小屋に着くと日本人は私だけであったので直ぐ分り「連絡を聞いているから今夜の部屋は大丈夫だ」と言われ、100ユーロ程支払って部屋に落ち着いた。小屋にはもう50人程が入って居て、天気が悪いのがわかる。電気は充分あるためかなり暖かい。小屋の外壁はソーラーパネルが一杯着いていて環境に配慮した小屋であった。夜ご飯はたっぷりの野菜スープとパン、各種チーズで人数が多いせいか二部制だった。18時から1時間ほどの間隔でした。デザートはババロアも出てすごい。おかわりは自由でボリュームたっぷり、大食堂で60人ほどで2回戦。ベッドルームは2段ベッドで薄手の毛布と枕がセットになっている。これではきっと寒いだろう高所服で寝ようかと思っていたが、30人程で一杯になった部屋は機密性が高いせいか夜中には息苦しいほどで一種の酸欠状態だった。23時過ぎるころから早くも出発するパーティーがドアを開け閉めするたび新鮮な空気が入り込み、息苦しさから開放された。

 翌朝はどんぶり並々一杯のコーヒーか紅茶とパンとチーズ。高度障害を除くためにも大量の水分は必要だ。小屋の中でごろごろしていると11時頃、友人とガイドが「登ってきたぞ」帰ってきた。すっかりやつれた顔になっていたから相当にきつかっただろうと想像する。軽く昼食をと思ったが受け付けなくて水分補給だけにする。ガイドは顔見知りとすごい勢いでおしゃべりだ。彼に聞くと朝2時に小屋を出て登りだし、ガイドがすごいスピードで登るのでそれに負けずと頑張ったようだ。50人くらいを抜き去って頂上で写真を撮ってすぐ下山にかかったそうだ。私と別れてすぐクーロワ-ルのトラバースにかかったそうだが、そこは落石の巣で、登山者が溜まってしまうらしい。彼もそこで落石に遇い、足に怪我をしていた。ここがヘルメットの必要なところです。彼はすっかりバテテしまい、ゆっくり下りたいと言って小屋の中でのんびりしているとガイドが早く下ろうと言い出して出発。14時の登山電車に乗るからと急がせる。私は休んでいたからいいものの、登頂した彼は大変だ。途中から彼の荷物はガイドが持ち、走り始めた。まあいいやと私は彼のペースに合わせてゆっくりと下る。ガイドは急がすの繰り返しで何とか電車乗り場へ着いたら、狙った電車はキャンセルで2時間近く待つ羽目に。腹が減ったのと寒いのとで結構辛い時間であったが、彼は登って来た分救われたかもしれない。今回の反省はスピードが無かったことに尽きる。技術的にはほとんどの皆さんが問題ないと思う。もし目指すならスピードをつけることです。

 秋口だったか、NHKのハイビジョンTVでマッターホルン登頂を放映していたが、あの岩場での登攀スピードは同行者もびっくりしていた。荷物を背負ってのトレーニングも必要だろうが、走ることも大事かもしれない。青山夫妻が登頂したのは見事なものです。下山後、夜遅く本体のグループ14名が到着。翌日からシャモニーで3日、ガストンレビュファーが壁画になっていたり山岳博物館では彼が中心であった。イタリア側に周り、クールマイユールから3日間ハイキング最後の日にボナッティー小屋へ寄り、彼の写真を見て感激してきました。短かった楽しい旅でした。                  記  H 金子