むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「1」 ⑥

2024年08月25日 08時44分45秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・少女のころ、
私は父と話したことがある

「遠くて近いものは、
舟の道ね」



今の私に言わせれば、

「極楽」

と付け加えたい

更に「男女の仲」とも

極楽は仏さまの教えでは、
十万億土の遠くにあるということだが、
また仏を念ずれば近くになるという

私は亡父を思うことが、
極楽を見るような思いに打たれた

父が私に示してくれた愛、
父の生き方、
父の物の見方、
それらに私は包まれ、
浸りきっているとき、
たしかに極楽浄土であった

任地の遠い肥後で死んだとき、
父は八十を超えていた

「あと半年すれば都へ帰れる
かわいい姫の顔も見られる、
とおたのしみでございましたのに」

父の遺骨や遺品を携えて、
帰った者たちはそういって泣いた

任期を半年残して、
父は死んだのであった

父としては、
歌人としての名も挙げたし、
八十過ぎまでの人生、
最後の最後まで、
地方長官として働いたのだから、
男の一生に花を咲かせた、
と心残りはないかもしれない

でも私はもう、こののち、

「かわいい姫や」

と無償の愛をふりそそいで、
くれる人と出会うことはないだろう

私に当てた手紙でもないかと、
遺品をさがしてみたが、
あるのは歌稿ばかりであった

それでも私は、
父が意気消沈して、
涙ぐんでる姿など、
思い浮かべられなかった

父はやさしくてあかるくて、
そして軽々しいおどけ者であった

看取る身内が、
一人もない最期の床で、父は、

(もう、おしまいだよ
おさらばだよ
私は極楽へ行くから、
あとからまちがわずにおいでよ
かわいい姫や)

といってる気がする

そして私はよけいに、
一人で死んだ父があわれで、
泣けるのであった

父の遺産を相続する時になって、
私の兄弟たちは揉めに揉めた

それは私に父と交わした会話を、
またもや思い出させた

(近くて遠いものは?)

(十二月の晦日と一月一日よ)

といったっけ

しかし「近くて遠いもの」は、
「仲のよくない兄弟や親類」
なのだ

なまじ血がつながって、
近いようでありながら、
心と心は遠いのだった

私と同腹の兄、致信は、
異母兄姉たちのきらわれ者であった

この頃、
まだ元服もせず、
髪をふりわけたまま、
恐ろしい姿をして、
大刀を腰にたばさみ、
都大路を練り歩き、
身持ちのよくない舎人らと組んで、
人々を脅し歩いたりしていた

致信は私には、
やさしい兄であったが、
彼の所業はまともな社会人である、
兄や姉にはことごとく嫌われている

いうなら、
暴力団ともいうべき、
京わらんべで、
武力だけを頼りに生きており、
その頃から、
藤原保昌(やすまさ)どのの邸に、
出入りしていた

保昌どのは、
道長公の家司で、
武辺好みの勇ましい人であった

親族たちが寄った席で、
形見分けの話が出たりすると、
兄は大声を出した

ある時、
兄が酒に酔って、
暴れたことがあった

すると則光が、

「致信さん、ちょっと」

と兄に近づき、
うしろから羽交い絞めに、
してしまった

その頃、則光は若かったから、
力自慢の兄がどんなに暴れても、
ぴりっとも出来ないのであった

則光は尊大な異母兄姉たちより、
暴れ者の致信のほうに、
親近感を持っているようであった

私の異母兄姉のうちには、
僧になって花山院に仕える、
戒秀という人もいた

この人は僧である上に、
歌詠みとしても名高かったが、
教養と物欲は無関係らしく、

「私は僧として、
早うから比叡へやられ、
親の恵み薄うおした
そやよってに、その分、
ほかの方々より、
ようけ頂かしてもろても、
ええように思うのどす」

というのであった

それやこれやで、
父の葬式ののち、
いざこざは長く続いた

私は則光と結婚する時に、
すでに分与されていた、
ということになって、
もらった分はほんのわずかであった

父の歌稿を欲しかったが、
それも戒秀が父の歌集を編む、
というのですっかり持ち帰った

兄、姉たちに比べれば、
私の受け取った遺産は、
わずかだった

私は父の思い出を、
いちばん最近まで、
記憶にとどめているというだけでも、
幸せかもしれない

私は長兄とは二十以上も違い、
自己主張して争うだけの、
貫禄はなく、
それに私には経済的観念はない

「一の人になりたい」
というのは、
愛情やら才分の点において、
であって、
決して経済的見地から、
いうのではなかった

私が現実的欲望に、
淡々としているのと同じく、
則光の興味と関心も、
別のところにあった

「親父さんは肥後で、
地元の若い女を、
かわいがっていたそうだね」

則光はそれを面白がっていた

「誰がいったの?
そんなこと」

「家来たちだよ
親父さんの遺言で、
身のまわりの品や着物は、
その女に形見分けとして、
やってきたそうだ」

則光も私と同じく、
物質的欲望に関心があるのではなく、
男同士として面白いと、
思っているようだった

そういう若い愛人がいた、
ということも私の父の像を、
そこないはしない






          


(次回へ)

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