私ごときのblogを訪れていただきありがとうございます。
このblogに辿り着いた方はもしかするとご自身やご家族の方に同じ病気で悩まれているのではないでしょうか。
私自身も病気が発覚してからインターネットを通じて色々と情報を得て安心したことありますし、未だによくわからないこともあります。
同じ病気で悩まれている方が少しでも不安な気持ちを和らげることが出来ればと思い、胃癌の発覚から今日に至るまでを記録しております。
私の個人的な経験や想いなので読まれた方の気分を害する事があるかもしれませんが、ご容赦ください。
癌は生活習慣病といわれております。まず、34歳で病気が発覚するまでのライフスタイルや身体について整理したいと思います。
身体は180cm、76kg、体脂肪率15%程度の体型で、体温は35℃台とやや低めでした。タバコは全く吸ったことはなく、お酒も生ビール中ジョッキ1杯で充分な程です。
食生活も一人暮らしをしたことがないので、基本的には家飯を食べており外食は週1~2回程度です。食事の量は多く、20代の頃は晩御飯の時に一人で2合の白米を食べるほどご飯好きです。味は比較的濃い目を好んでいたように思います。魚より肉派、生物も大好きな肉食系です。野菜も好きでたっぷり食べ好き嫌いはありません。麺類も大好きです。
お茶やミネラルウォーターなど水分補給も多目にしている方だと思ってます。珈琲は1日で2~3杯の程度です。
ただ、牛乳やヨーグルトなどの乳製品はお腹が痛くなるので好んでは食べていませんでした。
胃腸は比較的弱い方だと思ってます。快便でしたがやや緩めな感じの毎日です。お腹がピーピーになることはよくありました。
運動は、毎日コツコツとランニングをしたりするわけではなく、20代の時は月2~3回程度でフットサルで体を動かし、30代になってからは月1回程度の運動程度です。運動は好きなので機会があれば参加するといった感じです。インドア派ではなく完全にアウトドア派の生活スタイル。
睡眠時間は6~7時間程度の睡眠時間です。
持病は、小さい頃からアトピー性皮膚炎と少し花粉症に悩まされていた程度で、毎年受けている健康診断でも全て正常でした。胃カメラは30歳の時に人間ドックを受診し、一度飲んだぐらいです。バリウム検査は一度も受けたことがありませんでした。
身体の変化としては、30代になり脂肪がなかなか落ちにくくなったなぁと思うぐらいで、比較的健康に過ごしてきたと思ってます。
仕事はデスクワークで、朝から晩までパソコンと向かい合っています。遅くても22時には家に帰り、土日はお休みといったライフスタイルです。
結婚し二人の子供に恵まれ、日々穏やかに過ごしているところに病気が発覚してしまいました。
偶然にも35歳の会社の節目検診により健康診断のメニューに胃のバリウム検査が追加されました。この初めて受けたバリウム検査で異常が認められました。35歳からは毎年人間ドックを受診しようと思っていた矢先の出来事です。
異常が認められた時点では、全く自覚症状はありません。異常といわれても何のことか理解出来ないぐらい身体はピンピンしており、まさか癌だとは想像もしてませんでした。
その後、総合病院での胃カメラによる精密検査により、未分化型印環細胞癌(signetring cell)であることをあっさりと告知されました。3cm大の癌細胞が胃の上部に2箇所出来ているとのことです。勿論、癌の知識などないので『あっ、はい。』というだけて精一杯。自分がおかれている状況が理解出来ていなかったという方が正しいかもしれません。
内科の先生が『悪い顔している。早めに対処しよう』と呟いていた。先生が私と目を合わさずにいたことが気掛かりでした。あまり状態がよくないのだろうと雰囲気から察してしまった。
悪い顔というのは癌のなかでも悪性度の強い種類であったことを後で知りました。
告知後は頭が真っ白になり、何でや?何でや?何で癌になったんや自問自答を繰り返す日々が少し続きました。
自分が今までやってきたことを全て否定された気になり、自暴自棄になった気がします。このまま人生が終わるのではないかと不安になり、夜中に何度も目が覚めたこともありました。未来が見えないことがこんなに恐ろしいものだと初めて体感しました。
子供を不安にさせないためにも子供の前では平然と装ってましたが、夜中に子供の寝顔を見ると感情が溢れだします。妻の事を考えても同じく感情が溢れてくる日々。
夜が怖かった。辛かった。
一緒に頑張ろうと言ってくれた妻の一言でどれだけありがたかったか。子供の笑顔にどれだけ助けられたか。家族には感謝しか出てこないです。
妻の一言で冷静さを取り戻すことができ、病気と向き合える覚悟もできた気がします。告知をされてからは何で癌になってしまったのかと過去の事ばかり考えてしまっていました。原因を考えても誰もわからないですし、考えるだけ無駄です。
自分自身を責めても仕方がないので、絶対に自分自身を責めるようなことはやめてほしいです。
風邪をひいた、虫歯ができた。そんなことでいちいち自分自身を責めないですよね。そんな程度と気持ちを切り替えてからは随分と楽になりました。気を付けてても病気になるときはなる。unluckyだったんだと思うこと。そんな感じ。
自分自身を責めるエネルギーを未来のために費やすべきだと思います。自分の未来、家族の未来のために。
さぁ、病気と向かい合うぞと覚悟が出来たつもりで、インターネットや書籍で身体の状態を調べようとし
ました。
事実を知りたいけど知りたくない。そんな心境の中、ステージ、生存率、治療、手術など重々しい言葉をみると心が折れそうになる。本屋さんの医学本の陳列をみて身体が震え、本を手に取り中身を見ることさえ出来なかった。
色々と調べても病気が治るわけではないし、気持ちが落ち込むのであればやめた方がいいと妻が言ってくれた。また、助けられた。
調べた情報の全てが怖いのではありません。胃癌で闘病生活を送られている人のブログなどには励まされました。インターネットを通じて情報発信を行っている位ですから比較的年齢も若く、体験談を細かく記録されていました。しかも、同じ病気で戦っている人が結構多い。医学本は客観的に書かれているのに対し、日々感じたことを記録してくれている個人のブログなどの情報は非常に助かりました。
私自身のブログを再開する切っ掛けになりましたし、このように振り返りを書くことにより少しでも情報発信ができればと思います。
日々のことはblogの『闘病生活』のカテゴリーを見ていただければと思います。
告知後、幸か不幸か総合病院も年末年始の特別休暇に入ってしまい約2週間位の空白期間が出来てしまいました。
休み中はこれ以上病気が進行しないようにただただ祈るだけ。無事、手術ができる状態であることを祈るだけ。
気分転換と思い大好きなスキーにも家族で出掛けましたが、人生最後のスキーになるのかもしれないとネガティブに考えてしまう瞬間も多々ありました。
マイナス思考は良くないと思いつつも追い込まれると誰しもマイナス思考になってしまいますね。これも自然の摂理なのかもしれません。目の前で起きている出来事を目に焼き付けようと必死になっていたのも事実です。妻の笑顔、子供たちの笑顔、両親の笑顔、景色を必死に記憶しようとしてました。
身体の中で起きている少しの変化にも過剰に反応してしまいます。みぞおち付近の違和感、背中の張りなどの症状が少し出てきた感じがします。もしかしたら随分と前からそのような症状があったのかもしれませんが、気づいていなかっただけなのかもしれません。
長い長い休み中に、不自由なく美味しいものをたっぷりと食べたため、体重も2kg増の78kgまでバージョンアップしてました。
年明けにはセカンドオピニオン制度を利用し、癌センターでの所見も聞きに行くことを決めました。
大病の時はセカンドオピニオン制度で違う目線で診察していただくのがよいと思います。人によってはセカンドオピニオンを利用することにより、主治医を信用していないと思われるのが嫌だと感じる方もいるようです。
大病を患いながらも主治医に気を使う必要なんてありません。医者もプロですし、凡人の精神では勤まらない職業です。セカンドオピニオン制度を使っても何とも思っていないでしょう。セカンドオピニオン制度を是非使いましょう。
自分の気になることを全て質問表にまとめて、セカンドオピニオンの担当の先生からアドバイスをいただきました。
この時の手術前診断ではステージ1bと説明されました。一方的に説明されるのではなく、ゆっくり時間をかけて納得するまで説明いただけるので気分的にもスッキリしました。診断というよりはお医者さんとフリートークしている感じです。
総合病院での検査が全て終わり、内科の先生から外科の先生にバトンが渡されました。
勝手に外科医はクールで取っ付きにくい雰囲気と思い込んでいましたが全くの逆でした。非常に物腰も柔らかく親身に丁寧に対応してくれました。レントゲンや内視鏡の映像をみせながら細かく分かりやすく説明いただきました。
外科の先生は自ら手術を施すため、理論と実務が伴っている感じでしょうか。妙な安定感と安心感が滲み出てます。
手術も込み合っており約2週間後の1月末にようやく決定しました。頑張っていたんだなぁ告知から手術が確定するまで1ヶ月以上かかりました。セカンドオピニオン先のガンセンターで手術を行うのも選択肢としてありましたが、総合病院の方が家からも近く、ガンセンターなら2ヶ月位待つ必要がありましたので総合病院での手術を決意しました。
手術までの2週間は今後の不透明さもあり、最低限の身近な人のみに近況を伝えました。今後、どうなるかわからない不透明な状況におかれ、自分が一番不安であったので、友人にさえ伝えれる心境ではなかったのです。
手術まではひたすら美味しいものを食べ続け、後は無事を祈るだけの毎日でした。
一番辛かったのは子供たちへ病気と入院のことを伝えなければいけないときでした。嘘はつけないし本当のことを子供にも理解できるように話をした。
泣きじゃくる子供をみて、子供に不安な気持ちにさせてしまったと申し訳ないと強く思った。やはり子供には日々安定した気持ちで過ごせるような環境を与えてあげないといけないなぁと痛感しました。当たり前ですが、両親がいて元気で仲良し。子供たちにとってそれ以上のことはないでしょう。
こんなことでくたばるわけにはいきません。
必ず元気になり春に開催される幼稚園の親子運動会で、一緒に帽子取りに参加することを心に誓いました。
そして入院へ。
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