もみちゃんとあめりか

今までの思い出や日々感じた事などを、いろいろ書き込んでいきたいと思います。

住人さん達

2006-07-26 | Weblog
我が家の『住人さん達』は最近どうも遠慮がなくなってきていた。

階段を上がったり降りたりする足音や
キッチンに居ると誰かが後ろを通り過ぎて行くのを感じたり
パッと人の影が見えてス~ッと壁に消えていったり.....と
こんな事は日常茶飯事だった。

私だけが最近こんな体験をするのかと思い
子供等に聞いてみた所
階段を上がってくるのを一瞬パッと見えたり
誰かが部屋の前を通り過ぎる感じがしたり
風も無いのにドアの前のゴミ箱のビニール袋が
カサカサ動いたり.....とあったらしいが
これまた日常茶飯事の事なので
別に驚く必要もなかったので私に教えなかったそうだ。

一番驚いたのは
私が床に座りTVを見ていて旦那は後ろのソファーに座っていた時
私の横を誰かが歩いている影がス~ッと動いていき
パッと突然消えてしまった。

私は『エッ!!』と思わず後ろに居る旦那の顔を見たら
旦那は目をまん丸に開きショックを受けた顔をしていたので
『見た?』と聞いたら
『ウン!今のなんだったんだぁ~』

私は動く影を見たが
旦那は白い光が動いていくのを見たらしい。

彼等の存在を認めたとたんに活動が活発になったなんて.....

悪いものを清める塩などを使ってやる方法は知っているが
この『住人さん達』は悪いものじゃないので
下手にやり方を間違えて、
それこそ悪いものにしてしまい怒らせてしまうのも嫌だし....と
色々考えていたんですよ。

そこで手っ取り早く「朝に線香をたく」のを実践し始めたら.....
これが当たったのか、たまたま見ないだけなのか?
ここ1週間ほど『住人さん達』は静かになったんです!!

ホントあちらの世界の人達との同居も色々気を使いますよ。

『高いローンを毎月払っているのは私達なんだから遠慮してくださいよぉ~』と言ってはいるものの、彼等は聞こえているのかな?

旦那の持って帰って来たものは.......。

2006-07-15 | Weblog
意気揚々と何やら大きな物を抱えて旦那が仕事から帰って来た。

『見てみろよぉ。面白いのがあるぞ!!』と言い
私に見せたのは画像を見て分かるように
夜になると電気をつける店の外にある看板なのです.....。

『こんなの持ってきてどうするのよぉ~』(私)

『イヤァ~店でいらなくなったから持ってきたんだよぉ。子供等の部屋に置けば喜ぶんじゃないかなぁ~』(旦那)

.....と早速子供等を呼び自慢げに
『欲しいか?どうだ部屋に置くとカッコイイだろう?』と見せびらかしたが

3人共それを見ると『........いらない


この間もアイオワの店から
店頭にある見本の携帯電話を何個か持って帰ってきて
子供等に一個づつあげたんだけど
小さい子供じゃないんだからニセモノの携帯もらっても嬉しくないんだよ!!

前までは家具、電化製品、宝石類の販売をする
『Rent to Own』の商売を10年近くやっていまして
その時は業者がトラックで店まで持ってくる時に
TVのスクリーンにチョイトひびがあったり
コンピューター、ソファも同様に
店頭には出せない欠陥商品が結構沢山ありまして
その時は信じられないくらい家にいつも持って帰って来た。

その時はコンピューターが4~5台。電子レンジ2台。
ソファ3セット。ベットルームセット。掃除機。
ダイニングテーブルのセット2組.....と
家具屋でも始めれるんじゃない?と思うくらい家の中が満杯だった。
そして我が家にはもう入りきれない状態だったので
義両親の家にも色々持って行き
タダで家中が家具だらけになったので
彼等はホクホク顔だった。

しかしながら、親や旦那さんの職業から
色々と得する事は多いと思う。
私の父親は中学の校長だったので先生方だけが使う
答えや説明が書かれた教科書を何時も私に持ってきてくれて
英語の授業は楽勝だった。
そして何時も文房具類や本は家の中に豊富にあった。

子供等は
『ダディが日本のパン屋さんやラーメン屋さんだったら何時も美味しい物が食べれたのに.....』と言うが
私からすれば
『あぁ~旦那の仕事が.....』というより
『旦那がジョニー.デップやジョン.ボンジョビだったらこんな看板持って帰ってこないよなぁ』と思ってしまったのでした。






ゆで卵は何分?

2006-07-13 | もみちゃんとあめりか
夕方頃突然
『ピンポーン』とドアベルが鳴った。

ロンは
『知らないジイサンがたってるよぉ~』と言った。

私はケーブルTVへの勧誘か何かかと思ったので
セーラに
『アンタチョット対応して要らない!と言ってよ』と頼んだ。

そしてセーラがドアを開けたところ
何故かロボットのような声が聞こえてきて
なぜかしらセーラはしどろもどろの対応をしながら
直ぐに困った顔をして私の所に聞きに来た。

『ゆで卵は何分茹でればいいの?だって』

『ヘッ???』一瞬何のことか分からずもう一度セーラに言ってもらったら

『ジイサンがゆで卵は何分茹でれば出来るのか?だって』

『余計な事は言わずに知らない!の一点張りで追い返しなさい!!』とだけ
彼女に言い
ドアの所まで戻って行ったセーラの声と
ロボットのような声のジイサンのやり取りが二言三言ぐらい続き
無事、変なジイサンを追い出す事が出来たらしい。

あまりにも???の事ばかりなので
セーラに『なんだったの?』と聞きいてみたところ


ドアを開けた瞬間ジイサンが手に持っているものに目が行き
『やば~い!!ナイフか棒みたいのを持ってるよぉ~』って思って
咄嗟に身を構えたのよぉ。
そしたらジイサンその凶器(?)を持ち上げたので
『やられる!』と思ったら
ジイサンそれを自分の喉仏にあてて
ロボットのような声で話し出したの。

『................』

『???????』
やられるぅ!!ッて思っていたから突然何が起こったか分からなかったけど
直ぐに『この人声帯を失って話せないんだ』と気が付いたのよぉ。
そこで冷静になり

『エッ?なんですか?』

『ゆで卵は何分で出来るかわかります?』

『エッ???』

『お母さんか誰か居るの?』

『チョット待ってて.....』



『私も分からないんですよぉ』

『誰も居ないの?ホント一人だけ?』

『いいえ!!』

『あっそう、じゃあ....』
 
........と言うわけだったのよぉ。
ホントビックリよぉ
今まで片手で穴をふさぎながら話す人は見たことはあるけれど
電気みたいなのを当てて話す人はTVでしか見た事がなかったからねぇ。

......とセーラは変わったジイサンの事だけに対して
珍しい物を見たぐらいに面白がっていたが
私は直ぐに
『ジイサン何処に行った!!』とロンに聞き
どうも隣の隣にある大きな家をアパートみたくしている家があり
そこに移ってきた新しい住人らしいのが分かった。

そして3人を居間に呼び講義を始めたのである。

『まず、このジイサン本当にゆで卵の作り方を知りたかったのかもしれないし
卵を理由にして声が出せないのを利用して同情させておき、
日中何処のうちが留守か?子供が一人でいるか?、
また家の中を見て調べ上げ
そのうちに盗みに入るつもりかもしれないし.....と
悲しい事だけど、今の物騒な世の中だから人を信じてはいけないんだよ』という事を話しだした。

数ヶ月前にオマハのニュースで
歩行器を使った初老の男の人が銀行へ行き
ノートを破いた紙切れに書いた
『金をよこさないと殺すぞ!!』をカウンターへ置き
まんまと金を盗んだ人が居たらしい。
本当に歩行器のジイサンが盗んだのなら
盗まれた銀行のカウンターに居た人がバカなのだろうけど
歩行器を使いカムフラージュして健全なジイサンがやったのなら
この事件はズル賢い奴だったという事になる。

このような事件からも分かるように
実際どちらなのか分からない時もあるので
そういう体の不自由な人を見かけても
『100%信じるな!』とも教えなくてはいけないんだから
親としては辛い所があるが
自分を守っていく為には仕方の無い事なのかもしれない。

ところでゆで卵って何分で茹でるのが一番なのだろう?
私は硬ゆで卵は10分間!と思っていたが
旦那は煮立ってから3分!と言ってるし
セーラは『調理実習では5分だって!』
別にどうでもいい事だが、何か気になってしまって....。





7月11日

2006-07-11 | Weblog
私の母方は、もともとは平家の落ち武者でして
曾爺さんの代まで墓は作れなかったのだそうだ。
源平合戦の後流れ流れて福島の会津若松まで流れ着き
後々は何代にもわたり油問屋を商っていたらしい。

そして、曾爺さんの代に
曾爺さんが字が読めなかった為
騙されてニセ証書に判を押さされ
家屋敷全て失ってしまい
その後は炭作りをしながら山村から山村へと移り
生活をしていったらしい。
そのうちに大湊へ落ち着いたそうで.....。

父方の家系はよく覚えていないんだよなぁ~。
覚えているのは
『父親達兄弟がが小さい時に一家で樺太へ移住して戦争がが悪化する直前に内地へ戻ってきた』事ぐらい。
これは、今度キチンと聞いておかなくては駄目だなぁ。

旦那側の家系となると
これまたひどいもので旦那は殆ど知らない!!

旦那の父方は
苗字のとおり、風貌も性格も
『風と共に去りぬ』のスカーレット.オハラの父親同様
バリバリのアイルランド人だ。
何時どのようにアイルランドから移り
何でミシシッピーまで来たのか
残念ながら旦那も義父も知らないらしい。

義母側はドイツ系だが
曾婆さんはインディアンだったそうだ。
義母の母親は13歳で結婚させられ
彼女はその相手が嫌で嫌で、
自分の結婚式の披露宴で違う男の子と駆け落ちをした!

そんなわけでして我が家の子供等は
平家の落ち武者、アイルランド人とインデアンとドイツ系と
とんでもなく複雑な家系、血統(?)先祖の下に生まれてきた。

だから時々私は彼等と旦那に
『私は100%血統書つきの日本人だけど、あんた等はホント雑種だよなぁ』と
言ってるけど
この「雑種人」ばかりの国アメリカが
今世界でもっとも力のある国なんだから
もしかするとこの「ミックスカルチャー」が
アメリカのパワーの源なのではないのかな?


















昨日の話の続きですが............。

2006-07-04 | Weblog
アメリカに来て一年弱で
アラスカのエーダックというベーリング海に浮かぶ
小さな島へ転勤になった直後に
旦那の前々から痛んでいた足が、どうしようもないくらいの激痛に襲われるようになった為
アンカレッジの病院へ入院させられる事になった。

エーダックからアンカレッジまでは飛行機で3時間以上も離れていたし
軍用機で旦那は送られた為
私達は付いていく事も出来ず、不安な日々を送っていた。
何日か後に検査の結果が分かり
その結果は
『骨肉種の恐れがあるから今すぐ手術を!』

もう凄いショックで食べ物も喉に通らず
それでも小さい子供がいるんだからしっかりしなくては!!と
日本の両親やミシシッピーの家族に連絡をとり
旦那には
『まだ悪性だとは決まっていないんだから大丈夫!!』と
希望を持たせるように励ましていた。

旦那の仕事の方からは
「私をアンカレッジまでに行かせてその間子供達は皆で面倒を見てあげるから」と
言われたが
どのくらいの期間滞在するか分からないし
1歳になったばかりのジェイミーと2歳半のセーラを
見ず知らずの他人に何週間も預けるのは不安であるし
そこまで皆に迷惑をかけるのは心苦しくもあった為
旦那と話し合い
「今回の手術は一人だけで....」という答えを出した。

そして『手術の結果次第でこれからどうなるかわからないので
私が家に居て家庭をしっかり守っていかなくては!!』と
頑張っていこうと、この時ある程度の覚悟は決めていた。

手術の当日は結果が分かるまで
電話の前を離れれずオロオロしていた

手術の結果は仕事場の方にもいくようになっており
長時間の予定だったが
何と2~3時間で電話が仕事の方からあり

『いやぁ~よかったよかった!!』

『エッ?何のこと?』

『手術の結果は骨肉種でもなんでもなく、何らかの原因で骨の中が感染していて膿だらけで骨が解けていて蜂の巣みたく穴だらけだったんだってさぁ』

『へっ??』

『2週間ぐらいで帰ってくれるらしいからホントよかったねぇ~!!』

『あぁ~よかったぁ~!!』
  
私はこの電話の後今までの緊張感がイッキになくなり
座り込んでしまいました。

麻酔から覚めた旦那からもこの数時間後には電話をもらい
『手術を始めてすぐにピュ~と膿が噴出して医者達は何が起こったのか一瞬分からなかった』そうだ。

そして
『解けた骨の部分は全て削り取った。そして腰から骨を取りその部分に移植(?)して金具で補助した。』そうです。


2週間後には、車椅子で胸からは感染症の治療の為のチューブをつけたままの旦那が、飛行機のタラップから下ろされ無事エーダックへと帰って来たのです。

この間2ヶ月ぐらいでしたでしょうか?
色々な人たちに助けてもらいました。
この当時車の免許をまだ持っていなくて
時々食糧を買いに行くのに乗せてもらったり
仕事場の人達から何時も電話を貰ったりもしました。

日本人の家族も2組居まして精神的に支えてもらいました。


.............と、長い長~い前置きになっちゃいまして
果たしてこれを前置きと言えるのかな?
昨日のブログを書いた後
『誤解されちゃったかなァ~』
と思いまして....

自分では他人に頼りたくない!と思いながらも
色々な人に助けてもらわなくてはどうしょうもないときもあるんですよ。

また、直接何もしてもらわなくても話をするだけで
ストレスの発散をできる時もあるんです。

私はこのときの経験から他人にお世話になるありがたみを
嫌というほど知っているので
「お世話してあげる」というのは全然平気なんですよ。

デモね、そこはやはり人と人との関わりが出てくるので
ちょっとした考えのずれや誤解なども生じてきて
『お世話する』
『お世話される』
の関係がこじれてくる時もあるんですよねぇ....。

だから、私達親子は決して
『面倒になるから嫌だ!』
と思ってワザと避けているわけじゃないって言う事をフォローしたくて書いてみましたが、上手く説明できたかな.....。








娘の成長

2006-07-03 | Weblog
先日、ようやく大学の寮とルームメートのインフォメーションが
Eメールで送られてきた。
寮は希望通りの女子だけのになり
ルームメイトはカンザス州の子になったらしい。

寮の申し込みの時点で
色々な質問事項に答えなくてはいけなく
まず希望の寮は?
そして生活のスケジュールは朝型が夜型か?
そしてルームメイトは留学生でもよいか?という
質問事項もあった。

その時私
『留学生なら面白いじゃない?』と言ったところ

セーラ
『友達になるのはいいけども同室になるのはなぁ....』と
どうもパッとしない返事であった。

『何で?嫌なの?』

『う~ん、英語がろくに話せない分からないんだから、そうなると自然にルームメートの私に頼ってくるじゃない?』

『アッ!そうだよねぇ~』

『自分の事だけで精一杯なのに、他人の事まで面倒見てられないよぉ~』


『ウンウン』

『助けてあげるのは平気だけども、そのうちあてにされて断りきれずに困ってしまうかもしれないでしょ?』

『........』

『お母さんもそんな経験あるじゃない!!』

『あっ! そっそうだったよね......』


イヤァ~娘に言われるとはなぁ~
まいったなぁ~

そうなんですよ
初めは
一人で友達もあまりいなく
異国の地で不安やらストレスがあるだろうな......と
可哀想に思いまして
頻繁に電話をしたりあっちこっちへ連れて行ったりしていた人がいたんです。
.....が、そのうちに

『今日突然〇〇屋さんが家に来ることになったけど英語分からないから来て貰える?』

とか

『〇〇を返品しに行きたいけども旦那も息子も嫌がって連れて行ってくれないから代わりに連れて行ってくれる?それと英語が話せないから代わりにやってくれる?』

....と言うように、次第に遠慮がなくなってきましてねぇ~

実はこの返品の件では、私はやりたくなかったんですよ。
だって
『レシートを無くしてるから返品は出来ない!!』という店のポリシーがあったし
それと
『返品の理由もウソの理由を創作(?)しまして、それを店の人に話してもらいたい!』と私に細々とそのシナリオをEメールで送ってよこしたんだよぉ~。

だから丁寧に断ったところ
彼女ムッとしていたのよねぇ。

まぁ、そんなわけでして
いろいろな事があったんですよ。

親を見て子は育つのだろうけども
私のそういうことを見てきたセーラは
色々と彼女なりに考えていたんですね。

娘の成長を喜ぶと同時に
「親としてもっとしっかりしなくてはいけないなぁ」と
新たに思ってしまいました。