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仏教の修行ですが、美容にも効果あり!~断食~

2019年08月26日 18時17分43秒 | 日記
修行の一環として一週間断食をした事がありました。
結果として言うと、一週間は体の負担が大きいと感じました。


食べなくなって二日もすれば、飢餓感も少なくなってきます。
内臓が動かなくなってくると、食欲もなくなります。
日常生活(特に仕事)をしながらの断食は注意が必要でしょう。
四日目くらいから、だんだん動きが鈍くなってきました。
完全なるガス欠。エネルギー不足を感じました。


不思議なもので、食べないと考える時間が多くなります。
一日三食、そして何回かの間食がなくなると言うことは、自由時間が増えるのです。
内臓にエネルギーを使わないので、脳が活性化されるようです。
集中力はかなり高まります。これが大きな成果でしょうか。


問題はこの後です。食事を始めるのが大変なのです。
一週間も働かなかった内臓は、すぐには動き出しません。
流動食から始めなければ、受付けないのです。


私は翌日から出張の為、一日で普通食に戻しました。
丸一日、食事の度に少しですがのたうち回っていました。
本来は二日か三日はかけるべきと痛感しました。



しかし、断食は確実に内臓の掃除になります。
腸内の老廃物は、食事再開時にほとんど排出されます。
断食以降の栄養吸収力は高まっているでしょう。
頭のほうもスッキリとした状態が保てます。
このへんは断食のご利益でしょうか。


断食に入った時も、断食中も、ある程度で慣れてしまえば大きな問題はありません。
問題があるとすれば、断食後の事。
普通食に戻すことが難しいという事でしょう。



そこで二日程度の断食のお勧めです。
週末から食事を断ち、二日間食事を口にしません。
飢餓感との戦いはありますが、自由時間は物凄く長く感じます。


月曜日の朝から軽い食事を始めて下さい。
昼食も少し胃の負担の少ないものを選ぶのがイイでしょうね。
夕食くらいから普通に食べられると思います。


二日間の断食で、体は驚くほど軽くなります。
宿便が排泄されお肌も綺麗になるでしょう。
食べれない苦しみが一番多い二日間だけの断食。
飢餓感は絶頂を迎えますが、体にはほとんど負担はありません。
お肌の調子の悪い方、ぜひ一度お試し下さい。


超オススメ!断食後の食事の美味しい事、請け合いです。
(yahooブログより転記)

憑依ね~

2019年08月26日 18時10分32秒 | 日記
人の霊はモチロン、犬や猫、狐や狸、蛇や蛸、魚に至るまで霊障の話はどこにでもあったりする。
本当なのだろうか?

憑依については、俺の経験上ままあると言える。
事実、俺達自信も自分の肉体に憑依していると考えられない事もないだろう。

加持祈祷を生業(なりわい)としている以上、憑依とは絶対的に遭遇する。
しかし、それが依頼人の生活に著しい障害を与えているものばかりとは限らない。

逆の言い方をしてみよう。
祈祷依頼があって霊視を行うとする。
先祖の霊など有縁の者、事件・事故・自殺など変死と言われる者の霊。
これが依頼人に憑いている事は非常に多いのである。
そして、ペットであった犬猫などの動物霊が憑いていると言う事もある。
俺などは不動明王と言う仏様が憑いていると考えている。
つまり誰でも、ほぼ100%の確率で何かの霊が憑いているのだ。

問題はそれがあなたに「どのような悪さをしているか?」と言う事。
単に憑依しているだけなら、生活に大きな支障は出てこない。
現実に、行者と呼ばれる者達は体のあちこちにそんな霊を抱えている。
多少重かったり、鬱陶しかったりはするが生活して行く事に大きな支障はない。

行者と言う生きものは特殊な者と考えれば、論外ではあるが、
ごく一般的な人にも、憑依の例は多くあると言う事を理解して欲しい。


養鶏や養豚などの畜産業者や漁師なども殺生を日常的に行っている。
海洋生物でも知能の高い、クジラやイルカを食用に捕獲してもいる。
動物が霊障をもたらすなら、こいつらも魂があるんではないだろうか?
霊長類と呼ばれる猿などは、進化の過程から言えばもっと人間に近い。
ならば、そいつらの憑依や霊障も多くあって当然と俺は考える。

だが、そんな話はとんと聞いた事がない。
捕鯨やイルカ漁を邪魔する外国の団体などの妨害はあるが、それは祟りや霊障とは言えないよね。
猿害は生きている猿による被害であって、霊障ではないしその例もない。


精神疾患の多くは現代科学(医学)で解明されている。
昔々は原因不明で祟りや障りとして考えられていたものも、
病気として説明が出来るのだ。

加持祈祷師として、霊障の最前線に俺は居ると思っている。
その俺が疑問に思うのが、動物霊の憑依・祟りによる精神疾患だ。
原因が憑依にあるなら、祈祷により完治する事が絶対条件ではないか?
しつこい憑依は難しい面はあるが、全てが除霊不可能とは俺は考えない。

日々進化している最新医療で難病が完治する例も増えている。
千年以上の歴史を持つ加持祈祷で霊障が納まらないとは俺には考えられない。
除霊を行っても病が完治しないのは、原因が憑依ではないからだ。

ドクターの診立てにも「誤診」はあるものだ。
そんな時は皆さん、
セカンド・オピニオンとかサード・オピニオンを受けるんじゃないかな?

俺たちの視立てにも「誤診」はある。
自分の観た(霊視した)モノを俺自身半分以上疑っている。
霊視のメカニズム自体が俺にはどうなっているのかわからない。
現代の科学では説明できない事象である事は皆さんもご存じの通りだね。

だが、視える事・わかる事も事実である。
偶然の一致と言えないくらいの確率で様々な事が一致する。
だからと言って、視えるモノ感じるモノの全てが事実とは言えない。
行者の思い込み・先入観はあって当然と理解して欲しい。


憑依は実際にこの世の中にあるものだ。
でもね、病気や人間関係・個人の運・不運の多くが霊障に依るものではない。
因果応報と言う言葉があるが、
あなたの長い人間生活により発生した、垢のようなものが原因とは考えられないだろうか?

病気の多くはストレスなど日常的な問題の堆積により引き起こされる。
それを解消するにはそれなりの時間がかかると俺は思う。
加持祈祷で治せない事は無いが、憑依や祟りほど簡単ではない。

日常生活の歪によるものと霊障、
どちらも加持祈祷の対象にはなるが、効果の出方には大きな違いがある事を理解して欲しい。
病の原因が霊障だけなら霊能者・行者に依頼すれば完治する。
だが、そうでない場合は最先端の医療による治療も用いるべきではないだろうか?

動物霊の憑依や祟りが病の根本的な原因。
そう決めるのはかなり危険な事ではないだろうか?
少なくとも加持祈祷で早期に治癒しないものについては、
疑問を投げかけても良いと俺は考える。


話が長くなって申し訳ない。
結論を書こう。

憑依に合理的な説明は難しいが、
少なくともあなたが納得できるような解説はして貰おう。
加持祈祷師には、その説明責任はあると俺は思っている。
説明できない場合、疑う事もOKではないかな?


憑依はホントにあるんだけどね。

加持祈祷の種類?その2

2019年08月26日 17時02分58秒 | 日記
荼吉尼天神変不思議法
四種法(息災・増益・敬愛・降伏)に通じるが、やはり財宝福徳であろうか。
夜叉であったものが、仏法の力により善神となったと言ういきさつがある。
『キリク』の真言が、このダキニの功徳を引き出すものである。
眷属も多く、その中にはキツネや管狐と呼ばれるスパイ要員も居たりする。
諜報網は素晴らしく、どんな重要秘密も知ってしまうと言う。
あなたの人に言えないムニュムニュも、この天には知られているかもしれない。
一心に祈り修すれども効なき時は、大黒天を勧請すべしとある。
大黒様はダキニの怖~いお目付け役なんだね。
とにかくご利益が大きいダキニ、行者は死後己の臓物を捧げる事になっている。


摩利支天穏形法
荼吉尼天が狐に跨るのは有名だが、こちらはちょっと変わっている。
そう、猪に乗っている(片足立ち!)のである。
仏教界の乗り物は、その性格を表していると俺は思う。
荼吉尼が乗る狐がスポーツカー的な敏捷さを持つなら、
猪は高性能SUV(飛行可能)で、速さと逞しさを持っているのだ。

白衣の天女形のものも一部あるようだが、ほとんどは三面六臂の強面である。
こちらも四種法に通じるが、多くは調伏か除難のご利益を求められた。
尊像を身に着けると魔物から守られると信じられ、戦国武将の人気を集めた。
究め付けは『穏形』である。
陽炎を神格化したものであるから、当然見る事が出来ないものである。
強力な助っ人、守護神であるがその存在を第三者に知られる事は無い。
時には行者の姿も隠してくれるとも言われている。
常に身につける為、その尊像は小さく作られる事が多かった。
個人持ちで、とても小さいのだからまあ、見る事は稀だろうね。


迦楼羅天百種成就法
天部の仏であるが、あまり有名とは言えないかもしれない。
しかし、『ガルーダ』と言えば聞いた事もあるんじゃないだろうか。
インドネシアの航空会社の名前でもあるが、金翅鳥を意味している。
とてつもなく大きな鳥で三百三十万方里の翼長を持つと言われる。
祈雨・止雨をご利益の第一とするが、龍や蛇に関する事も対応している。
つまり、龍・蛇使いの本尊となっていた可能性も多い。
『百種』とあるように、あらゆるご利益があるが、ちょっと書くに憚られるものも多い。
(破談・破滅・狂気・神降ろし・・・など、など)
効果の速さも特筆ものだそうだが、かなり難しい修法と感じる。
プロ中のプロ、正確かつ理解力が長けていなければ自在に用いるのは無理だろう。


鬼子母神秘法
別名『訶梨帝母』とも。
子沢山で子煩悩ではあるが、人の子を取って喰らう悪鬼であった。
仏法の庇護のもと善神と化するは、他の天部と同様であろうか。
鬼神と聞くと恐ろしい形相を思うが、何ととてつもない美形である。
天部の美女は他にも居るが、母性を表した美女は他に抜きん出ている。
母の強さと優しさを持つ絶世の美女。
世の男性の殆どがクラクラしそうな女神様である。うっとり・・・。
行者の尊像がそれでは問題ありなのか、憤怒形のご本尊もあるようだ。
ご利益はズバリ、安産・小児の健全(健康)生育。
怨敵調伏には髑髏を用いる事は有名。元悪鬼の名残だろうか。
そしてこの髑髏、一度しか使えない。
使い回し厳禁の、使い捨て髑髏をどうやって調達するのかは俺には分からない。
その他様々なご利益、修法があるが、ここでは書かない。
ただ、この天へのお供えは絶対に食べてはいけないとされる。
(多分多くの子供に与えるのだろう)
お供えの作法にも色々細かい決まりがあるらしい。
かなりおっそろしいが、マザコン傾向のある男子にはそりゃ、魅力的だろう。

(yahooブログより転記)

加持祈祷の種類?

2019年08月26日 16時59分42秒 | 日記
加持祈祷には秘密修法と言うモノがあるが、それを列記してみよう。
全く参考にはならないと思うので、読み飛ばして頂ければ結構である。

文殊菩薩大智慧成就法
知恵の菩薩である事から、大智慧を求める『求智』に修する事が多い。
『五字文殊法』が一般的。
『一字文殊法』は安産祈願、「虐疾」(マラリア)平癒。
『六字文殊法』滅罪に用いる。
『八字文殊法』は天変鎮宅と言うから、地震等にも効果があるのかもしれない。

虚空蔵求聞持法
福を得る事、智慧を得る事、名聞(名声を得る)などの本尊とされる。
が、虚空無限なる智慧の仏である事から、その智慧を得るために多くは信仰される。
この仏に一心に念じれば、不浄の女人も男身に転ずる事が叶うと言う。
男尊女卑の古代インドの発想と考えられる。
平成のニューハーフに利益はあるのだろうか?
『求聞持法』と言われる大智慧を得、覚えた事を忘れる事がないと言われる修法は、
虚空蔵の真言を、五十万遍から百万遍唱える事とされている。
真言密教の祖、空海も若い頃行ったとされる。

大黒天千座法
戦勝を祈る本尊であったのは、現代人には意外である。
普通には福徳を求める本尊であろう。
出雲のオオクニヌシと習合してしまい、メタボの袋担ぎのおっさん姿が多いが、
密教の本尊は実はもっとオドロオドロシイ『三面大黒天』だったりする。
ご利益も大きいが、祟りも激しいあの陀枳尼天を叱り飛ばす物凄さである。
大日如来の化身とも言われるから、それもアリなのかもしれない。
『千座秘密法』は福徳自在、この上なき幸運を得る事を成すと言う。

毘沙門天成就法
四天王の一尊で北方の守護を担当する。
釈尊の言葉を誰よりも多く聞いた事から、多聞天と呼ばれる。
サンスクリット訛の名称が『毘沙門天』である。
独尊として祀られる時は、毘沙門天と呼ばれる事が多い。
福神であるが、甲冑をまとう事からも分かるように、戦いの神でもある。
しかし、現代では福徳を得る事を祈るのが常だろう。
降伏・穏行飛行・求食法・旅行安全・祈雨法などもある。

弁財天妙音成就法
毘沙門天と同様、七福神の構成要因だったりするが、
異形のおっさんたちに混じり、美貌の女神として存在する。
紅一点と言うより、匂い立つ美の象徴と言える。
我々は美しいものを見ると幸福に感じるものである。
琵琶を持つ事から芸事や音楽に関するご利益を感じる。
が、管鍼を考案した鍼師、杉山和一が願掛けした事は有名である。
かなりぶきっちょだったらしいから、弁財天の芸事(?)へのご利益は偉大と思う。
密教の修法は八臂のものを本尊とする事が多いようだ。
福徳へのご利益は大きいだろう。

聖天神変自在法
歓喜天、もしくは『ビナヤカ(毘那夜迦)』と呼ばれる。
像頭(体は人)の二体が抱き合った形だが、ほとんどが秘仏。
一方はインドのガネーシャで、もう一方が観音菩薩と言われる。
夫婦和合・福徳・敬愛等のご利益は大きい。
が、しかしこの尊、めっちゃくちゃに気が荒い。
七代の福を集める力があるのだが、怒ると祟りも激しいと言われる。
七代祟る可能性が無いとは言えないね。

(yahooブログより転記)

トイレの神様

2019年08月26日 16時53分14秒 | 日記
少し前のヒット曲『トイレの神様』、
紅白でも歌われた曲ではあるが、この神様ってのは一体どなたなのだろう?
『トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで』
という歌詞から察するに、どうやら女神であるようだ。

どうも思い当たる節がない。
仏教ではトイレに祀られるのは『烏枢沙摩明王』である。
しかし、これは明王と言う仏であり、密教の明王らしく姿形はかなり恐ろしい。
綺麗・キレイと言う言葉で表現できる存在ではないし、モチロン女神でもない。
では一体この歌の神様とは何者なのだろうかと思うよね。

可能性として考えられるのが、弁財天である。
かつて、『まんが日本むかしばなし』と言うTVアニメがあった。
その中の七福神の話で、それぞれの神様が家のどこかを守ると言うのがあったのだ。
来た順番に各自お気に入りの場所を決めて行ったのだが、お洒落な弁財天は最後になった。
どうもメイクに時間がかかってしまったらしい。
するともう守るべき場所がトイレしか残っていなかったと言うオチ。

弁財天(サラスバティー)は水に関わる神様である事から、トイレの神様となっても満更間違いとは言い切れないが、まあそれはトイレが水洗式になった現代の事。
昔の便所には関係なさそうに感じる。

だが、俺の知る範囲ではトイレの女神とはこれだけである。

(yahooブログから転記)