稲佐山の展望台からも良く見えた、「浦上天主堂」へ行って見ました。
行った日は、中には入れませんでしたが、窓が開いていて、ちょこっと中が見られました。



慶応元年(1865)に建てられ、原爆で廃墟となり、昭和34年に再建築されたそうです。
信者12000人の内、8500人が被爆して亡くなったそうです。
青い空に煉瓦の赤が映えていました。

台風が接近していたので、急いで帰ることにしました。。。
食事の時間もなかったので、途中で可愛いおむすびをゲットしました

。












駆け足ではありましたが、長崎市内はとてもとても、きれいな街でした。
バス停で、迷っていると「どこに行かれるのですか?」と
お声をかけて下さった方々もいらして、どこでも親切にしていただき、大好きな街になりました。
そして・・・・・
原爆の悲しい事実・・・改めて、世界中で被爆したのは、日本だけであり、それも二度も。。。
それは決して忘れてはならない事で、これからも、その恐ろしさを次世代に伝えて行かなければならない、と
思いました。










行った日は、中には入れませんでしたが、窓が開いていて、ちょこっと中が見られました。





慶応元年(1865)に建てられ、原爆で廃墟となり、昭和34年に再建築されたそうです。
信者12000人の内、8500人が被爆して亡くなったそうです。
青い空に煉瓦の赤が映えていました。

台風が接近していたので、急いで帰ることにしました。。。
食事の時間もなかったので、途中で可愛いおむすびをゲットしました

















駆け足ではありましたが、長崎市内はとてもとても、きれいな街でした。
バス停で、迷っていると「どこに行かれるのですか?」と
お声をかけて下さった方々もいらして、どこでも親切にしていただき、大好きな街になりました。
そして・・・・・
原爆の悲しい事実・・・改めて、世界中で被爆したのは、日本だけであり、それも二度も。。。
それは決して忘れてはならない事で、これからも、その恐ろしさを次世代に伝えて行かなければならない、と
思いました。









