私、水廼舎學人です

久保憲一のプライベートな世界。なんでもありです。

熊野の天女が舞い降りた

2009年05月09日 | ようこそ、ようこそ
昨日(8日)、熊野の天女 矢吹紫帆夫妻が参拝に来られた

水屋の大楠にて

母と雑談

「天女座物語~水屋神社にお詣りしました」という矢吹紫帆・矢中鷹光さんのブログ日記を御覧下さい

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■心を癒す

日本のヒーリングミユージックの第ー人者が熊野に !


全米でもCDを発売 !
日本におけるヒーリングミュージックの第ー人者、矢吹紫帆。

彼女の音楽の基本スタイルは、シンセサイザーによる即興演奏だ。瞬時に、そして自由自在に、人々の心を癒す映像的で美しいメロディーが紡ぎ出される。

岡山に生まれ、京都での17年間を経て、2000年に夫・矢中鷹光とともに熊野に移り住んだ。そして熊野に、海の見える音楽ホール「天女座」をオープンし、この神秘の地から、世界にメッセージを発信し続けているのだ。

彼女の才能は天性のもののようで、子供の頃から窓の外を眺めては、即興でピアノを演奏していたという。

音楽大学在学中から、ホテルでピアノ演奏のアルバイト。卒業後は、ジャズバンドのピアニストととして夜の街を演奏して渡り歩いた。

そしてあるイベントでシンセサイザーと出会い惚れ込み、それ以降シンセを中心とした音楽へと変化していった。



彼女の抜群の行動力を示すこんなエピソードがある。
「今日、ここに有名なミュージシャンが泊まるんですよ」
彼女はある旅館に泊まっていたのだが、偶然にもそこに、環境音楽の巨匠ブライアン・イーノが宿泊するという。彼女は、女将にとんでもないお願いを申し出た。
「イーノの部屋の給仕の女の子と代わってもらえないでしょうか」
イーノの傍らで給仕をしながら、話し掛けるチャンスを伺う。

「マイ・ネーム・イズ・シホ・ヤブキー」
イーノを尊敬していること、自分も作曲をしていること、そしてあなたとお話がしたいために給仕に化けてやってきたのだと、英語で一気にまくしたてた。
「ユーアー・ソー・クレバー !(あなたは本当に賢いねー)」その突然の告白に、イーノ達は大爆笑!
「僕達の演奏を聞きにおいでよー」
ライブはもちろん、打ち上げにも参加。泊まる部屋まで用意してもらって、夜遅くまで彼らと語り合ったという。



そんなある日、紫帆のもとに「通の手紙が届く。サンフランシスコのFM局に送ったデモテープの結果が来たのだ。
なんとCDを全米発売したいとの知らせ!急きょ渡米、録音とCDジャケットの撮影に挑んだ。

そしてCDが発売されると、カナダでニューエージ部門の人気投票で第2位を獲得するなど、大成功を収めた。紫帆の音楽はいとも簡単に国境を越え、世界レベルで認められたのだ !

驚異! 4オクターブの声域

矢中鷹光は、海外でも評価の高い即興ボイスパフォーマー。地を這う低音から透き通る高音まで、4オクターブの声域を持つ。

東京で生まれ、60年代ロックの影響を受け、エレクトリック・ギターを始めたのが音楽活動の始まりだ。

普通に会社員になったが、このままサラリーマンで終わりたくないと、会社を休んでアメリカに放浪の旅に出る。4ヶ月半の貧乏旅行を終えて帰国すると、すでに会社に居場所はなかったという。





■熊野の天女

【天女座】矢吹紫帆・矢中鷹光

思い切って京都に飛び、そこで庭師になろうと決意。親方のもとで厳しい修行に励んでいた。
矢吹紫帆との出会いは、そんな頃だった。二人でいると安らぎ、お互いありのままの自分でいられる…。そう気付いた彼らは、共にこれからの音楽人生を歩んでいくことになる。

刑務所で演奏!

二人は「10万人とふれあうコンサート」と題し、日本全国の様々な場所、本当にいろんなところで演奏をしてきた。
なんと京都刑務所でも受刑者のために演奏した。
「ギンギラギンにお願いします」
所長の言葉に遠慮なく演奏を開始すると、「おおっー」っと、観客からはどよめきとヤンヤ、ヤンヤの喝采 !
「即興で演奏しますので、お好きなお題をどうぞ」
「自由 !」「面会 !」
それらのお題に合わせて演奏を始めると、さらに大きな拍手が沸き起こった。
その後、刑務所で何度も演奏するにつれ、即興のお題が「自由」といった切実なものから、「夜空を駆ける天使達」といった、ビックリするほど詩的なものに変化をとげたという。その音楽は確実に受刑者の心を癒したのだ。


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