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懐かしの鉄道車輌「103系」

2006-04-28 23:20:08 | 懐かしの鉄道車輌
103系は1963年から1984年の21年間にわたって製造、101系の後継車として生産されてその車両数は3000輌に達し、首都圏、中京圏・関西圏の大都市はもとより全国各地に配置されました。
路線区ごとに中央線・大阪環状線はオレンジ、京浜東北線・関西の東海道線・阪和線はブルー、山手線・奈良線はグリーン、総武・南武線・宝塚線はイエローという具合にカラーコーディネートされて配属されました。
外観デザインは101系を踏襲されていますが、初期型と後半型に分けられ後半投入車輌は前面運転台の窓が高くなり高運転台型と名付けられました。
常磐線の103系は15輌の長大編成で特に北千住ー松戸ー柏ー我孫子間は時速110キロ以上の激走を見せています。
松戸に当時住んでいましたので上野ー松戸間をこの103を利用しましたが北千住ー松戸間は車輌をがたがた云わせてものすごい勢いで疾走するせいかモーターのあるモハは床が熱くなるほどでした。
地下鉄千代田線に新型車が投入されると地下鉄用車輌103系が常磐線用エメラルドグリーンに塗装され直して大量に投入されました。
ちなみに地下鉄線用103系は前面貫通ドアでした。
一時は3000輌の多い車両数があった103系も後継車201系、205系が登場するに及び次第に地方路線、仙石線、大糸線、呉線、などに配属されて大都市圏ではその姿を見なくなって来ています。

懐かしの鉄道車輌  新幹線「100系」

2006-04-05 15:26:51 | 懐かしの鉄道車輌
新幹線が開通して初代01系に変わって1985年10月より高い旅客サービスの向上、よりグレードアップされた乗り心地と快適性を提供するために新たに100系新幹線が東海道・山陽新幹線に投入されました。
初代新幹線01系から100系にはじめて乗ったときの胸の躍る感激はいまだに忘れられません。
東京駅の新幹線ホームを100系を見ながら歩くとひときわ高いダブルデッカー車が挟まれていて普通車も座席、車内のアコモデーションも良く高さ、広さの面から今のどの車輌よりも素晴らしかったです。
車内に入りやがて四点チャイム、ピン・パン・ポン・パンと鳴ると
「おはようございます、本日もJR東海をご利用くださいまして誠にありがとうございます。この列車はひかり3号新大阪行でございます。次は新横浜に着きます。
新横浜・名古屋・京都・新大阪の順に停車します。・・・・・・・・・・・・・・
続いて「Ladys & gentlemen,Wellcome bord Tokaidou Sinnkansen.This is Super Express Hikari3 bound for ShinOsaka,Next is Shin Yokohama Thank you.」という日本語・英語の案内を聞くともう新幹線だなあと背中がぞくぞくきてました。
これまでの01系に変わり飛躍的に旅客サービスが向上し車内のゆったりした座席と二階建てグリーン車(ダブルデッカー)の優越性・食堂車、のちにビュッフェ車など、どれを取ってもハイグレード感一杯でした。
100系新幹線の売り物は明るくて広い食堂車が連結されていたことです。
よく富士山の眺望を楽しみながら洋食や日本食を楽しんだものです。
おいしい食事を友人と楽しみながらしばし忙しいビジネスの癒しになりました。
この食堂車はのちにビュッフェ車になってとうとう人件費の節減、要員確保の困難から食堂車は姿を消してしまいつつありますが、僕には何事も効率が大切だとなると潤いのある旅はなくなってしまうと考えるのですが
当時、関西に出張する機会がありよく新橋のチケットセンターで安売りグリーン特急券を買い求めて二階建てグリーン車に乗ったものです。
車内でゆったりした座席で書類に目を留めたりレポートを友人と書き加えたりビジネスの場としても活用出来ました。時には友人とワインを傾けたり、そんな仕事の場として忘れられない100系がとうとう2003年9月16日東海道線のひかり309号を最後に引退したときは感傷的になりました。
今東海道線には後継車として300系・700系などが疾走していますが速度を重視するあまり天井が低く車内の広さもかっての100系に及びません。
そういう意味でも僕にとっては新幹線100系は忘れられない名車といえます。
さてあなたにとっての100系新幹線の想い出はどうでしょうか。

懐かしの鉄道車輌 「キハ58」

2006-03-27 12:57:33 | 懐かしの鉄道車輌
鉄道エッセイを書く以上忘れていけないものに「キハ58」があります。長い間地方幹線の重責を担ってきたこの車輌も全国で引退間近ともいわれています。
日本の気動車は歴史は古いのですが戦前は個別制御方式でせいぜい単車か2輌連結でしか走れませんでした。従って輸送能力がなく気動車もローカル線のごく一部に使用されたそうです。車輌ごとに運転台があって何しろ牽引能力が劣りそれぞれの車輌に運転手が乗って協調運転をしたそうですが加速・減速が時には合わないなどで運転が難しかったそうです。
戦後大都市中心に急速に電化が行われて列車に変わって電車が主役になりましたが
東北・房総・北陸・四国・山陰・九州など地方が取り残されそこで国鉄近代化を進める必要が生じてそこで地方幹線でも大量輸送できる総括制御方式車輌としてキハ20が誕生しました。
これによって多数の車輌を牽引することが出来て中には10輌編成という長大編成が誕生しました。
この頃房総地区は非電化区間でキハ20は大いに活躍し今はない両国駅には銚子・木更津・館山方面への気動車が何本もホームに止まりまさに房総地区は気動車王国でした。
キハ58は地方幹線のスピードアップを図って急行列車専用に開発されました。
車内のアコモデーションも改良されて座席も長距離運転にふさわしいようになりました。
キハ58の運用方法として例えば山陰線の急行三瓶は博多発米子行ですが下関で分割し一つは山陰線経由、他方は山陽・山口線経由で異なる路線を走行、萩で再び併結運転して米子に向かうというユニークな形が取られ面白いと思いました。
僕も地方の仕事の時にキハ58によく利用したものです。
鉄道ファンの根強い人気があるようですがあの独特の停車中のエンジンのアイドリング音が旅情を誘うのです。
「がりがりガリ」という感じのあの音です。
ベルが鳴って「フォーン」とのどかな汽笛音がするとエンジン音が急に高まってそれと同時に重い車体音がして少しずつ加速していきますが普通の人から見れば騒音がファンにはたまらない一種独特の音なのです。
トンエルを潜るとき窓を開けて置くとすさまじいエンジン音と重油のほのかな臭いが窓から入って来ますが僕にはこれがキハ58らしくて好きです。
やがてオルゴールがなって車掌の放送が始まるのですがどうして音が調子外れなのかわかりません。
やがて線路を刻む音が「たたらたったたん」という単調な音が続くのですがなぜかこの音が素晴らしいです。
停車駅のかなり前からブレーキを掛けて減速させないとキハ58は停車できないようでこの時身体全体に「ぐぐぐぐ」という強い抵抗音を感じるのですがこれも独特のものがあります。
国鉄時代の車輌は鋼鉄製でキハ58も鉄の塊のような車輌なので加減速が劣っているのでしょう。
僕はこの音が好きで津山線、岡山ー津山間の市販のCDをたまに聞いて寝ます。
最近のVVVFの音に比べてメカニックな音が魅力があるのかも知れません。
国鉄民営化とともに新型気動車が投入されてキハ58もその主役を譲りつつありあるものはジョイフルトレインに改造されたりあの長大編成は見ることができなくなって単車で2~3輌編成で地方路線を駆け抜けています。
キハ58への想いはいろいろあり国鉄の名車だと思います。