日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

歌よみに与ふる書⑨

2006年01月10日 | 五行歌以外の文学な日々
九たび歌よみに与ふる書

     ★

いちいち論ずるのもうるさいので
もう二、三首挙げておいて
『金槐集』以外にうつります。


 山は裂け海はあせなん世なりとも君にふた心われあらめやも

 箱根路をわが越え来れば伊豆の海やおきの小島に波のよる見ゆ

 世の中はつねにもがもがなぎさ漕ぐ海人の小舟の網手かなしも

 大海のいそもとどろによする波われくだけてさけて散るかも


箱根路の歌極めて面白いけれども、
このような想いは古今(和歌集)の通念的な想いだから、
実朝がこれを作ったとしても驚かないが、
ただ「世の中は」の歌の如く、
古意古調な歌が万葉以後において、
しかも華麗を競っていた新古今時代において
作られた技倆(技量)には、
驚かざるを得ないわけで、
実朝の造詣の深さ今更申すのも愚かでございます。
大海の歌は実朝がはじめて使った句法ではないか。

新古今に移って、二、三首を挙げる。


 なごの海の霞のまよりながむれば入日を洗う沖つ白波実定


この歌の如く
客観的に景色をよく写しているものは、
新古今以前には見当たらなく、
これらもこの集の特色として
見るべき歌である。

惜しいのは、「霞のまより」という句が
疵(きず)である。
一面にたなびいている霞に
間(ま)というのも可笑しく、
縦(よ)し間があっても
それはこの趣向に必要ではない。
入日も海も霞みながらに見ることこそ
趣があるのである。


 ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風信明


これも客観的な歌で、
けしきも淋しく艶があり、
語を畳み掛けて調子を取っているところ
かなりめずらしく思われる。


 さびしさに堪えたる人のまたもあれな庵を並べん冬の山里西行


西行の心はこの歌に現れている。
「心なき身にも哀れは知られけり」という
露骨な歌が世にもてはやされて、
この歌などはかえって知る人が少ないというのは
口惜しい。

庵を並べんというが如き
斬新にして趣味ある趣向は、
西行でなければ、言い得ないし、
特に「冬の」と置いているのも、
一般的な歌よみの手段ではないと思える。

後年芭蕉が新たに俳諧を興したのも、
寂(さび)は「庵を並べん」などより
悟入(悟りの境地に入ること・体験を通して深く理解すること。)し、
季の結び方は「冬の山里」などより悟入したのではないかと思われる。


 閨の上にかたえさしおほひ外面なる葉広柏に霰降るなり能因

 ※ 閨(ねや) 外面(とのも) 葉広柏(はびろがしわ) 霰(あられ)

これも客観的な歌である。
上三句は複雑な趣を現そうとして、
ややごちゃっとしているが、
葉広柏に霰がはじく趣は
極めて面白い。


 岡の辺の里のあるじを尋ぬれば人は答えず山おろしの風(慈円


趣味があって句法もしっかりとしている。
この種の歌の第四句を
「答えで」などと言っておいて、
下に連続する句法となっていれば
何の面白みもなかっただろう。


 ささ波や比良山風の海吹けば釣する蜑(あま)の袖かえる見ゆ(読み人しらず)


実景をそのままに写し
些細なテクニックを振りかざさないところ
かえって興味深くなる。


 神風や玉串の葉をとりかざし内外(うちと)の宮に君をこそ祈れ俊恵


神祗(しんぎ)の歌といえば
千代の八千代のと
定文句(きまりもんく)を並べるのが
常なのに
この歌はすっぱりと言い放った、
なかなかに神の御心にかなったと歌と思う。
句のしまったところ、
半ば客観的に書き現したところなど
注目すべきで、
神風やの五字も訳がないようだけれど、
極めてよく響いている。


 阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ伝教


いいめでたい歌である。
長句の用い方など古今未曾有で、
これを詠んだ人もサスガだけど、
この歌を勅撰集(新古今)に加えた勇気も
称するに足ると思える。
第二句十字の長句で成り立つのだが、
口にたまらず、
第五句九字にしたのも同様だけれど、
こういうところには、
このように九字くらいにする必要があり、
もし、
七字句などで止めたら、
上の十字句に対して釣り合いが取れない。
初めのほうに字余りの句があるために、
後にも字余りの句を置かねばならない場合は
しばしばある。

もし字余りの句は
一句でも少ないほうが
いいなどと言う人は
字余りの趣味を理解できない人である。

                  (以上)

     ★

前にもチラッと書いたけど、
白洲正子さんの
『私の百人一首』(新潮文庫)も読了していたので、
源信明と詠み人知らず以外は、
もう一度ページを繰りながら、
平行して読み直した。

それにより、
例えば、西行の「心なき身にも哀れは知られけり」とは、

 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ

という歌のことで、
 
 さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ寂連

 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ定家

と並んで、
「秋の夕暮れ」を詠った
「三夕(さんせき)の和歌」と
称されているのだそうだ。

白洲氏の解説によると、
同じ新古今の調べでも、
西行だけが孤独で、
自分自身の「秋の夕暮れ」を見つめているという。

だから、子規が、
「露骨な歌が世にもてはやされて、」と言っているうちの、
「露骨」とは孤独が露骨ということなのだ。

人の解説を読んで、間接的にしか、味わえないのが、
実に残念だけれど(笑)、
「庵を並べん」とふたつ並べると、
子規の指摘していることが、よくわかった。

わかりやすい孤独感を漂わせているのは、
やはり「秋の夕暮れ」のほうなんじゃないかと、
私は思う。……露骨とは厳しいなぁと思ったんだけれど。

でも、そこよりさらに一歩、
誰も近づけないところにある孤独を表しているのは、
「庵を並べん」のほうだ。

この歌に共振する
子規という人が、
経験したであろう孤独が
歯がゆさと共に伝わってくる。

他にも、
伝教の字余りの歌は、百人一首にはない。

が、慈円の百人一首でピックアップされている歌、

 おほけなく浮世の民におほふかな我が立つ杣に墨染めの袖

の「我が立つ杣」という詞の
でどころとしての説明に
取り上げられていたので、知っていた。

とにかく、いろいろ助けてもらった。

こうやって、同じところへ
違う角度から重ね合わせながら読むと、
最初の頃より、古典が身近になってきたのがわかる。

そういう感触を得たのが、今日の収穫でした。

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