試食販売の仕事(デモンストレーションとか、マネキンとか言われたりします)は、多分、性にあっている。
いいところは、
自分で好きなときに仕事に行け、
すぐにお金をもらうところとか、
同じところに通って仕事をしても、
せいぜい2,3日であるというところ。
一期一会チックなところが、
程よい緊張を呼ぶので、
怠け癖のある私には、丁度いい。
それに、どこか、
4月に明石で仕事していたところの
『ボ』が、トラウマになっている節が、
自分の中に、ちょっと見られ、
だから、昨日落選したというのも、
それはそれで、
落ち込まないんだよなぁ~とも思われて。
「しがらみ」というものに、
過敏になっている節がある。
いざ、仕事を探そうというときになって、
ふと生々しくよみがえってくる先入観。
★
悪いところは、
立ち通しなので、足が痛い(笑)のと、
存在をあからさまに無視されるときは、
つらいかな。
心構えとしては、良くないけれど、
ぶっちゃけ、買われなくったっていいんだ。
試食されるだけでも、いいし、
「いりません」とはっきり断られたっていい。
いや、せめて、アイコンタクトだけの会釈でもあれば。
それができないなら、
私から離れて、通り過ぎ去ってくれればいい。
そうしてほしい。
★
それでも、スーパーの一角で、
人々を定点観測するのは、どこか面白い。
この前のスーパーでは、
数時間に一度、必ず現れるおじいさんがいた。
薄茶のズボンに白いブラウス。
ちゃんと、いい身なりなので、
ひとりで住んでいるとは思えないのだけれど。
朝から夜の7時まで。
手ぶらで、スーパーのかごすら持ってなくて。
最初は不気味だった。
でもだんだんと、
おじいさんがそれでいいのならいいよ、
といった気持ちになった。
別に万引きをしているわけじゃないんだしね、なんて。
★
でも、いいのかなぁとも、
心のどこかで思っている。
これを仕事の中心にしていくのは、
いいのかなぁって。
何かがひっかかっている。
「楽(らく)」ではあるけれど、
「楽しい」の意ではないからか。
「しがらみ」に苦手意識が生じながらも、
「苦手なまんまでいいのか?」と、
揺り戻しがくるからか。
五行歌にしようとすれば、
まだ考えがまとまってくるのだろうけど、
そこまでの意欲も感情も湧かず(笑)
もうすこし、就職活動しようかなぁ……と意欲低く思っています。
(「っていうか、本当はどうでもいいんだろ?、
んなこと、気にしてないで、
古典読むようにしろよ」、とも聞こえてくる・笑)
いいところは、
自分で好きなときに仕事に行け、
すぐにお金をもらうところとか、
同じところに通って仕事をしても、
せいぜい2,3日であるというところ。
一期一会チックなところが、
程よい緊張を呼ぶので、
怠け癖のある私には、丁度いい。
それに、どこか、
4月に明石で仕事していたところの
『ボ』が、トラウマになっている節が、
自分の中に、ちょっと見られ、
だから、昨日落選したというのも、
それはそれで、
落ち込まないんだよなぁ~とも思われて。
「しがらみ」というものに、
過敏になっている節がある。
いざ、仕事を探そうというときになって、
ふと生々しくよみがえってくる先入観。
★
悪いところは、
立ち通しなので、足が痛い(笑)のと、
存在をあからさまに無視されるときは、
つらいかな。
心構えとしては、良くないけれど、
ぶっちゃけ、買われなくったっていいんだ。
試食されるだけでも、いいし、
「いりません」とはっきり断られたっていい。
いや、せめて、アイコンタクトだけの会釈でもあれば。
それができないなら、
私から離れて、通り過ぎ去ってくれればいい。
そうしてほしい。
★
それでも、スーパーの一角で、
人々を定点観測するのは、どこか面白い。
この前のスーパーでは、
数時間に一度、必ず現れるおじいさんがいた。
薄茶のズボンに白いブラウス。
ちゃんと、いい身なりなので、
ひとりで住んでいるとは思えないのだけれど。
朝から夜の7時まで。
手ぶらで、スーパーのかごすら持ってなくて。
最初は不気味だった。
でもだんだんと、
おじいさんがそれでいいのならいいよ、
といった気持ちになった。
別に万引きをしているわけじゃないんだしね、なんて。
★
でも、いいのかなぁとも、
心のどこかで思っている。
これを仕事の中心にしていくのは、
いいのかなぁって。
何かがひっかかっている。
「楽(らく)」ではあるけれど、
「楽しい」の意ではないからか。
「しがらみ」に苦手意識が生じながらも、
「苦手なまんまでいいのか?」と、
揺り戻しがくるからか。
五行歌にしようとすれば、
まだ考えがまとまってくるのだろうけど、
そこまでの意欲も感情も湧かず(笑)
もうすこし、就職活動しようかなぁ……と意欲低く思っています。
(「っていうか、本当はどうでもいいんだろ?、
んなこと、気にしてないで、
古典読むようにしろよ」、とも聞こえてくる・笑)
私も決して、ひとりで、
そして最初っから、
こういう考え方にたどり着いたわけではありません。
ネットや、様々な人との個人メールでのやりとり、
歌誌のほうでの人々の文章、歌会での意見、
などを鏡にして、
ああだこうだと、構築してきたのです。
特に、あのコメントの文章は、
歌誌『五行歌』10月号の、
寿柳裕子さんの文章に、
深く感動した影響も受けてます(笑)
(もし可能なら、誰かに借りて、読まれたらいいかと思います。オススメです)
鏡にしていただいて、
相違点を見出して、
可能ならば、
歌会などで、ああだこうだとお話して、
何かを思慮するときの
一助のしずくになれれば幸いです。
私もeQさんの文章は好きです。
お手紙を頂いたときも
(↑歌集のときいただいたのです)、
何度も読み返しました。
今回のコメントは、
私自身の、頭の中を整理する、
とてもいい機会となりました。
いいきっかけを、
ありがとうございましたm(__)m
多分たくさんの違いは、私の性格、考え方、「コトバ」の捉え方、はたまた性別、東北人と関西人・・・いろんなものがもろもろもろと交じり合って発生してくるのでしょう。出会い方によっては、決して交わることのない二人だったかも知れません。にもかかわらずこうして語り合えるというのも、五行歌のおかげですね。
そうかぁ。コトバを浪費しているわけではなく、言の葉を茂らせるということもありなんだなぁ。稲田さんはそうして、木漏れ陽のキラリを捉えちゃうんだろうなぁ。
「箇条書き人間」と言われるほどに言葉を削り研ぐ私ですが、そんな私の言葉の切っ先も、稲田さんのカメハメ波の前には惨敗です。
あらためて尊敬もうしあげます。
いなだっち、カッコいい!