復活.喜怒哀楽

有料ブログから無料ブログにしたら私の過去が消えました。過去探しの旅に出ます。

半分、青い りょうちゃん詩180709

2018-07-09 21:09:22 | 感動
「半分、青い」りょうちゃんさん作詩「僕」
   (7/9 間違いがあれば直します)
僕は泣けるかも知れない。
でも戦おうと思う。
人生は過酷かも知れない。
でも夢みようと思う。
つばさは折れたかも知れない。
でも明日へ飛ぼうと思う。

僕は君の望むような僕じゃないかも知れない。
でも君の、君の心の火が消えそうなときは
 そっとこの手をかざそう。
    いつまでも、かざそう。

マララさん受賞演説 (1/全5)

2014-12-12 06:27:05 | 感動
マララさん受賞演説 (1/全5)

国王、皇后陛下、ノーベル委員会の皆さん、親愛なる姉妹兄弟の皆さん。今日は私にとって、とても幸せな日です。
 ノーベル委員会がこの貴い賞に私を選んでくださり、恐縮しています。
 皆さんの継続的な支援と愛情に感謝します。今も世界中から届く手紙やカードをうれしく思います。親切で、激励してくれる一言一言が私を強くし、鼓舞してくれます。
 両親の無条件の愛に感謝します。私の翼を切り取らず、羽ばたかせてくれていることを父に感謝します。私が忍耐強く、常に真実を話すよう奮起させてくれていることを母に感謝します。これこそ、イスラム教の真のメッセージであると、私たちは強く信じています。
 この賞を受ける最初のパシュトゥン人であり、最初のパキスタン人であり、最初の若者であることをとても誇りに思います。そしてまた、まだ弟たちとけんかするようなノーベル平和賞受賞者は初めてだと確信しています。私は世界中が平和になってほしいと思っていますが、弟たちと私はまだその途上です。
 長い間、子供の権利の擁護者であり続けてきたカイラシュ・サティアルティさんと受賞できることも光栄です。私が生きてきたよりも実に2倍の長さです。また、私たちが並んで立つことで、インド人とパキスタン人が平和的に力を合わせ、子供の権利のために共に活動できると世界に示すことができて、うれしく思います。
 兄弟、姉妹の皆さん、私は、感銘を与える、パシュトゥン人のジャンヌ・ダルク「マイワンドのマラライ」にちなんで名付けられました。「マララ」という言葉は「悲しみにうちひしがれた」「悲しい」という意味ですが、それに幸福の意味を与えるため、祖父はいつも、私をマララ、世界で最も幸せな少女と呼んだのでした。私は今日、私たちが重要な目標のために共に立っていることをとても幸せに思います。
 この賞は私だけのものではありません。教育を受けることを望む、忘れられた子供たちのものです。平和を希求する、おびえた子供たちのものです。変革を望む、声なき子供たちのものです。
 私は彼らの権利のために立ち上がり、彼らの声を発信するため、ここにいます。彼らを気の毒に思うのではなく、教育の機会を奪われた子供たちを見るのはこれで最後になるよう行動すべき時なのです。
 (次につづく)

マララさん受賞演説 (2/5)

2014-12-12 06:24:40 | 感動
マララさん受賞演説 (2/5)

 人々が私をいろいろな表現で説明していることがわかりました。タリバンに撃たれた少女と呼ぶ人もいます。権利のために闘った少女という人もいます。今は、ノーベル賞受賞者と呼ぶ人もいます。
 私の知る限り、自分はただ、全ての子供が質の高い教育を受けることができ、女性に平等な権利があり、世界全体に平和が行き届いてほしいと願っている献身的で頑固な人間なのです。
 教育は人生の恵みの一つであり、生きる上で欠かせないものです。それこそが、私の17年間の経験です。パキスタン北部スワート渓谷の故郷で、私は学校に行き、新たなことを学ぶことがいつも大好きでした。何か特別なことがあると、私は友達と一緒にヘナ(染料)で手を装飾したことを覚えています。私たちは花や模様の代わりに、手に数式や方程式を描きました。
 私たちは教育を渇望していました。なぜならば、その教室に私たちの未来があったのですから。共に席に着き、読み、学びました。きちんとした学生服に身を包むのが大好きで、大きな夢を抱きながら着席したものでした。私たちは親に誇りに思ってもらいたかったし、学業優秀で物事を成し遂げられるのだということを証明したかったのです。それは、男の子だけができるのだと思っている人もいます。
 物事は不変ではありません。10歳の時、美と観光の地であるスワートが、突如としてテロリズムの地と化したのです。400を超える学校が破壊されました。女子は学校に行くことを禁じられました。女性はむち打たれました。罪なき人々が殺されました。みんなが苦しみました。私たちの美しい夢は悪夢に変わりました。
 教育は権利から犯罪に変わりました。しかし、環境が突如として変わった時、私の優先すべきものも変わりました。
 私には二つの選択肢がありました。一つは声を上げず、殺されるのを待つこと。もう一つは、声を上げて、殺されることです。私は後者を選びました。私は声を上げようと決めました。
 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日、私と友人たちを襲いました。しかし、彼らの銃弾は勝利をもたらしませんでした。
 私たちは生き延びたのです。その日から、私たちの声はさらに大きくなっていったのです。
(つづく)

マララさん受賞演説 (3/5)

2014-12-12 06:21:18 | 感動
マララさん受賞演説 (3/5)
 
私が自分の話をするのは珍しいからではなく、珍しくないからです。これは多くの少女の話なのです。
 今日、私は彼女たちの話もします。私はオスロに何人かの「姉妹」を招きました。彼女らはパキスタンやナイジェリア、シリア出身で、この話を共有しています。私の勇敢な姉妹であるシャジアとカイナート・リアズは、あの日スワートで私と一緒に撃たれ、彼女らも悲惨なトラウマを経験しました。ひどい暴力と虐待を受けたパキスタン出身のカイナート・スームロは、兄を殺されましたが、屈しませんでした。
 そして、マララ基金運動で知りあった少女達もいて、今では姉妹のようです。妹のような存在の、勇気ある16歳のシリア出身のメゾンは、ヨルダンの難民キャンプに住み、テントからテントへと回って少年少女に勉強を教えています。そして、ナイジェリア北部出身のアミナです。そこでは単に学校へ行きたいと望むだけで、(イスラム過激派組織)ボコ・ハラムが少女を脅し、誘拐しているのです。
 私は、ハイヒールを含めても身長5フィート2インチの、1人の女の子、1人の人間にしか見えないかもしれません。でも、私は1人ではなく、大勢の人の代弁者なのです。
 私はシャジア。
 私はカイナート・リアズ。
 私はカイナート・スームロ。
 私はメゾン。
 私はアミナ。私は教育の機会を奪われた6600万人の少女と同じなのです。
 なぜ少女の教育が特に重要なのかと人々が聞いてきます。私の答えはいつも同じです。
 私が聖なるコーランの最初の2章から学んだのは、「読む」という意味の「イクラ」という言葉、そして「ペンにかけて」という意味でしょうか、「ナン ワルカラム」という言葉でした。
 だから、私が昨年国連で述べたように、「1人の子供、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変えられる」。
 (つづく)

マララさん受賞演説 (4/5)

2014-12-11 23:12:14 | 感動
マララさん受賞演説 (4/5) 

今日、世界の半分では急速な進歩、近代化、発展がみられます。しかし、何百万もの人々が飢餓、貧困、不正、紛争という昔ながらの問題に依然として苦んでいる国もあります。
 確かに、私たちは今年、第1次世界大戦勃発から1世紀が過ぎたことを思い起こしました。しかし私たちは、100年前に何百万人もの命が失われたことで得た全ての教訓をまだ学んでいません。
 大勢の無辜(むこ)の民が命を奪われた紛争は今もあります。多くの家族がシリア、ガザ、イラクで難民となっています。ナイジェリア北部ではいまだに学校に自由に行けない少女たちがいます。パキスタンとアフガニスタンでは罪なき人々が自爆テロや爆弾によって殺されています。
 アフリカの多くの子どもたちが貧困のため学校に通えません。
 インドやパキスタンの多くの子どもたちは社会的なタブーから教育の権利を奪われています。もしくは児童労働にかり出され、少女たちは幼くして結婚させられています。
 学校の親友の一人は、私と同じ年齢ですが、いつも度胸があり自信のある女の子でした。彼女の夢は医者になることでしたが、夢のままです。12歳で彼女は無理やり結婚させられ、わずか14歳で息子を産みました。彼女自身がまだ子供の年齢だというのに。彼女はきっと良い医者になれたでしょう。
 しかし彼女は医者にはなれませんでした。なぜなら、女の子だったから。
 彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に充てる理由です。どこにいる女子にも質の高い教育を与え、私やメゾン、アミナのような女の子を助けるよう指導者たちに求めるためです。最初の資金提供は私の心がある場所、パキスタンで、特に故郷のスワート、シャングラで学校を建てるために使われます。
 私の村では女の子のための中等学校がいまだにありません。私はそれを建てたいのです。そうすれば私の友人たちが教育を受け、夢をかなえるための機会を得られるのです。
 そこは私が始める場所ですが、終わりの場所ではありません。私はすべての子供が学校に通えるまで戦い続けます。私は攻撃に耐えた後、ますます強くなったと感じます。なぜなら、誰も私を、私たちを止めることができないと知ったから。今、私たちは数百万人で一緒に立ち上がっているからです。
 みなさん、マーチン・ルーサー・キング(牧師)、ネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)、マザー・テレサ、アウン・サン・スー・チー氏のような変革をもたらした偉大な人々も、かつてこの壇上に立ちました。サティアルティさんと私がたどってきた歩みと、そしてこれから歩む旅も同じような変革、長く続く変革をもたらすことを願います。
(つづく)