準爺のたそがれブログ

讃岐の山は禿山ばかり・・・

安政3年(1856)関西から清河八郎が母を連れて金毘羅参りに・・・丸亀の福島港に着いて金毘羅街道を歩いた時の旅日記(西遊草)が残っている。そこには讃岐の山は禿山ばかりだ、遊んでる子供に聞くと飯野山は神様の山で年に一度(7月17日)だけ登山が許されその日は凄い人たちだった。だから山は禿げてなかった。他の山は全て禿・・これは新芽や若い葉は全て肥料にしていたのだ。田植え前に田に敷き詰め牛に踏まして土中に入れ腐らすのだ。
   
   同じ安政の頃安藤広重が描いた絵である。まんのう町の残念坂(見返る坂)から大麻山を描  
   いた絵だが左側は金毘羅宮がある像頭山、禿げてる右が大麻山である。像頭山は神の山で伐  
   採は許されなかったのだ。     

コメント一覧

gontarotukiyo
おはよ~、若木や新芽を肥料にしたから大きい木が無かったんだ。
ブーゲンビリア
讃岐山は 低いのが多いから 常緑樹ばかりなので、
冬は 葉っぱが落ちてないんですよね。それで その時は
禿山に見えたんですかねぇ…
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