準爺のたそがれブログ

私の婆ちゃんの実家は何と!・・・

海賊であった。「讃岐の一豪農の三百年」を読んで発見、爺ちゃん(彦太郎)の嫁(サダ?・・今度墓碑を確認してきます)は多度津白方の豪農、山地家から来た・・・とは知っていたが・・ネットで調べると室町時代の山地家は讃岐守護の細川氏の傘下で讃岐白方の海賊衆で、守護代となった天霧城主の香川氏は山地氏の本拠地白方のに隣接する多度津に居館を置き、山地氏を家臣として水軍を任した。更に山地右京進を詫間城主とした。更に「白方村史」によると先祖は楠木正成で更に30代敏達天皇と繋がっているようだ。そして昭和の時代その山地家に婿入りしてきたのが多度津中学校校長の山地寿雄であり、その娘の令子さんとは小生の{絵手紙の会」や「丸亀京極会」や「古事記を読む会」の仲間であり懇意な中である。今日は思わぬ発見をした・・更に追及をしてみたいものだ。
     
     家内の遊び

コメント一覧

gontarotukiyo
>やまじ さんへ
>はじめまして。私も同じ苗字で現在千葉県に住んでいます。... への返信
・・やまじさん、おはようございます、何気なく過去のブログを見てたら、やまじさんからのコメントが見つかりました。遅くなってすみませんね、是非お話したいですね。
やまじ
はじめまして。私も同じ苗字で現在千葉県に住んでいます。

ネットで色々と探していたところ、こちらの記事を発見してコメントしております。

自身のルーツを知りたくて、亡くなった爺ちゃんに山地家は四国から来た。という事だけは今でも覚えています。

差し支えなければ一度お話させていただけますと幸いです。
gontarotukiyo
おはよ~、多度津京極家5代藩主高琢(たかてる)の時代に多度津湛甫(たんぽ・・港のこと)を作ったがその総指揮をしたのが家老河口久右衛門であった。
ブーゲンビリア
山地家と関係があったとは!
白方の方面へ 父とルーツ探索に行ったことがあるけれど…
そうだったんですか。
京極の会に入ってるんだあ。
河口家というのは 京極の何かにあたりますか?
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