海賊であった。「讃岐の一豪農の三百年」を読んで発見、爺ちゃん(彦太郎)の嫁(サダ?・・今度墓碑を確認してきます)は多度津白方の豪農、山地家から来た・・・とは知っていたが・・ネットで調べると室町時代の山地家は讃岐守護の細川氏の傘下で讃岐白方の海賊衆で、守護代となった天霧城主の香川氏は山地氏の本拠地白方のに隣接する多度津に居館を置き、山地氏を家臣として水軍を任した。更に山地右京進を詫間城主とした。更に「白方村史」によると先祖は楠木正成で更に30代敏達天皇と繋がっているようだ。そして昭和の時代その山地家に婿入りしてきたのが多度津中学校校長の山地寿雄であり、その娘の令子さんとは小生の{絵手紙の会」や「丸亀京極会」や「古事記を読む会」の仲間であり懇意な中である。今日は思わぬ発見をした・・更に追及をしてみたいものだ。
家内の遊び
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