うろうろとする日々

NHK 𠮷岡斉氏番組つづき

先日は番組の全体の内容について書きましたが、この番組で印象的だったのは、野党国会議員も組合を通じて原子力発電に関連したネガティブな質問はタブーになっているという話だ。

確かに2008年の民主党もむしろ原発については前向きだったと思う。当時はグリーンエネルギーの輸出という観点からも力が入っていた。

結局のところそうなってしまったときにどこに客観的な観察をするひとがいるのか。それはおそらく学者だというのが𠮷岡氏の判断だったのではないだろうか。

日本ではいろいろなところに学者が出て行ってそのようないわば仲裁役を行うことが期待されているようだ。しかし、吉岡氏の発想はおそらくは学者は客観的な材料を提示して最後は市民が選挙で意思を示す、という道だったのではないかと思う。しかし、この選挙という手段が原発のように完全に野党第一党も無効化されているような場合にどうすればよいのか。そこはまさに𠮷岡氏が手法を考えていたところだったのではないか。

今の日本のように、政策が断片的で基本的には人気を競うような選挙になってしまうのはおそらく彼は”学者の怠慢”と考えていたのではないだろうか。それは単純に政権批判をしていればいいということではなく、どちらからも離れた立場で発言するということだ。

思い出すのは言語学者の田中克彦氏のことで、彼は自分たちに賛成と思われる人たちの集会に出て講演して、招かれた人たちにちょっとネガティブなことをいって、なんだか妙な雰囲気になったことがあると書いていたと記憶する。しかし、それは主催者には理解されなかったが、参加者の中には響いた人もいたとのことだった。

外から見ているだけなので全く見当はずれかもしれないが、世の中にはある集団に合わせた意見を集会で講演することが常になっているような学者もいるように見える。

おそらく彼の中には学者が提示する客観的なデータなどをもとに市民が政策に関与できるような仕組みを作れることが民主主義の政策決定だという思いがあったのではないだろうか。

それを反原発という切り口からだけから見るのは彼の科学史家とての実践を矮小化するもんでとても残念だ。

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