うろうろとする日々

矢野良子さんとアテネ五輪の記事

いまさらですが矢野良子さんの新聞の記事があることを知りました。6月26日産経新聞

パリで「金」のカギは3点シュート バスケ女子元日本代表の矢野良子さんが後輩にエール

小生も矢野良子さんというとどうしてもあのアテネのグループ突破をかけた最後の3点シュートのことが思い出されます。

もちろんそもそもがアテネ五輪自体、矢野選手の爆発もあったと思いましたので、本当にあのころは3ポイントのスペシャリストとしての矢野さんのパワーはすごかったと思いますし、逆に最後2点を狙ったらどうだったのだろうと思うと矢野選手にかけられた期待の大きさがうかがえます。

小生はあのシュートは矢野選手のその後の国内での栄誉を受けた日々を考えれば消化したのかと思っていました。

しかしそうではなかったと。あの五輪のシュートのことを自分の中で消化するためには五輪に出なければいけないと思っていたと。

彼女がその後レッドウエーブ、アンテロープスと移籍を繰り返したのは、おそらくはチャンピオンになることで自分の力を示さないと、サンフラワーズは若手に切り替えを考えていくからだったのかもしれません。優勝チームにいることで選ばれたいということだったのか。

今であれば吉田選手のようにベテランでもチャンスを与えられるのでそういう選手選考のルールもたしかに前は違ったということもあったし、選考方法以外にも不完全燃焼だったところはあったと思います。

高い代償の先に見えた今後への道=女子バスケット・北京五輪世界最終予選 総括 - スポーツナビ

すてきな記事ですね。今では考えられないような強化の状況だったことがわかります。

逆にいうと、このころがあってリオにようやくつながったということもあったのではないかとも思うし、アジアではこのあとは勝てるようになってきたので、ここは底だったのかもしれないとも思います。

で今でも思い出すのは男子の世界選手権後の日本バスケットボール協会の混乱で、そのあたりも関係しているのだろうなあと思ったりもします。

結局五輪で矢野選手はアテネの無念を晴らすことはできなかったわけですけど、最初に書いた通り、アテネのことはもう割り切っていたのかと思っていたのが、そこまで考えていたのかと、とても感心した次第です。

逆にいうと、きちんと強化すれば北京も出られたし、ロンドンも出られたのではないかと思うと残念ですが、本当に今の日本であればブラジルやキューバにもあまり負ける感じはないので、この差はやはりすごいことだと思います。当時はチェコやラトビアに負けてたわけで、おそらくヨーロッパの上位などもう親善試合もしてもらえないくらいだったのではないでしょうか。本当に隔世の感です。

でこれは他のスポーツと違ってアンダーから続いている強化が実っているので、それも強調したいところです。

そういう意味で矢野さんにももっと日本のアンダーも含めた強化にコミットしてくれればいいのになあと思うところです。

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