goo blog サービス終了のお知らせ 

ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 養成講座と ざわざわと

2008-07-23 19:14:49 | よもやま話
ずいぶん前に「下書き」で少しずつ書き溜めたのだけれど、
投稿しないまま、日にちだけが過ぎてしまった。
この際、思い切って表に「投稿」してみる。

胸の中がザワザワしている。
7月の5日の土曜日、一回目のボランティア養成講座に出た。
150人の募集に対して、応募した人数は100人。
定員の3分の2だ。
内容は3~40代の女性が少々。
他は50~70代の女性が8割、男性は2割くらい。
殆ど老々介護の講座のようだ。
男性がとても少ないということは、会社を退職した後にも
まだ働いている人が多いのではないかと想像した。

市の大きな会館に全員集められてボランティアの基礎を
学ぶことになった。
まず多様な人に出会ってビックリした。

一言二言、言葉を交わしただけで、
昔からの知り合いのように話せる人。
一目見ただけで、この人は苦手そう、と最初から
引いてしまいたくなる人。
さまざまだ。

現役で働いていた時は、そんなことは当たり前で
気にならなかったことだったのに
仕事から離れて8年の歳月のうちに、すっかり
箱入り奥さんになってしまっていたようだ。
久し振りに多数の個性的な人々との接触は、
始まりから刺激的だった。

最初は講師の
「ボランティアの歴史とこれからへの期待」という講義を聴き
講演後、地区別にグループ分けをされ、講義内容に即しての
意見交換を行った。
最初は勝手が分からず、見知らぬ人ばかりでおずおずしていても、
なんとか形は着いてくるもので、集められた意見の内容は
グループ別に発表ということになった。

全員が全く討議の用意の無い状態での参加だったが、なんとか形になって
パネルの前に居る方が私たちのグループの発表を引き受けてくれた。

2回目の土曜日は講義を聴いた後に、実技。
2人1組になり、一人がアイマスクをして視覚障害者になり
もう一人の誘導係りになった人の腕を、後ろからしっかり組んで
半歩後ろから着いて行く。
誘導は難しい。
「階段です。」と言われても上に行く階段か、下に行く階段か
言われなければ不安である。
「怖い、怖い!」と言いながら腰が引けて、
中々前に歩けない体験者もいた。

私の場合は歩くのも転ぶのも、殆どパートナーに委ねようと決めたが、
お互いに、にわか障害者だし、にわか誘導係なので、疑問な点は
言葉に出してはっきり確認し有って進んだ。

それから車椅子に乗る人、押す人を交代にやった。

これは大まかな体験教室といった感じで、
専門的に外出支援、援助、のボランティア活動をする人は
9月からの本格的な講座が控えている。

3回目の養成講座は、志望の部門別に行われて説明があった。
私たち「録音」は20人のうち男性が2人居た。
9月2日の毎週火曜日から2時間、12月まで13回連続。
今までの朗読講座とは、まったく勝手が違って戸惑うことが
多いような気がするが、新しいものにチャレンジの精神で
学べる日が待ち遠しい。

「これを全部【市税】でまかなうと、市の財政が3倍の赤字になる。
これからはお互い、昔の『向こう三軒両隣』の助け合い精神でやってくれ」
と言うのが大々的なボランティア養成講座の積極的理由らしい。

隣の市に住んでいる友達に話したら
「うちの市はやっていない。そういうの募集してくれたら応募するのに。」と
多少羨ましげに聞こえる答えが返ってきた。

「市の広報」もやわらかな色を各所に使い、読みやすくなってきた。
市の財政難が、若い志の有る人や、団塊の世代や、その前の私たち世代を
有効に使って、ボランティアする人、される人、お互いの、
認知症を予防したり、和と話と輪を広げていかなければ・・という
こころざしだけは有る。

一番初めのハードルは、見知らぬ他人を受け入れること、
そしてこちらを受け入れてもらうことだと思う。

それから、「ボランティア」というと抵抗のある方に。
ボランティアは一方通行のボランティアに思われがちだが
実際は受ける人も、する人も、双方向のボランティアになるという。

それから、
私が朗読ボランティアに応募して初めての集まりに出たとき、
かなり衝撃を受けた。 
その集まりには、気の無さそうな人も、個性が強すぎて
とても仲間として受け入れ難そうな人も居た。
その中で遣って行けるかどうか?


悩んでいるとき、「イオンの不思議生活」を読んでいると・・・

これはその記事からの大雑把な意訳ですが
「人は目的を持ってそれに向かってすすもうとする時
 必ず、反作用のように、それを引き止めるような勢力ができる。
 その反作用と戦うことを目的にしないで、
 それに惑わされず、掲げた目的をしっかり見つめて歩いて行こう。」

と言うようなことが書いてあった。

私はこれこそ、「私への言葉!」と勝手に感激し、
解ってくれる人が居る、と意を強めて、心のざわざわを
大きくしないで、反作用のような出来事も、
私の意志をしっかり確認させるための試練、と受け取って
前を向いて進むことにした。
人は悩んでいるとき、励ましてくれる記事を見つけると嬉しいものだ。

ここは不思議系のブログ。
地震予知もきちんとした説明があって、それこそ巨大なマグマも含めて
地球という生き物の真理を解りやすく説明してあって私は納得している。

こちらのブログを知ったのは、「Jさん」のブログ経由で
私を見付けて下さった「青空☆探検隊」のちょこさんの紹介だった。
コメントより先に、ブログにメールを頂いた。

彼女は宮城県に住んでいる方で、切実に雲で地震の研究をなさっている。
娘のことで私を心配してくださり、イオンさんのブログを紹介して頂いたけれど
そのストレートなメールには、私はかなり驚いた。
私が見ず知らずの人を信用するには、納得するまでその方のブログを読み、
写真などを観てその当人が信じられるかどうか判断するしかない。

ところがイチコロでちょこさんを信じてしまった。
理由は簡単で彼女のお子さん「3くん」という三番目のお子さんの笑顔だった。
それでも1ヶ月か2ヶ月、両方のブログを黙って訪問して、お二人から
何を感じ取れるかぼんやり考えていた。
今ではスッカリファンになっているのだが。

春堤さんをはじめ、さらささんも、Jさんも、ダイレクトにメールして来て
私を驚かせてくれたちょこさんも、「イオンの不思議なブログ」のイオンさんも
子育て中で、仕事も持っていて、大奮闘中のお母さん達だ。
みんな真摯に、一生懸命人生を生きている。
心から応援したいし、みなさんからパワーを頂いている。

話は飛ぶが、半年ほど前に
「人は見かけが9割」という本を読んだ。
今までは「人は見掛けじゃない」という言葉に助けられて
うっかり生きてきた私はうろたえた。
人は見掛けが9割、なんて言われたら、
丸裸で生きているようなものじゃないの! それは困る!!!
「見掛けじゃない」で安心して素顔をさらしていたのに・・

その本にこんな記述もあった。
「人間は表情や身体中からあらゆる情報を発信している」
「人間は言葉から受け取る情報は3割程度である」
なるほど、と思った。
信じた人の言葉は信じるが、信じていない人の言葉はほとんど
取り入れていないのはその所為か。
人は相手の人柄や何かを信じてこそ、その言葉を信じるのだという
いとも日常的て当たり前なことを、今更ながら確認した。


イオンさんのところは不思議系が入っているので、もう少し慎重になったが
とても思い当たることもあり、いろいろな事例を読ませて頂いてから、
私の悲しみの為に、心に縛り付けていた娘を、天上に飛び立たせるように
心から祈った。 すると私の瞼の中で泣いていた娘の顔が消えたと思うと、
翌日からは穏やかな微笑に変わり、ゆったりと家の居間で寛ぎながら
爪を切っている娘の姿がまるで現実のように見えた。
普段通りの・・ その存在感、娘の香しい匂いまでも伝わって来るようで。
とても穏やかで幸せに包まれている自分を発見。


それでも未だに、心がざわつく事もある。
朝起きて、何のために生きているのか自信を失い、
心冷え冷えする日もある。
長い高揚した躁状態のあとに、7月の養成講座の日をきっかけに
欝が忍び込んで来そうな時もある。


でもまだ、お役が残っているような気がして。
まだもう少し頑張らねば、と自分を立て直しながら
生きていくつもりでいる。

息子の家族も子育て中だし・・・



最新の画像もっと見る

10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (オールドレディー)
2008-07-29 11:28:15
有意義な講座に参加されたようですね。
遊び半分な快楽ばかり追っている私とは大違いです。

人さまのために何かをしよう、いやさせてもらおうという気持ちを持っていることだけでも尊敬に値します。

精神的に不安定なときは本当に“死”を考えることがあります。誰にも言えないでひとり悶々と…。
でも、こればかりは誰にも助けてもらうことはできません。心のうちは自分自身で自浄するよりほか、押しつぶされないように打ち勝つしかありません。

なぜそうまでして生きてゆかなければならないのか自問自答しますが、“死ぬために生きる”、それが答えのようです。

ばーばさんには子どもさんもお孫さんもいらっしゃいます。それにもまして最愛の娘さんの思い出があります。思い出が生きるよすがになりませんか。
私にはなーんにもありません。ただ死ぬ日をまっているだけ、その死にたいしてもあれこれ考えねばなりません。
本音を言えば虚しいです、しんどいです。
でも、生きてゆくよりほかないのです。

こんなこと言えるのは、ばーばさんのところだけです。ありがとう。
返信する
オールドレディーさんへ (ばーば)
2008-07-29 16:44:11
大丈夫ですよ!
人は色々な「時」があるようですからレディーさんの今は、思う存分一人を楽しむ時なのでしょう。 それにも飽きたら、また別の方角に向かって目的を持って進むようになると思います。 何処に向かうかはレディーさんの「何年後」を今から楽しみにしています♪

私の場合は人さまの為に、というより気を紛らわせていたいだけなのかも知れません。 何もしないより何かをしていた方が孤独から目を反らせ易いのです。

「死」のことは誰でも越えなければならない大きな課題で、特に年を取ると老化と共に目の前に迫ってきますよね。 如何に容易く越えられるか、を願う日々です。 私にはもうひとつ。 どちらが先に逝くかはまだ分かりませんが、順調に行くとツレアイとの別れがあります。 どんなにケンカをしても、あまり仲良くなくても、何十年も暮らした人との別れは思い出を根こそぎ持って行かれるほどの辛いものだと思います。
世の年老いた夫婦は、いつか片割れの死と向きあう日が来るのを覚悟していると思います。 いえ、本当は覚悟なんていくら考えても出来ていないのですけど・・ 

私もレディーさんと同じで「死ぬために生きる」のが答えのようです。 それでも、ニュースで楽に死ねたように見える同年輩の方たちを知ると、一瞬「羨ましい」と思ったりします。 早く逝ってしまった娘を羨ましがる気持ちも正直有るのです。

娘の思い出! レディーさん有り難うございます。
そうですね、たくさんたくさん、思い出が有ります。
嬉しかった思い出、苦しかった思い出、誇らしかった思い出、ケンカした思い出。娘と過ごしたさまざまな日々、みんな温かく懐かしいです。

それから死を意識するのは自分の経験から言って60代のような気がします。80代や90代になると生きる達人になる人が居るのでは、と92歳の義母と話をしているとそう思うこの頃です。
返信する
わたしも (風音)
2008-07-30 14:37:35
Yちゃんを
こころに縛りつけて
かえってYちゃんを
苦しませているのかもしれないと
思う日があります。
夢に出てくるYちゃんは
笑ってたり、一緒にご飯を食べていたり。

お母様も苦しいのに
こんなこと書いてしまって
すみません。

ほんとうに
かけがえのない、
これからも決して出会えない、
こころからの親友でした。
返信する
ここここんばんは (ちょこ)
2008-07-31 00:06:28
ばーばさんこんばんは、5月の半ばに仕事を再開して以来なんだか更にバタバタしていて、すっかりばーばさんちにご無沙汰でした。 コメントいただいてあわわわと飛んできました(自分はいきなり勝手なメールを送りつけたりするくせに、人から何か急に指摘されたりすると急に恥ずかしくなる私です・・・)

あの時、Jさんのコメント欄で時々ご一緒したりでしたが、なぜかばーばさんのコメントから「悲しみ」「後悔」みたいな気持ちが私に流れ込んで来たように思えて、ブログにおじゃましてしまいました。そこでいきなりあやしいメールを出す私も私なんで、もう今更恥ずかしがっているのですが・・・。いおんさんの書いている事、いきなり見るとかなり「ひく」内容も多いですよね、でも私の心に抱えていた闇がだんだん取り除かれていくきっかけをくれた方なんです。(記事を旧ブログからお引っ越し中なのでそのうち、私が3くんを出産した時の記事がまた出てくるかもしれません・・・あんまり痛くて分娩台で「いおんさん!ちょっと来て助けて~!」って心で叫んだらなんと引っ張ってしまったらしく、朝の忙しい時間なのに私の出産に立ち会わせてしまった事があります・・・)



記事に書かれていらっしゃいましたが、娘様のお顔が微笑みに変わったんですね。

それはそのままばーばさんの心にある穏やかさ、なのでしょうね。


心の水面は日々の色々な事でざわざわしても、きっと深いところが穏やかであればまた戻れますよね・・・。ボランティア活動を始められたのですね。ばーばさんの健康を祈って、応援の心を贈ります・・・☆
返信する
風音さんへ (ばーば)
2008-07-31 01:03:16
夢に出てきますか・・
笑っていたり、一緒にご飯食べていたりなら
とても良い感じですよね。
私も夢で会いたいと思っても
夢はほとんどみないので会えません。

娘と二人で行った場所を通る時には
時々、びっくりするくらい鮮明に
瞼の中に飛び込んで来ることがあります。
そういう時は私の望み通り、温かい体温から
いつも使っているアロマオイルの匂いから
すべて再現されているのです。
あまりの驚きと喜びに、言葉が出ないほど!

ただ後悔や悲しみばかりで、いま生きている
家族や友達を寂しがらせたりしないように
周囲の人を愛して生きて行こうと
思うようにしています。
な~んて改めてここで決心したりして!
返信する
ちょこさんへ (ばーば)
2008-07-31 01:50:08
こここ、こんばんは~♪
驚かせてごめんなさ~い(笑)
ちょこさんは直球を投げてくるタイプの人ですね!
本当は初めてメールを読んだ時、怪しいメールかとビックリしましたが、よ~く読み返してみると何となく真情が伝わって来ましたのでゆっくりお2人を知る時間をいただきました。
やはり、人を動かすのは直球が良いのでしょうね。

今では宮城が揺れると、直ぐに心配するのはちょこさんで、次に隣の県の山形県天童市に一人暮らしの92歳の義母なのです。
次々に襲ってくる地震への対処、本当にご苦労様です。
3人のお子さんを育てながら、お仕事も持っていて、その上畑仕事も!
じゃがいもも人参も美味しそうで写真を観るだけでよだれが出ます。
イオンさんの記事、最初はえっ!?とビックリはしましたが、あまり引きませんでした。私の中に何かが少し用意出来ていたのかも知れません。最近はイオンさんのスピード感の有る冗談にも着いていけるようになりましたよ。 ほとんどロムしているだけですけど。
その内に3くんの出産記事が読めるのを楽しみにしています。 
それから私、(実体の無いもの)がとても怖くて「そういうこと信じていない」と言っていた割には恐怖に怯えていたのですが、今はあまり怖がらなくなりました。私にとってそれは画期的な事なのです。 
応援、有難うございます。
返信する
おはようございます (ちょこ)
2008-07-31 08:03:54
おはようございます、直球ときいて思わず朝からつんのめってます(笑)直球しか投げられないタイプだよね、と何度か人に言われた前科がある私です。本人的にはちょっと凝って変化球投げてみてるつもりでも、端から見てるとただの直球なのだそうです…。あでもばーばさん、お化けこわくなくなったんですか、いおんさんちが役立ってよかったです(*^▽^*)☆

いつも地震でご心配かけてます、宮城は地震が多いですね。私が子持ちになった2001年以来でカウントしてみたのですが、我が家震度6弱が3回、震度5強が1回、5弱が6回ありました…これだけ揺れてまだ本番が来てないので、せまる本番に向けてやたら予行演習がある状態です…。

お義母様は天童ですか。92歳!そんな高齢で一人暮らしできてるなんてすごいですね。青森の私の祖父も92歳&91歳です、達者なじいちゃんずです。
返信する
ちょこさんへ (ばーば)
2008-08-01 00:38:59
こんばんは~♪ になってしまいました。
やはりね~。 皆さんそうおっしゃりますか!
私も直球投手なのですが、ちょこさんほどの直球ではありません。
でも私も変化球投げているつもりでも周りはみんな直球といいます。
同じですね~!

ええ、お陰さまでお化けが怖くなくなりました。
大きな変化です。 
ただ、地震は怖いです。 いつ東海大地震や東京直下に見舞われるかと、ほんの少し揺れただけでぞっとします。
こちらは先日の宮城内陸地震では震度2でしたがそれでも目まいがするようでした。ちょこさんの2001年以来の震度体験を見ると凄いショックです。 家の造りがその震度に耐えられるようになっているのですね。
本番は宮城沖のM7クラス。
その予行演習なのですね。 おお~!

義母は毎年、暮れになると「今年の冬は東京に行きます。」と言いますが、いざとなると住み慣れたところから離れません。 気丈で自己管理がしっかり出来る傑物なのですが。。


返信する
タイトルは苦手 (うらら)
2008-08-03 13:10:01
・・・という事は、端的に物事を上手く纏められない頭の悪さなのか、伝えたいポリシーが無いのか、どちらにしても、iQが低いのですね
人様からいつも元気印を頂いている私ですが、身体が正直にストレス発信をしています
自分は元々これだけの徳の下に生まれ、後は精神と価値観を何処へ持っていくかで自分の人生を納得するしかないと考えますが(諦めではなくて…)
やけに宗教的ですが、私に限って自分の遺伝的に与えられた私の枠の中での徳と不徳が何時も交差して、ある時は納得したり、受け入れたくない時の気持ちのやり場に苦しんだり、そして自分を振り返った時の後悔や反省、なのに中々生かしきれません
人間失格の様な思いを抱く自分が醜かったり、
どちらか言うと私は運命論者でそちらに逃げ込もうとする様で努力のない人間の様です^^
ばーばサンのコメント欄に自分の自己分析をのっけてどうするかと、本当に何時も迷惑をかけています
私自身のgooの“ブログ診断”は、
猫お宅で主張が無いと、低いお点が付けられました…
返信する
うららさんへ (ばーば)
2008-08-03 22:45:49
私もブログのタイトルが出て来なくて困っているのですよ。 
あれでもないしこれでもない、等と悩んでいますが、書きたい衝動がないからなのでしょうか。
自己分析をすると、堂々巡りしますが、私は少々複雑そうな事を言っても、頭はシンプルに出来上がっているので単純明快なのが本音です。 でもね、この頃は前にはやりたくなかった事が、少しやりたくなってきたり。年齢によっても環境によっても、目標は変化して来るようです。 
自分を含めて同年輩の皆さんがどのように変化(進化?)するのか、皆目分からないので、今は年齢によって廻ってくる「お役目」にどう対処しようか、流れのままにと言った具合で良いのではないでしょうか?
あら~! 私も何を言っているのか解らなくなりました!?(笑) 
なるべく毎日、やりたい事をやって楽しく過ごすことに致します。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。