My Golden Life 3! ‐繋がる笑顔のかたち‐

愛犬ゴールデンレトリバー22(にぃにぃ)と過ごした日々と家族との素晴らしい小さな出来事をのーんびり書いています。

最後のコマンド

2013年05月19日 | 日記


5月6日
22を無事に火葬して一緒に家に帰ってくることができました。

22が最後に息を引き取ったリビングの場所に祭壇を…
と四十九日が終わるまでと思っていましたが、
おうちには、お花やお線香に興味深々のまだベビー
がいるため、22ミュージアムにするための
ニッチに祭壇をつくることにしました。





たくさんのお花に囲まれ22は幸せそうに見えます。



ピク姉さん、えみりん♪さん、danママさん、Lママさん、
ごっしーさん、Mikeさん、パピママさん、Oさん、さとさん、
Kさん、Wさん 



にぃにぃのために素敵なお花やお心遣いを手向けてくださり、
本当にありがとうございました。



無事に22はこうして我が家に帰ってくることができました。
心より厚く御礼申しあげます。



22もこんなに沢山のお花に包まれて
安らかな気持ちでいると思います。



感謝、感激で本当に言葉もありません。





僕は22のことを知りつくしていると思っていましたが、
実は22も僕の事を知りつくしていたんだとつくづく思えることがありました。

それは生前、
「22がいなくなったら仕事は2ヶ月ぐらいは休んじゃうし、
ショックで絶対寝込んじゃう」と
まだ全然にこちんが元気な時に、
よくにこちんやchi-koの前でこんな話をしていました。




実際、にぃにぃがこの悪性リンパ腫になったとわかった時、
いつとなく自然に涙があふれ、
とめどなく出てくる涙にむせび、落ち込んでしまう日々も
ありました。





だから、22は自分が亡くなる日がわかっていて、
「11ヶ月」という長い季節をめぐり、
僕にお別れのための心の準備期間を与えてくれたんだと思います。






犬の11ヶ月というと人間では大型犬で5~6年になるでしょう。



そして、もう駄目なんだなと思うちょうど1週間前の4月29日から、
毎日、毎日たくさんの一緒に過ごす時間を与えくてれました。





さらに最後の3日間はずっと付きっきりになることができ、
22といろんな話ができました。



そして、最後は家族全員が見守る中、僕の腕の中でゆっくりと深呼吸を
するかのように息を引き取っていきました。




その時、にぃにぃの体から黄金色の小さな何とも言えない、
温かいものがたくさん出てきたように思えた。

妖精とでも光とでも色のついた空気とでも思えるような、
ものすごく温かいものに自分の体が包まれたような気がした。

美しいとしか思えない「死」を迎えたのは、
人生で初めてだった。



僕にこれだけの時間をかけ、こんなにも温かい気持ちを伝えてくれたのは、
22が十分が幸せだったから、安心して欲しいという願いだったのかもしれない。
だから最期は悲しみよりも、
温かい心にしてくれたという主人に仕える最後の奉公ではなかったのでは
なかと思える時だった。





そう、頭ではわかっていても、
それでも、別れはやはりつらい。





でも、ここからが本当の22のすごいという話です。

無事に火葬を終え、小さなかわいい遺骨となった
次の日、5月6日の夜のこと。

久々に自分のベッドで寝ようと全てが終わった夜、
寝室で寝ていると優くんが泣きながら起きてきて、
「パパも一緒に寝てよ。ママも側に、みんな側にいてよ」
と泣いてめずらしく僕の部屋に入ってきた。







可哀そうにと思い、chi-koとこうちゃんと優くんが寝ている部屋に行き、
優くんを抱きしめてから、そっととなりに添い寝した。

朝方、何となく目が覚め、まだ起きる時間ではなかったので、
少しウトウトとしていました。

すると、22の首に付いている鈴の音が聞こえ、
見ると22が庭の横の通路からとても元気に早歩きでこっちに向ってきました。





「良かった。22元気になったんだ」と思っていると、
そのまま僕の前を通り過ぎ、
今度は22が茨城で一番好きでよく銅像ごっこしていた、
市役所の中庭で22がとても元気よく走りまわっていました。



よくみると、すぐそばにグレーのスーツを着た白髪の60歳くらいの男性と
薄紫色の花柄のワンピースを着た50代くらいの女性の夫婦と、
男の子の赤ちゃんと学生服を着た中学生の男の子の4人家族が、
22の飼い主のようで、微笑みながら22の駆け回る姿を
楽しそうに見ていました。

よく見ると学生服を着た男の子の白い肩掛けカバンを
22は加えて、家族の足元を駆け回っています。

とても嬉しそうに、そしてすごく元気に。




それが、夢なのか自分の希望なのかわからないけど、
22からのメッセージに思えてなりません。





「22は僕とchi-koに10年間仕え、自分の使命を全うして、
今度は新しい家族のもとで新しい使命を受けたんだ」と。



22は次の役割があったんだと、
この夢から覚めた時、そう強く強く感じた。




僕が心から悲しみ、そのあまりにも深い深い悲しみから
戻ることができないことがあってはいけないと、
このような姿をもう一度笑って見せてくれたんだ。
とそんな気がしてならなかった。


実際、それがわかってからとても心が晴れた。

そして22がどうやったら僕が一番元気になるか、
本当に良くわかってくれていた。

それが本当に嬉しくて、
そして自分が主人として最後に何をしなければならないか、
この事を通してはっきりと悟らなければならないことに気がついた。




22は本当にすごい犬です。




22はこれまで自分たちの娘で、人と同じと思っていたけれど、
最後はきちんと主人として22にコマンドすることが
何よりも大切で、そしてそれに従うことが
犬にとって最高の喜びであることを忘れかけていた。




僕は22の主人で、こよなく22を愛してる。
だから、だから22の幸せを願っている。

22もきっとそれを願っている。


犬にとって最高の幸せは主人に仕えること。
それは新しい自分の使命を全うすることに違いない。



にぃにぃ、もう僕は落ち込んでいないよ。
しっかりと22のメッセージを受け取ったよ。
だから安心して。


にぃにぃ、僕や家族と過ごした日々を超えて、
次の使命に応える時が来たんだね。




だから、22に向ってこう叫ぶ。

ちゃんとお仕えできるように


前に向って進むんだ


そう、
振り返ることなく真っすぐに進んで


これが最後のコマンドだよ。


それいけ!僕のにぃにぃ!





Go straight!













































































お別れ会

2013年05月06日 | 日記

22の体はずっと暖かった。
お腹も手も小さなおしりも。




いつまでも暖かいので、今にも目をあけそうな
そんな気さえした。

亡骸を大切にしたくてどうしたらいいかと、
いろいろ調べるてみると、
お腹をすぐに冷やしたほうが良いとのことだった。

でも、22があまりにも暖かく、体も硬直せずとても軟らかいので
なかなかそうはできなかった。



だから寝る間際まで冷やさずにいた。
22は棺に入ってしまっているので、
棺に寄り添って最後の夜を22とふたりで過ごした。

ホントは22をいつものように抱きしめて、
寝たかった。
でも、いつもならある程度時間が経つと
にぃにぃは、「ねえ。もういいでしょ。ちょっとゆっくり寝かせて」と
言わんばかりに、ベットからでていって、下でひとりすやすや寝ていた。

「も~にこちぃ~ん」と40過ぎの男が一人寂しくフテ寝をしていたことを、
懐かしく思いだしながら、棺に寄り添い、
「桐でできているから暖かいのか、にぃにぃの暖かさが
ここまで伝わっているのか・・・」と考えながら
今度は逃げないにぃにぃをこの夜は独り占めにできた。


昼間には優くんと一緒にフラワーショップ花子に
お別れに使う花を買いに行っていた。



薄いピンクのバラと真っ白いトルコキキョウをできるだけ買った。
最後の棺に入れる花束も一緒に。
お花は人や動物を時には労い、時には輝かせ、時にはその心を浄化する。



お花屋から帰った後、もう動かないにぃにぃにしがみついて泣いた。
とにかく泣きたかった。
22がいなくなる寂しさをがまんすることなく。





5月6日 お別れ会

朝chi-koが前日に買ったバラとトルコキキョウの生花を
22の棺に入れらるように準備してくれた。

部屋を掃除したり、車に棺をいれられるようにしたりと大忙しだった。

だんだん時間がなくなり、
急いで着替えていると
最後のひと時を22と一緒にいられない悔しさのような
気持ちがこみ上げ、涙で前が見えなくなった。




9時になり近所でいつも22のことを可愛がってくださっていたOさんと
その息子さんが来てくださった。
準備に追われほっとかれていたこうちゃんを
抱っこしてくれて、随分と助かった。

少しして、22の方思いだったパピちゃんと
ルルちゃんとママもきて下さった。

Mikeさんご夫婦も来て下さり、22の最初のお友達の
ヒサエちゃんと2人の娘のノンちゃんとユズキちゃんもきてくれた。


大勢の人に囲まれて22とのささやかなお別れ会を行った。





棺に「ありがとうのお花」をいっぱいいれてくれた。
ラルゴの調べに包まれて、にぃにぃはきれいなお花で
いっぱいになった。




みんな22を優しく撫でてくれ、
それぞれお別れのための言葉をかけてくれた。


そして、22にとって弟の優くんが、前夜に一生懸命
ひらがなで書いたお手紙を読んでくれた。



とても大きな声ではっきりと、上手に22に届くように読んでくれた。

「にぃにぃへ
またこんどあそびにきてね ゆうのすけより」と。

僕とchi-koが前日に22に宛てて書いたていた手紙と
家族全員でとった写真も一緒に棺にいれた。

パピちゃんママがもってきてくれた、犬用のガムは虹の橋で
逢うワンコや多くのペットたちにあげるために、たくさん持たせた。

大好きだったリンゴと、
食欲がなくなってきても食べたチーズもいれた。



そして、最後に僕が大好きだった
にぃにぃの耳の毛を少しだけハサミで切って、
大事にしまった。


そして、にぃにぃに抱きついて思いっきり泣いた。
ありがとう22。
大好き22。と。
これ以上の愛しい気持ちはないと。

何度も何度も心で叫んだ。



寝ているような22の手も足も尻尾も、
いつもと変わらないように動かすことができた。
22はいつもお座りし、前足を交互にお手をして、
何かをせがんだ。
それが今もまだしているかのようだった。

かすかに暖かい22は最後まで、
きれいな自慢のゴールデンだった。




棺の蓋を締め、MikeさんとOさんの息子さんが棺を車まで運んでくれた。


Mikeさんご夫婦も、Oさんご家族も皆、
愛犬だったゴールデンを亡くしている。
今回、にぃにぃのお別れ会にきてその時を思い出し、
とても辛い思いをさせてしまっていると思うと、
申し訳なく、それでも22のためにきてくれた
と思うと胸が苦しくなった。



たくさんの方が22との別れを悲しんでくれて、
本当に嬉しかった。

最後のお別れと挨拶をして、22を乗せた車を
家から10分くらいのところにある
ペットの火葬場へと走らせた。



22とのお別れするための曲
スピッツの「君が思い出になる前に」を何度も火葬場向かう
車の中で聞いた。



不思議と棺を車に乗せると
22を無事に送りだせる安堵感と、
22と一緒に過ごせた10年間に
幸せな気持ちが胸いっぱいに広がってきた。



さわやかな5月の緑と暖かな陽気、
22の心ような清らかな風が
22とお別れする「今」を心に刻み込んでくれた。




火葬場で受付をし、22の棺はゆっくりと炉に移動された。




寂しい気持ちでいっぱいのはずが、
もう一度安らかな22の顔を見ていると、
不思議と穏やかな気持ちにさえなってきた。




この世に我が家の犬として生れてきて、
家族である僕やchi-ko、ゆうのすけや
こうのすけを守り、家を守り、地を守り。

どんな暗い道も、険しい道も一緒に歩いてきてくれた。

chi-koが5回も流産をし、人生に途方にくれた時も
心配して時には涙をなめてくれ、
時にはそっと暖かい体をすり寄せて、
いつも優しく暖かかったにぃにぃ。

22に励まされ、どんな困難な道も乗り越えられた。
その感謝の気持ちを伝えると、

22を愛しく思ってくれた人々や
懸命になって22の治療にあたってくれた
先生の顔や声が22を通して聞こえてきた。


22がみんなに感謝していると思った。


そして、22は満足して亡くなった。

22は幸せだったんだと。確信した。



そしてゆっくりと棺の蓋が閉められて、
22は炉の中へと消えて行った。






22の最後の優しい気持ちが、
僕の心を満たしてくれるのがわかり、
嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。

ありがたい感謝の気持ち。
きっとこれは22の気持ちだと泣きながら
そう思っていた。





ほんとなら今日は22が病院に行く日だった。

荼毘に付している間、お世話になったT先生に電話をした。
先生は22の最期を伝えると、穏やかにそして声を少し落として
「22もご家族も本当によく頑張ったと思います。
22はきちんと自分で決めて逝ったんだと思います。もう安心してください」
と言われたその言葉の裏に、飼い主や22に対して申し訳ない
という声なき声が聞こえてきた。







以前、22の病院にあるカレンダーに先生の出勤する日が書いてあった。
いつ休んでいるんだろうと思う程、先生はいつも診療室にでてきていた。
一度、そのカレンダーの出勤日を数えたことがある。

13日勤続、1日休み、14日勤続半日休み。という驚異的なものだった。


先生がなぜここまでして仕事をしているのか、
その答えがこの電話で分かった。



いつか必ず訪れる「別れ」の日を少しでも長くするために、
それでも及ばぬ力や自分の足りなさを埋めるかの様に
ひたすら診療することで、家族や動物に償っている。
そんな気持ちなのではなかったのではないかと。

偉大な先生に診てもらうことができ、
これ以上の幸せはないと改めて感じた。

22も本当に先生が好きで、スタッフの方が好きだった。








1時間30分後、
ほっぺは柔らかく、手足はまるく、
眉間は甘いビスケットのおいがする
22がきれいな骨になって帰ってきた。



真っ白い骨の中に少しうすいピンク色の骨もあり、
骨になっても22は可愛かった。

まるで棺にいれた花の色のように
白とうすいピンク色がとてもきれいだった。



自慢の歯はきれいに残っていた。
chi-koがよく頑張って歯磨きをしてくれていたおかげだと嬉しかった。
股関節は、かなりすり減って浅い関節窩がとても印象的だった。



拾骨をchi-koと行い、少し大きめの陶製の骨壷に22はゆっくり入った。



平成25年5月5日 22位 と書かれたカバー

ぞろ目に亡くなって22らしい。




22を無事に家まで連れて帰ってくるまで、
chi-koもゆうくんも、こうちゃんもよく頑張ってくれた。
そして何よりヒサエちゃんがいてくれて良かった。

小さな子供の世話を随分してくれて、寂しい思いをかけずにすんだ。
そして何より、僕がずっとずっと22と一緒に最後の最後まで
一緒にいてあげることができた。

ヒサエちゃん本当にありがとう。





夕方、Mikeさん夫婦がお線香を上げにきてくれた。
Mikeさんの家のwindyのことや22の好きだった
散歩の場所などを話したりして、
穏やかな時間が流れて行った。




夜になって、今回別れ会に間に合わなかった近所のWさんが
お線香を上げにきてくれた。

つくづく22の人気ぶりがわかった。
本当に近所の方々がこんなに22の事を暖かく
見守ってくれていたことに、感謝します。
引っ越して来てまだ3年なのに。






22がまだパピーの頃、ドックショーを見に行った時の事。
初めて見に来た22家に声をかけて下さった方がいた。
「この仔はとてもいいゴールデンだ。そしてとても人を惹きつける」と。




茨城、東京、横浜とどこに住んでも22のおかげで
いろんな人と知り合いになり、親交を深めることができた。

22が人をよび、人と人を結ぶ架け橋となってくれたこと。
心から22に感謝してる。



今は寂しい気持ちもあるけれど、この22の優しさと
あまりにも美しい亡くなり方に、ただただ感動し、
その優しさが僕の心をすべて満たしてくれている。


僕の気持ちが穏やかなのは、22が穏やかな気持ちでいる
からだと思うと、なんだかとても嬉しくなる。



もう、何も心配はしていない。



僕の大好きな22。



にぃにぃ。

僕はもう大丈夫だからね。

























































































































最期の時

2013年05月05日 | 日記

5月5日午前3時28分。
にぃにぃはとても安らかに、家族全員に看取られて息を引き取りました。
我が家に来て10年。10歳2ヶ月の生涯でした。





4日の夕方にほんの少しのミルクを飲みました。
それ以降もうにぃにぃが口にすることはなくなりました。

左の前足がと頬、首回りが浮腫を起こしどんどん腫れていきました。

息使いがゆっくりと大きく、同じ姿勢でいることがつらいのか、
眠ることなく一生懸命に顔を動かし、時折しっかりと呼吸をして
頑張っていました。



夜には大ママがにぃにぃに会いに来てくれた時は、
懸命にしっぽを振って喜んだにぃにぃ。


深夜1時を回ったころ、呼吸が少しあらく、大きくなってきました。
子供たちを寝かしつけていたchi-koも
にぃにぃのそばへと2階から降りてきました。



にぃにぃとchi-koと3人で茨城での生活や東京でのこと、
そして2人の弟ができてからの事など取りとめない話を
しばらくしていました。

涙で言葉にならないこともありましたが、
にぃにぃは話を聞いていてくれました。

こうしていると、何らいつもの違いのないひとこまでしたが、
確実ににぃにぃは「懸命」に聞いてくれていました。



子供が泣き出し2階にあがったchi-koがいなくなり、
にぃにぃに抱きついて少し寝ていました。

1時間は経っていないと思いましたが、
ふと目を開けると、にぃにぃの様子が違うように見えました。




にぃにぃはさらに深くて大きな呼吸をしはじめ、
すぐにchi-koを呼びました。

こうちゃんもゆうくんも一緒に降りてきたとたん、
にぃにぃはもう一度大きな呼吸をして、そっと目を閉じました。





それは深い深い眠りについたような、
安堵のため息にも聞こえる最期のにぃにぃの呼吸となりました。



にぃにぃの最期をこの手で看取れて本当に、本当に幸せでした。
ただ、ただそれだけが心配でならなかった事でしたが、
chi-ko曰く
にぃにぃはこの夜中のyo4の十分な時間を過ごせる時、
ゴールデンウィークの確実に休みである日をずっと前から
決めていたんだと。
そして最期に家族全員がきてくれるように
そっと呼んでくれたに違いない。

と優しく教えてくれました。

治療を続けることや、
いろいろなサプリメントを飲むことも
病院にいくことも
全て受け入れ、決して何一つ嫌がることなく、
ひたすら従順に、僕のしたいようにさせてくれた
僕の大切なにぃにぃ。

それが正しかったのか、にぃにぃに一番良かったのか、
心が苦しくて仕方なかったけど、chi-koの優しいこの言葉に
にぃにぃの従順な優しさを感じるばかりでした。




ゴールデンでは、とても小さく、
おとなしく、おっちょこちょいで、
食べ物大好きで。
昼寝も、おやつも、ぬいぐるみも大好きで。
散歩はすこし嫌いで、でもお出かけは大好きで。

走るのも嫌いで、ワンコもどちらかと言うと好きじゃない。

そんな、にぃにぃが大好き。
僕の大切な宝物。



今、そばにいるにぃにぃはまだ暖かい。
だから今日はもう少し、たくさん顔をうずめて
にぃにぃの優しさに触れていたい。

明日、にぃにぃはダンディやお友達のいる虹の橋を渡れるように、
しかっかりと見届けてあげなければ。




22を飼っていたのではなく、
一緒に生きてきた。

だから辛い。

自分の人生の一部だから。


にぃにぃが楽に横になれるように、
一番大きな棺をもってきてもらった。



明日はここにたくさんの、ありがとうの花を入れて
にぃにぃとお別れしよう。







ささやかだけど、家族とにぃにぃを愛してくれた人たちの
精一杯の気持ちで。





























































覚悟

2013年05月04日 | 日記

5月1日

朝の食欲はあり、いろいろな音にも反応し、
久しぶりにプシューも出ました。
http://ni-ni22.a-thera.jp/article/46081.html

少し元気になった気もしていました。




お昼に先生から電話があり、連休に入ってしまうのでとのことで、
心配してくださっていろりろ聞いてくださりました。
電話ではにぃにぃの輸血後の様子を報告しました。

今回の22の体調の変化で気になっていることがありました。

23日にロムスチンを服用させるか随分悩み、結果的に治療を選択しました。

この薬は強力な抗がん剤ゆえに白血球がさがりすぎて、
戻ってこれなくなることもある。
と十分な説明も受けていました。



その時点での22のコンディションからも
十分治療に耐えられると思いましたが、
それよりももっともっとこの治療に対する強い思いがあったのです。

それはいつも心のどこかに、
「今回の薬で22だけは例外で治ってしまうんじゃないか」と
治療成績や寛解率など科学的なデータを
超えた奇跡が生じるんではないかという思いです。

だから先日のブログでも書いたように、
22のこの今の状態になってしまったのは、
今回の「治療をする」という選択肢が正解ではなかったのではないかと
自分を攻めてしまう気持ちが取れないで悶々としていました。



先生はそれを察してか、
「抗がん剤治療だけでは白血球はさがっても、
赤血球がここまで下がることはありません。
薬のタイミングと病気の進行が一致してしまったと思います」

と言う言葉を医学的な理由をもって
自分に説明してくれました。

心からありがたい説明と思えました。

治療を選択してもしなくても、病期がそこまで来ていたのだと、
軟らかい言葉で教えていただきました。
何とも言えない安堵感とこれからの
22の残された時間を送る覚悟が決まりました。





まだ自分ではうまく歩けませんが、それでも夕方には
庭でオシッコをしました。
ウンチがでなっかたので子供用の浣腸をし、
すぐに真っ黒いウンチが通常の量よりやや少ないですが、
してくれました。



これで安心。

夜も久しぶりにガムを食べました。



でも最後まで疲れて食べられなくて、
すこし残念そうにずっとガムをみていました。
でも、満足したお顔を久しぶりにみました。






とここまでは順調の様にさえ思えました。




5月2日

朝から呼吸数が20回/分と少し、痰がからんだような息づかい
になり、ウェットフードも全く食べようとしません。

ヨーグルトに薬をいれ、何とか7割食べました。
申し少し残った薬を飲ませようと大好きなハムに
くるんであげますが、嫌がります。
ごまかし、ごまかし何とか少し食べさせましたが、
最後に残った薬には、コンデンスミルクを付けてあげました。


初めて食べで美味しかったのか、何とか薬は全て呑みこみました。


いつものように抱っこをして庭に連れていきましたが、
お座りをしようとしません。



息使いも荒くなり、少し苦しそうでしたが、
何とかトイレの砂利の上で、真っ黒いウンチをごく少量しました。

左の頬部が腫脹し、全身が浮腫を起こしているよに見えます。

今日まで病院があいているので、
行った方がいいかとても悩みましたが、
chi-ko一人では連れていけないので、様子をみることにしました。

それでも夕食は少し食欲がもどったのか、
豆腐と牛肉、と鶏肉のウェットフードを
混ぜてものを7割ぐら食べました。

調子のいい時と悪い時の差が目立ちます。


夜、高濃度のビタミンBとC、プラセンタを注射しました。




5月3日

食欲は相変わらずなくなり、犬用のミルクを少量ですが、
美味しそうに飲みました。



いつも、冷蔵庫の飲み物の方を開けると、
自分も貰えるのではないかと期待満々の顔で待っていたにぃにぃの姿が
そこにはありません。



今は静かに目だけを動かし、ゆっくりと最期の時を過ごしています。

mikeさん夫婦が心配で22の大好きなイチゴを
持ってきてくれました。

1個だけ頑張って食べました。



にぃにぃの好きなものはイチゴ、りんご、梨、桃、トマト・・・
なんでも一口であっという間に食べていました。

今はゆっくりとひと噛みひと噛みを大事にするかのように、
精一杯の力を振り絞って食べています。

お昼に庭に連れていきましたが、トイレだとわかっていて、
砂利のトイレの上に行くと、横になりながら真っ黒い水様便
をしました。



後ろ足がもう踏ん張れなくなっていましたが、
前足も震えながらしています。

し終わった後、その場に倒れてしまいまいました。

立派でした。



最期の力を振り絞って、自分でオシッコをしたかったのでしょう。
とても感動的でした。

夜はビタミンBとC、プラセンタの注射をしました。

この日は家の廊下で同じ場所でからずっと動かず、
水も自分では飲むことはありませんでした。



顔を腫脹がだんだん目立つようになり、
呼吸もゆっくりになってきています。




5月4日



今、横に22がいます。
心拍は125bpm/min で呼吸数は15回/分
まだ少し目を動かしたり顔の位置を変えたり
少し反応があります。

今朝は、ヨーグルトもイチゴもチーズも何も口にしません。



犬用のミルクをほんの少し飲みました。

久しぶりに歯磨きをしてあげました。
歯垢がかなりついていましたが、
その下には白くきれいな22の歯が見えてきました。



よくはがいじめにて歯磨きをしたものです。
甲斐あってか虫歯もないきれいな歯でいられました。

手足は以上に大きく腫れて、全身の浮腫が亢進しています。



オシッコやウンチの排泄がなくなっていますので、
仕方ないです。



自分でもう薬は終わりにするとの意思表示と思えます。

このままゆっくりと苦しまない時間が流れる様に、
今は祈るばかりです。



いつも22のお世話をしてくれているMikeさんご夫婦が
心配で22に会いに来てくれました。

頭を上げることはできませんでしたが、
懸命にしっぽを振って喜んでいました。




今、22が横にいて静かな寝息とともに一緒に
いられる時間に感謝したいと思います。

そして最期をしっかりと看取ってあげたいと思います。