きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

小説 すこし不思議ものがたり 『まるで夢のような時間』 その1

2020年04月29日 | 小説 (プレビュー版含む)

繁華街の片隅で、小さな青い「貴方の夢を叶えます」と書いた看板を見たとき、私は無意識にその看板の横にある小さな店の扉をノックしていた。

休日出勤の連続で疲れ果てて判断力が落ちていたのと、二か月前の失恋から未だに立ち直れていなかった事もあり、今の私はどうしようもないくらい「夢」という言葉に弱かった。

(叶えられるもんなら叶えてよ今すぐに夢全部さぁ)

ヤケ気味にそう思いながら、私は店の扉をガンダンとグーで叩き続けた。

しばらくして入り口から出てきたのは、上品そうな黒い服を着た女性だった。

受付の担当者が自分と同じ年頃の女性だった事で、私は少し安心した。そして

「あの、このお店はどんな事をするお店なんですか?」

と遠慮がちに尋ねてみた。もしこの店が何かいかがわしいような事をするお店だったら、すぐにでも立ち去るつもりだった。

「ご説明いたしますね。千円で十分間、あなたに素敵な夢をご提供します。ただし、叶える夢は、あなたの『過去』か『未来』に『経験した』ことのある『まるで夢のような時間』限定です」

私には、受付の女性が何を話しているのか、ほとんど理解できなかった。

「もちろん、あやしい催眠術や霊感商法ではないのでご安心を。リアルな3D映画のようなものとお考え下さい。ただし、上映できるのはあなたの頭と心の中だけ、ということで」

どう考えても怪しい説明にもかかわらず、私は、その店の受付カウンターから離れる事がどうしても出来なかった。そして、気がつくと財布の中にある5千円札を取り出し

「これで、五十分間、素敵な夢を見させてください」

そう呟いていた。受付の女性はやさしく微笑んで

「途中でキャンセル等できませんが、初回五十分コースでよろしいですか? それと、夢の内容はお客様自身では選べませんのでご了承下さい」

と私に確認してきた。

「かまいません。お願いします」

私は五千円札を受付カウンターに置き、そう答えた。

「では、こちらに」

女性の声に導かれて、私は店の奥へと進んで行った。店の通路は暗くて狭く、どこまでも続いているようだった。

その奥には、柔らかそうなソファーと、テレビ番組やネットで時々見かけるVRゴーグルがあった。なんだ、ただのVR体験型ゲームか…とがっかりしながらも、私はどこか安心して、

「このVRで素敵な映像が見れるとか、そういう感じですか?」

と店員に尋ねた。

「素敵な映像とは少し違いますね。お客様の脳内の記憶中枢にごくわずかな刺激を与え、記憶を映像化するシステムです」

「なるほど」

まったく理解は出来ないが、ともかくも試してみる事にする。

「ソファーに座って、ゴーグルをしっかりとつけて下さい。装着が完了した時点で、自動的に開始となります」

私はゴーグルを装着しソファに深々と身を沈めた。

ゴーグル内の視野は広く、その内側にはデジタルな模様がゆっくりと形を変えながら動いていた。

(まるで万華鏡みたいだな)

と子供のように思っていると、次第にその模様が形を変えて、何かの風景を具現化させていった。

 

 

 

「・・・ゆき、どうしたの? ゆき?」

耳元で聞き覚えのある声が聴こえる。ああ、この声は

「ゆき、今日は早起きだな。いつもと大違いだ」

今度は、少し聞きなれない声

「しょうがないわよ。今日はゆきの大事なお誕生日ですもの」

そうか、この声は若い頃の母の声だ。今よりずっと明るい声。

「ん? そうか。俺、夜勤明けで日にちの感覚が…」

こっちはずっと前に亡くなった父の声。そうか、確かこんな声してたっけ。

「もぉ、ゆきのおたんじょうび、わすれないでよ!」

記憶の中の幼い無邪気な5歳の私が言う。

「すまんすまん。でもプレゼントはもう買ってあるからな!」

父が申し訳なさそうに言う。

「でも朝からケーキっていうのもねぇ」

母が、私と父の顔を交互に見て困ったように言う。

「お父さんは全然困らないけど、ゆきはどうだ?」

屈み込んだ父は、私の頭を撫でてこう言った。

「ゆき、あさからケーキたべる!!」

母がやれやれという表情をして、私に問いかける。

「じゃあプレゼントはどうするの?」

「プレゼントもあさもらう!」

元気いっぱいに答えた私を、父も母も優し気に見つめている。

父は、いつの間に持ってきたのか、手に小さな包みを持ち

「本当は夜に渡すつもりだったんだけどな」

と照れくさそうに言った。

「いまあけていい?」

私がそう言うと父と母は満面の笑みで

「もちろん! ゆき、お誕生日、おめでとう」

と言って、そして父は小さな包みを私に手渡して。

 

 

そして私の視界は、ゆっくりと真っ黒になっていった。

 

 

一時間後、店を出た私は、繁華街の路上で声を上げて泣いていた。足早に通り過ぎる忙しそうな街の人達の目も気にせず、ただひたすら、ずっと涙を流し続けていた。私の手には小さなUSBメモリが握られていた。

店内で映像が終わった時、店員さんはVRゴーグルを外した私に

「初回サービスとしてご利用された記録をUSBメモリに保管できます。必要でしたらお手続きしますが」

と無表情に言った。

私はぐちゃぐちゃになった自分の顔を隠す事もなく、お願いしますとだけ答えてメモリを貰って店を出た。

幸せな記憶。大切な記憶。私にはそれがある。ずっと記憶の底に放置したまま忘れていた事であっても、それは生きている限り、私の中に残っていた。

化粧がすっかりおちた酷い顔で家に帰った私は、あの店で店員さんが言っていた言葉をふと思い出した。

 

「ただし、叶える夢は、あなたの『過去』か『未来』に『経験した』ことのある『まるで夢のような時間』限定です」

 

未来? 私はようやくその言葉の意味に気付き、心から思った。あの時、未来の記憶が再生されなくて本当に良かった、と。

今はまだ分からないけど、私の未来には確かに、あの頃と同じような「まるで夢のような時間」が存在している。それは確かなのだ。私は部屋の洗面台で顔を洗い、鏡の中の自分にこう言った。

「色々あったけど、生まれてきて、生きてきて、よかったよね。ゆき。きっとこれからも」

鏡の前で、幼い頃の面影が少しだけ残っている私が、あの頃より大人びた顔でにっこりと笑っていた。

(了)


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