「組織の実態明らかにする」
鈴木宗男氏(左)の「反撃開始宣言」に戦々恐々の外務省
総選挙でカムバックした鈴木宗男衆院議員(57)が、
外務省への反撃を宣言した。かつては蜜月関係を築いていたが、
一連のムネオ疑惑などから関係が悪化。外務省が宗男氏への
対応マニュアルを作成していたため、
永田町屈指の戦闘本能に火を付けたようだ。
「(これまでは)外務官僚の特権を守り、スキャンダル隠しに
手を貸してしまった。今後は私の知る外務官僚、
外務省の組織の実態を明らかにし、国民の知る権利を確保するため尽力する」
宗男氏の談話からは、近親憎悪に近い外務省への憤りが感じられる。
かつて外務省は予算確保や政策実現のため、
強引な政治手法で存在感を発揮していた宗男氏を利用、
宗男氏も同省に協力することでODA交付などに
強い影響力を誇ったとされる。
だが、平成14年にムネオ疑惑が噴出してから、
外務省は宗男氏と距離を置き、同年6月、
宗男氏があっせん収賄容疑で逮捕(現在公判中)後は
「外務省は被害者に近い」との立場をとった。
これを、宗男氏は「裏切られた」と感じたのか、
逮捕直前には「外相の田中真紀子氏を更迭し、
次は鈴木(の追い落とし)だと考えた人が(外務省に)いた」
と苦々しく語っている。
今回の宗男氏の政界復帰にあたり、外務省は内々に
(1)宗男氏との会食は当面辞退(2)説明要求には対応するが、
強い意見表明があった場合は官房総務課に相談
(3)やりとりは文書にして報告-といったマニュアルを
作成して幹部職員に配布していたが、これが報道されてしまった。
宗男氏は、これに「特定の国会議員を忌避するのは
国会議員の軽視だ」と強く反発する。
最近、宗男氏に近く「ラスプーチン」と呼ばれた
外務省元主任分析官の佐藤優氏(背任罪などで現在公判中)が、
『国家の自縛』(産経新聞社)を上梓したが、ここに外務省幹部の
“違法行為”と思える記述があったことも、同省を震撼させているようだ。
外務省の谷内正太郎事務次官は3日の会見で
「(宗男氏を)忌避する気持ちはない。
適正な関係を保っていきたい」と釈明したが、
宗男爆弾に省内も戦々恐々か。
ZAKZAK 2005/10/04
私のコメント
何故、鈴木宗男氏を怖がる必要があるのだろうか、
外務省の深い部分まで知っているから
それを突かれるといけないと思っているのだろうか。
宗男さんを利用していたのは外務省だったのではないかと思う。
鈴木宗男氏(左)の「反撃開始宣言」に戦々恐々の外務省
総選挙でカムバックした鈴木宗男衆院議員(57)が、
外務省への反撃を宣言した。かつては蜜月関係を築いていたが、
一連のムネオ疑惑などから関係が悪化。外務省が宗男氏への
対応マニュアルを作成していたため、
永田町屈指の戦闘本能に火を付けたようだ。
「(これまでは)外務官僚の特権を守り、スキャンダル隠しに
手を貸してしまった。今後は私の知る外務官僚、
外務省の組織の実態を明らかにし、国民の知る権利を確保するため尽力する」
宗男氏の談話からは、近親憎悪に近い外務省への憤りが感じられる。
かつて外務省は予算確保や政策実現のため、
強引な政治手法で存在感を発揮していた宗男氏を利用、
宗男氏も同省に協力することでODA交付などに
強い影響力を誇ったとされる。
だが、平成14年にムネオ疑惑が噴出してから、
外務省は宗男氏と距離を置き、同年6月、
宗男氏があっせん収賄容疑で逮捕(現在公判中)後は
「外務省は被害者に近い」との立場をとった。
これを、宗男氏は「裏切られた」と感じたのか、
逮捕直前には「外相の田中真紀子氏を更迭し、
次は鈴木(の追い落とし)だと考えた人が(外務省に)いた」
と苦々しく語っている。
今回の宗男氏の政界復帰にあたり、外務省は内々に
(1)宗男氏との会食は当面辞退(2)説明要求には対応するが、
強い意見表明があった場合は官房総務課に相談
(3)やりとりは文書にして報告-といったマニュアルを
作成して幹部職員に配布していたが、これが報道されてしまった。
宗男氏は、これに「特定の国会議員を忌避するのは
国会議員の軽視だ」と強く反発する。
最近、宗男氏に近く「ラスプーチン」と呼ばれた
外務省元主任分析官の佐藤優氏(背任罪などで現在公判中)が、
『国家の自縛』(産経新聞社)を上梓したが、ここに外務省幹部の
“違法行為”と思える記述があったことも、同省を震撼させているようだ。
外務省の谷内正太郎事務次官は3日の会見で
「(宗男氏を)忌避する気持ちはない。
適正な関係を保っていきたい」と釈明したが、
宗男爆弾に省内も戦々恐々か。
ZAKZAK 2005/10/04
私のコメント
何故、鈴木宗男氏を怖がる必要があるのだろうか、
外務省の深い部分まで知っているから
それを突かれるといけないと思っているのだろうか。
宗男さんを利用していたのは外務省だったのではないかと思う。