富士谷成章の邸宅跡を示す碑です。
富士谷成章(1738~1779)
本居 宣長(1730~1801)
二人は京都の町ですれちがっていたかもしれません。成章は生前は有名ではなかったようですが、宣長はその存在を知っていたようで、そのことが『玉勝間』に書かれています。
藤谷成章といひし人のこと
ちかきころ京に、藤谷専右衛門成章といふ人有ける、それがつくれる、かざし抄あゆひ抄六運図略などといふふみどもを見て、おどろかれぬ、それよりさきにも、さる人有とは、ほの聞たりしかど、例の今やうの、かいなでの哥よみならんと、みゝもたゝざりしを、此ふみどもを見てぞ、しれる人に、あるやうとひしかば、此ちかきほと、みまかりぬと聞て、又おどろかれぬ、(『玉勝間』八の巻、岩波文庫)*旧字体は新字体に改め
場所:上京区中立売通西洞院西入南側
富士谷成章(1738~1779)
本居 宣長(1730~1801)
二人は京都の町ですれちがっていたかもしれません。成章は生前は有名ではなかったようですが、宣長はその存在を知っていたようで、そのことが『玉勝間』に書かれています。
藤谷成章といひし人のこと
ちかきころ京に、藤谷専右衛門成章といふ人有ける、それがつくれる、かざし抄あゆひ抄六運図略などといふふみどもを見て、おどろかれぬ、それよりさきにも、さる人有とは、ほの聞たりしかど、例の今やうの、かいなでの哥よみならんと、みゝもたゝざりしを、此ふみどもを見てぞ、しれる人に、あるやうとひしかば、此ちかきほと、みまかりぬと聞て、又おどろかれぬ、(『玉勝間』八の巻、岩波文庫)*旧字体は新字体に改め
場所:上京区中立売通西洞院西入南側