
中学生の女の子が、まだ人生の五分の一も生きていないのに、亡くなったと聞くと、余りに儚くて心が痛みます。また助けようとした人や近所の人も危険に曝します。たまに警察官が、拳銃で自殺するニュースが流れますが、ふと死にたくなって身近にある道具で自殺してしまうのではないかと思います。なにが言いたいかといいますと、身近に道具があると、思い止まる時間が少ないからです。道具を用意する時間が多いほど、友達から電話が掛って来るかも知れない、バイオリズムの上昇カーブに差し掛かるかも知れない、感動を呼ぶ本を手にするかも知れないなどの可能性が広がります。私達老人は、生きているだけで環境負荷だと言われていますが、せめて若い人達が、元気にキラキラ輝いていて「この国も捨てたもんじゃない」と思いながら身罷りたいと思うのです。
確かに日本人は綺麗好きで、私も少し前までは、ルーズなくせに、清潔好きという捻じれた性格でした。しかし、水のこと、食のこと、環境のことを見聞きするうちに、過剰なまでの清潔さは、結果的に地球に負荷を与えていると知りました。農薬や塩素、いろんな洗剤で、河川・海に負担を掛けています。中国の13億人、インドの10億人の人達も、やがて日本と同じ様に変貌を遂げて行くことは、目に見えています。私達がシャワートイレを使ったら、もう元には戻れない様に、化学薬品の消費量は加速度的に増えていくでしょう。
私はこのブログの最初のページに書いた段戸石のことを知って、いろいろ教えて戴ける人に巡り合い、出来るだけ少ない予算で、地球、特に海や河川をクリーンにするシステムを産学で、構築出来る様に老体に鞭を打っています。