紫電

2019年10月12日 | 日記

日本海軍の水上戦闘機から改造された局地戦闘機。 1942年川西航空機が試作機を製作,紫電 11型として制式採用された。自動空戦フラップの採用により,空戦性能は優秀であった。しかし故障が多かったため,中翼型の紫電を低翼に改造,また脚柱を短くして,1943年に 21型,いわゆる紫電改がつくられ,アメリカ軍の日本本土空襲に対する迎撃機として使われた。とりわけ源田実大佐率いる第 343航空隊が,1945年3月 15日,松山上空に侵入してきたアメリカ軍機約 60機に対し,紫電と紫電改約 60機をもって迎撃し,多数を撃墜したことは有名。紫電は,単発,乗員1,全長 8.94m,総重量 3800kg,最大速度時速 585km,航続距離 1430km。武装 20mm機関砲4,250kg爆弾2。紫電改は,単発,乗員1,全長 9.3m,全備重量 3900kg,最大速度時速 595km,航続距離 1720km。武装 20mm機関砲4,250kg爆弾2。合計生産数約 1400機。
コトバンクから引用

あるんです






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