II. ピウス5世の聖務日課書
ピウス5世のトリエント聖務日課書(1568年)は枢機卿ジャンピエトロ・カラファの原則に戻ることを示している。枢機卿はパウロ4世(1555-1559年)としての自らの短い教皇在位期にキニョーネスの聖務日課書への教皇の認可を取り消した。しかし、その認可は彼の後継者ピウス4世(1559-1565年)により更新された。新しい聖務日課書は新しく作られたのではなく、ローマ聖務日課の回復であった。このため、共唱席の要素は残された。しかし、キニョーネスによって除かれた聖人伝と私的な聖務日課の要素は除かれたままであり、聖務日課自体は短く、単純なものであった。ピウス5世のこの聖務日課書は、17世紀から19世紀にかけてのフランスの地方的なネオ・ガリカニズム聖務日課書の広がりを除くとすれば、少なくとも2世紀の伝統を持たないすべてのラテン聖務日課に取って代わった。
ピウス5世のトリエント聖務日課書(1568年)は枢機卿ジャンピエトロ・カラファの原則に戻ることを示している。枢機卿はパウロ4世(1555-1559年)としての自らの短い教皇在位期にキニョーネスの聖務日課書への教皇の認可を取り消した。しかし、その認可は彼の後継者ピウス4世(1559-1565年)により更新された。新しい聖務日課書は新しく作られたのではなく、ローマ聖務日課の回復であった。このため、共唱席の要素は残された。しかし、キニョーネスによって除かれた聖人伝と私的な聖務日課の要素は除かれたままであり、聖務日課自体は短く、単純なものであった。ピウス5世のこの聖務日課書は、17世紀から19世紀にかけてのフランスの地方的なネオ・ガリカニズム聖務日課書の広がりを除くとすれば、少なくとも2世紀の伝統を持たないすべてのラテン聖務日課に取って代わった。