giotto34/Whale song  ―白い鯨のうた―

*詩はオリジナルです。
たずねてくれて、読んでくれて、
ありがとうございます。

詩179:愛犬とぼくの顔

2009年11月29日 | 
 /愛犬とぼくの顔
 

 おまえの顔、へんてこ。



愛犬にそういわれている気がして、

黒い鼻を軽く指で弾いてみる

上目遣いで、ちょっと驚いてみせる愛犬は、

自分の鼻がこんなにも黒くて、ツヤツヤしていることも

知らずに、

そして、まだ幼いときに両親から離れてしまった

彼は、どこからやってきたのかすら知らない。

というか考えない。けれど、

ぼくが玄関で靴を履いていると、くんくん、きゃんきゃんと

甘えるのだから、

誰かがいなくなると、とっても寂しい、てことや

心細さに堪えれねばならないその胸のざわめきを、

もしかするとぼくよりずっと知っているのかもしれない。

それはまだ小さな赤ん坊のときに、

おかあさんが手放したその悲しみを、

しっかり受け継いできたような、



 変な顔だな、おまえ。



愛犬はぼくをじっとながめる。



 おまえの顔は何がいいたいのかさっぱりわからない

 それじゃあ、誰もなんにもくれないぞ。



愛犬は黒い鼻を濡らして、眠ったふりをする。


「whale song」


詩178:星

2009年11月26日 | 
 /星


夜の空には星がある

朝の空には青い月、

昼空には燃える太陽が、

其れを僕は知っている

見上げた空にあるから

目玉の無い土竜には興味のないこと、

土の中は冷たくて、温かい

空飛ぶ鳥には興味の無いこと、

どうせ月にすら辿りつけない

白いクジラは、丸いものが大好き、

ぐるり、ぐるりと生きるから

きっと星や月や太陽を見れば、

感動して大きな涙を流すだろう

ときどき歌をうたって、

仲間にそれを語るだろう


「whale song」

詩177:バス眠

2009年11月21日 | 
/バス眠

眠る
乗車、後部座席、
黄色い服を着た少女が
母親の腹に小さな頭を乗せて
ふんわり髪、風、空から胸に
水の中泳ぐように静かに眠る


少女の腰に手を回す母の手
力尽きる、ぐったりと窓に母の頭、
二人の少女、二つの眠り
転がる太陽が、風にのって旅をする
眠る子、眠る子、
町にゆれる
バスに揺れる、バスの中、ゆれる

乗車、後部座席から2番目
男性は帽子から白髪をのぞかせる
つばを深く下げ、荷物を膝にたくさん
乗せたまま

風が吹く
あたためる光があたる
運転手はハンドルを握る

眠りとは、光の中で訪れるものなのか
夜の眠りはなんだか偽りのように

夜の彼らはまるで
疲れを毛布にして眠るかのように
海の深淵をさ迷うかのように

バスに揺られて眠る
ゆっくり落ちてゆく陽が覗く

まるで草原で眠るライオンのように
牙を忘れ、爪を忘れ、
地平線から大きく円を描くようにして訪れた風に
大きく吹かれ

みんな眠ってしまう


「whale somg」

詩176:乳呑児

2009年11月10日 | 
/乳呑児

 まだ完全ではないもの
産毛に絡んだ汗
つるりとした眼球を覆う涙
すぐに高揚してしまう胸のスピーカー
喉を痙攣さる
「ワタシハシンデシマウ」
与えられたもの
ほとばしる光の粒子が内界を離れまた舞い戻る
涙のベールを眼球がすべる
光を追う、
何かが存在する、
「アタエテホシイ」
肌の水を奪っていく
まるい乳白色の空間に置き去りにされた
ワタシという何か、
置き去りにされた、固体としての
ワタシという何か、
喉は痙攣する、眼球と共に喘ぐ
腹部には闇が群れ、燕の雛のように
黄色い口を開けて狂い鳴く
「コノママシンデシマウ」
恐怖は眼球の裏にある黒い鏡の深淵を縁取る
ワタシハマダソンザイシナイ、


「お腹が空いたの?」
声がする、まるい乳白色の世界が反転したような音で
ワタシという何かにむかって、


この追い詰められた飢えは消えず、
夜の開かれた扉の向こうで、依然として経験すこととなってしまい
私の子どものころなんかは
魔法使いにも、神さまにも、たくさんのおやつやおもちゃの願いごとを
お願いすることが出来たのだけれど、
大人になって憎たらしくなったしまったこの心を、
神様に無邪気に託すことも今は憚られる今日このごろ、
お腹が空いたらわたしは、
ハラハラと雪が降り積もる孤高の丘の夢を見ながら
老いしわがれの神がそこを通り過ぎるのをじっと待っている


「whale song」


詩175:ぼく

2009年11月05日 | 
 /ぼく



ぼくの代わりがいない



いまここでこうしているぼく、


だれもぼくの代わりに、ぼくになれる人がいないから


いまここでこうしているぼくを、


味わうのもぼくしかいない


ぼくはこんなときでさえ、僕であり続けて、生きる。


「whale song」


詩174:秋の訪れ

2009年11月02日 | 
 /秋の訪れ

ある朝、寝室の窓の隙間から、
何かとても大切な決断をしたような、
ピンと張詰めた冷たい風が訪れ、私の胸を焼いた後、
そのまま季節を変えてしまった。
私はパジャマの短い袖から頼りない腕を二本出していたからとても寒くて、
両肘を手のひらに乗せて「寒」と言った。

生まれたばかりのその冷たい風は、
薄く肌に馴染ませていた夏の衣装を剥ぎ取り、
白い歯をたてるようにして私の薬指に口付けをした。
すると心臓が血液に滲んで溶け出すように身体中を心細さと悲しみが循環し、
私の生は熱く赤く染まり中心を失う。胸が焼けると、身体は酷く凍えた。

その感覚は空腹ともいえる。
まるで赤ん坊のようにお腹が空いているだけなのかもしれない。
それなら、こころも身体も塊にしてバタバタと暴れて泣いてしまえば
いいのかもいしれないけれど、
わたしは長い年月を重ねて、こころと身体を分けてしまったのだから、
あんなにうまく、強く抗うことも、求めることもできない。

それならば。
柔らかいパンを焼こう、
温かく香のいいコーヒーを作ろう、
半熟の目玉焼きも今日は食べたい。
私はキッチンでオーブンレンジを温め、
フライパンを温め、冷蔵庫から蜂蜜入りのバターを取り出す。
私はキッチンの窓を開け放ち、冷たい風とこの激しい飢えを、
生きる私のために歓迎する。

「whale song」