どうでもいいや

とにかく偏見勝手に呟きます

古代の出雲大社

2017年08月16日 | 古事記・日本書紀や歴代天皇陛下、神社等
巨大木造建築物との比較

古代出雲大社48m
東大寺大仏殿46,8m
現在出雲大社24m
伊勢神宮10m

古代出雲大社
文献や史料を、元に復元された古代の出雲大社本殿、高さ約48m、引橋の長さは109mあったという。
国譲りのとき、大国主命は「天に届くほど立派な宮殿を築いて私を奉って下さい」と言う条件を出した。

古代出雲大社は、海を望む海岸近くに建っていた。
現在は西へ約1kmの位置に移動している。
国譲りの舞台とされる「稲佐の浜」が広がる場所にあったとされる。

現在の出雲大社の本殿は高さ約24mある巨大なものだが、社伝によると、古代には、約48mもある高層神殿だったという。この高さは、15階建てのビルに相当する。
あまりの高さゆえに、高層神殿の存在は疑問視されてきたが、高さを物語る資料も存在する。
平安時代中期に源為憲
がまとめた児童向けの教養書『口遊(くちずさみ)』には、高層建築物を覚えるための替え歌として、「雲太、和二、京三」と書かれている。
出雲の出雲大社が一番
大和の東大寺大仏殿が二番、京の大極殿が三番という意味である。

2000年、こうした伝承を裏付ける発見があった。
直径1,3mの杉材を3本束ねた柱跡が、出雲大社の本殿前から出土したのである。
実際の高さは不明だが、神殿が巨大な柱(宇豆柱(うずばしら))で支えられていたことが明かになったのである。

発見された宇豆柱
2000年に発見された柱跡で、直径1,35mの杉材が三本束ねられていた。
鎌倉時代初期に造営されたときの柱跡と考えられているが、古代の巨大神殿を想起させるものである。