ハイファ
ハイファーはアラビア語での発音である。
(パレスチナでは、ヘーファとも)
7世紀まで東ローマ帝国領であったが、
ペルシャ帝国の支配下に入り、ついでアラブ人が支配した。
1265年にマムルーク朝が奪取するまで十字軍国家の一部であった。
その後、この地はオスマン帝国の支配下に入り、
一時期ナポレオン・ボナパルトに占領されたりもした。
19世紀に入ると、
イエス・キリストの再臨を信じるドイツ人が入植(この入植地は現存する)、
発電所や工場を建設するなどした。
更にバハーイー教が本拠を移したのもこの頃であり、
街にはバハーイー教の建物(バーブ寺院や万国正議院など)があり、
観光名所にもなっている。
20世紀に入ると、
1947年にはアラブ人が70,910人に対しユダヤ人が74,230人と、
多数派を占めるまでに至った。
第1次中東戦争の際にはイルグンによるハイファ製油所虐殺事件(英語版)が、
起きるなど激戦地となったが、
3,300人くらいの非ユダヤ人がイスラエル建国後も残り、
現在も非ユダヤ人の人口が9%と比較的多い。
そして、イスラエル建国以前の英国委任統治領時代におけるハイファは、
イラクにおいて生産された原油はイラクからハイファ港へ至るパイプラインで、
ハイファ港まで輸送され、
ハイファ港から各地へイラク産の原油が輸出されていた。
無論、イスラエル建国後は、
ハイファからイラクやレバノンなどへ至る鉄道やパイプラインなどはない。
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