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170115-04 山下公園散策

2023-06-14 07:39:02 | 日記

170115-04 山下公園散策

横浜で最も有名な公園です。

関東大震災のがれきを埋め立てて作られました。

海への眺望、沈床花壇のバラ、歌碑や記念碑など見どころの多い公園です。

昭和5年3月に開園した山下公園は、

横浜の公園の中で一番知られているといってもよいでしょう。

関東大震災の復興事業として市内の瓦礫などを大正14年から4年がかりで埋立て、

上部を良質な土で覆土して造成が行われ、

公園の基本的な形ができあがりました。

当時は、現在の沈床花壇の部分が船溜まりになっており、

現在も氷川丸の横にある小さな橋がそのなごりをとどめています。

開園5年後の昭和10年3月には復興博覧会が行われ、

その船溜まりでは鯨が泳ぎ、今でいうパビリオンが建ち並び、

たいへんな賑わいを見せたそうです。

戦後は米軍に接収されましたが、

昭和29年から段階的に解除され、

昭和36年には再整備が完了し、ほぼ現在の姿となっています。

その後、昭和63年に行われた横浜博覧会に合わせ、

公園の東側に地下駐車場と上部の公園を整備しました。
人形の家の設計を行った坂倉設計の協力により、

6つの大陸へのびる道をデザイン化した世界の広場と、

バルセロナのグエル公園を想わせるカスケードのある楽しい大階段などが整備され、

新しい魅力をつくっています。

山下公園には、数多くの記念碑などがありますが、

代表的なものはサンディエゴ市から贈られた「水の守護神」、

童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子像」、

「かもめの水兵さんの歌碑」などです。
公園の西端には在日インド人協会から昭和12年に寄贈されたインド水塔があります。

横浜市の4代目建築課長鷲巣昌氏により設計され、

細部まで緻密なデザインのこのモニュメントは、横浜の近代建築として価値の高いものです。
なお、当該公園用地は、国有地の無償貸付を受けております。

 

関東大震災の復興事業として横浜市助役だった楢岡徹らが、

市内の瓦礫などを使ってを埋め立て造成し、

1930(昭和5年)315開園。

面積は7.4ha。

開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地になっており、

その名残が氷川丸の横にある小さな橋に見られる。

開園後40年にわたり、

公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、

これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。

現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。